十一 気配
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夢を見ていたような気がした。また失ったように思った。
まぶたの裏が白々として、目を開ける前にすでにまぶしい。伏丸は腕で目もとを覆い、そのまま、ひと息に起きあがった。腕を外してすぐ確かめる。ずっと気配はしていたのだが、囲炉裏の向こうに宮がいる。
広げた筵と小袖の上に、すっきりとした仰向けになり美しく横たわっている。戸の隙間から射し込む光に、ひどくなめらかな頬や額や、おろされたままのまぶたが白く、浮かぶようにして照り映えている。薄く血の透けるまぶたから、目をそらしつつこめかみを揉む。ぐっすりと寝てしまったらしい。しばらく寝食がままならなかった。というより、ほとんど忘れていた。それが、昨夜はよく食べて寝た。味噌をといた粥が腹の中、まだごろごろとしている気がする。
宮が目を覚ますより先に、水を汲んでおくべきだ。伏丸は頭を振り立ちあがり、眩暈で壁に手をついた。ちかちかと、またたいた視界は、ほどなくまともにもどっていった。
「伏丸」
背後から呼ばれ、はっとなって振り返る。宮が横になったまま、ぱっちりと目を開けていた。
「ああ、お目覚めでしたか、宮さま」
伏丸は膝をつき、頭をさげた。宮はほのかに笑みを浮かべた。光にほどけていきそうな笑み。伏丸は宮をのぞき込み、お加減はいかがですかとたずねた。すると宮は、軽く目をみはった。
「お加減とは、何事ですか。わたくしはとてもすこやかですよ」
「それは、それならよいのです。水を汲んでまいりますので、少々お待ちいただけますか」
「ええ、それでは頼みます」
宮は姿勢をくずさなかった。夜に眠りはじめたときから、ずっと変わっていない気がする。窮屈でないのか聞こうとして、やはり控えておくことにした。伏丸は小屋の外へ出た。
思ったよりもやわらかく、あたたかな風がうなじを撫でる。小屋のまわりの草木がゆらぎ、そよと静かな音を醸した。見あげれば空の色はまだ、うっすらとしてはかなげだ。光に染まりきる前だった。
伏丸は風に吹かれるように井戸のほうへ歩み寄っていき、井筒に手をかけ中をのぞいた。小石かなにかがぽろりとこぼれ、暗い水面に波を広げた。そこにはなにも映らなかった。映っていても、遠すぎる。波紋の余韻のような音だけ、井筒にはね返っては響く。
ゆうべの、宮のことばを思う。宮はほんものの宮さまだった。皇女だった。聞いただけだが、疑う理由などはなかった。皇女さまなど見たことなくとも、あのひとはまちがいなくほんものだ。身ごなしも、ことばつきもあの声も、歌も。禍をすすぎほうむる、とうとい身の上のひとなのだ。だから、その身を捧げてしまう。禍をすすいでは、身体の内に溜め込んで。どれだけ抱えているかも知れず、すすぐたびごとに疲れてしまう。ひと晩眠れば治ると言うが、考えるだけでおそろしかった。そして禍をほうむるために、最後は土の下へいく。
口出しできることではないと、それはよくよく承知している。ぐちゃぐちゃと迷い散らかしたすえについていくことを決意したのだが、そんなこと宮にはかかわりない。ただの行きずりの餌袋である。身のほどをわきまえなければならない。宮がつとめを果たせるように、着くべき場所までついていく。それだけ考えていればよい。
伏丸は釣瓶を拾いあげ、井筒の内へ投げ込んだ。どぷんと、くぐもった音で沈んだ。
「伏丸」
見なさい、と声をかけられ、小屋のほうをかえりみる。宮が戸口から顔をのぞかせ、茂みに埋もれた垣根のほうを細い指先で示していた。そちらへ目をやってみると、木の根の上になにか置いてある。ていねいに紐が結ばれた、竹皮の包みらしかった。
「いましがた、女人がひとりいらして、置いていってくださったようです。わたくしもいっとき見たばかりですが」
宮がおだやかな調子で言う。垣と茂みの向こう側から、楽しげな笑い声が聞こえる。女が数人いるようだ。だんだん遠ざかっていく。
