十 約定
近頃、世の中は乱れている。各地の武者たちが力を握り、帝のもと国がひとつであった時代はとうに過ぎ去っている。帝を守っていた武家である将軍家も、もう衰えた。公家たちは土地を失っており、皇族は暮らしには困らないが、公の儀礼をおこなうための費用を工面できずにいる。
それはしかたがないとしても、戦続きで村々が焼け、ひとが傷つき死んでいく。日々を平らかに過ごすことができず、朝な夕なに脅かされる。このような事態を目の当たりにし、父はたいへん嘆いていた。世の中がいま安らかでないのは、己の力が足りぬせいだと、即位のときから苦しんできた。滌葬に力を注いだ。
通常、滌宮をつとめるのは一代につきひとりだが、父の代では竟子の前に、三人の滌宮がいた。叔母とふたりの姉たちだ。すでにつとめをおえており、つぎは竟子の番だった。四人目の滌宮となった、十六のときから二年のあいだ、社や戦場などを巡った。その旅も、もうすぐおしまいだ。
「皇女さまが旅をするのに、ほんとうにおひとりだったのですか」
伏丸の問いで、われに返った。視線をあげて見てみると、伏丸の黒い瞳の内に、火の影が映り込んでいた。暗闇の星を見たようだった。
「はい。いままでひとりでした」
竟子はさりげなく目をそらしつつ、はっきりと返事をした。細かく言えばひとりではないが、本来手助けされることはない。
「滌宮には力がありますし、ひとりでもどうにかなるのです。もしも途中で倒れるならば、それまでということになります」
え、と声を発したきり、伏丸は押し黙ってしまった。はじめて聞くと、おどろくかもしれない。だが、さきの三人の滌宮は、最後までしかとつとめを果たした。竟子もそれに続くつもりだ。
「でもやはり、少し傲慢ですね」
ちいさく首をかしげてみせる。
「皇女がひとりきり旅をして、苦労したなら世の中が、よくなるだろうと考えている。確かに禍は少しばかり、ほうむられるのではありますが」
目をみひらいた伏丸に、戯れですよと言っておく。なぜそのような戯れをしたか、己のことがわからないまま。
「ともかく、御上の御言を受けて、滌葬の旅をしています。目指すべき場所は葬宮です。旅の途中に滌をおこない、旅のおわりに葬をおこない、禍を封じ込めるのです。ところで、三つめの問いはなんですか」
「葬というのはなんですか」
伏丸は静かにたずね、竟子になにか差し出してきた。粥の入った椀だった。ほんわりと立ちのぼる湯気が、ほのかにあまく、力が抜ける。肩肘張っていたと気づいた。竟子は力を入れ直し、伏丸から椀を