「朝餉を支度してくれたのでしょうか」
よそ者は軽々と入れられないが、拒むばかりではないようだ。伏丸がつぶやくと、宮はこくりとうなずいた。
「ええ、きっとそうなのでしょう。ありがたくいただきましょうか」
小屋の中から出てくると、子犬を抱きあげるようにしてそっと、ふたつの包みを手に取った。その肩にはゆうべ伏丸が貸した、宍色の小袖がかぶさっていた。それは盗んだものではなかった。
「ずいぶんずっしりしていますよ。それにまだあたたかいようです」
宮はあまり表情を変えず、伏丸を見てそう言った。伏丸はちいさく笑ってみせると、釣瓶桶を引きあげにかかった。
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包みには青菜の漬物と、拳ほどの握り飯がふたつ、ぎゅうぎゅう詰めになっていた。大きいだけでなく美味だったけれども、宮も伏丸も、ひとつずつ食べるとじゅうぶん腹が満ちてしまった。のこりは旅のお供である。
小屋の中は簡単に掃除し、もとのように整えて出た。村の門にあいさつに行くと、門番はやはり難しい顔で、宮を追い払うようにした。近くで戦もあったことだし、警戒するのもあたりまえだ。しかたがないと思いながら宮と村をあとにするとき、ひんやり涼やかな風が吹きあげた。宮がここにいるからだろうと、伏丸は葉の鳴るように信じた。宮の若草色の袂が、ゆれては巻きあがっていた。
宮さまはそこにいらっしゃるだけで、空気をすすがれるのですね。思わずそんなことを言ったら、宮はくるりと振り向いた。三日月をかたどる唇で、そうですね、とあっさりこたえた。滌詞を奏でると、禍をより広く多く、すすぐことができると話した。発ったばかりの村からは、禍の気配がしなかったので歌は必要なかったようだ。
禍の気配について、宮は霧に似ていると言った。もちろん、宮にも見えていないし、音やにおいがすることもない。けれども、遠くからでもわかる。雨のあと杜に踏み入ったとき、肌に細かなしずくがまとわり、草木のいのちのようなにおいが、むっと迫って胸が詰まる。そういうときに似ているという。
禍に近づくにつれて、気配の霧は濃やかになり、色がついている気がしてくる。濁った銀色から灰色に、それが深まり黒、真っ黒に。色に、身体が染められていき、ぐっしょりと濡れていくようで、呻き声めいたなにかが耳をじっとりと撫でていくようで。だから気分も乾かない。宮はさらさらとそう語った。でも食べて寝れば治るのだから、いまも平気なのだと言った。
伏丸は宮と会う前の、重い感覚を思い返した。泥の中を泳ぐようだった。宮はもっとましなのか、苦しいのかはわからない。けれども、つらいのは確かだろう。話を聞いても考えても、どうにもできないことではあるが。宮は相変わらずのようすで、かろやかに歩んでいるのだが。
禍と宮のことを考え、しばらく山道を進んでいた。踏み固められた道だった。片側は斜面になっており、ずっと下にある地面から、何本もの木が伸びている。多く並び立っているうえに、あまりに高くまっすぐ聳え、そらおそろしいくらいなのだった。空気は乾き、凪いでいた。この山の頂あたりに、ゆうべ聞いた社があるのだという。
宮はほっそりとしているが、旅を続けてきただけあってその足どりは確かなものだ。山を登るのも慣れているようで、平らなところと変わらず歩く。歩みが遅いと言っていたけれど、伏丸はそう感じなかった。少しは歩調をゆるめているが、あまり合わせている気にはならない。
とくになにかを話すでもなく、鳥のさえずりと足音を聞く。まばらでもどこか、快かった。そのうしろめたさまで心地よい。しかし伏丸は、振り向いた。だれかに見られているような気がした。つい足がとまりかけたとき、木立に宮の声が響いた。
「そろそろ、出てきてかまいませんよ」
どきりとして、宮のほうを見る。




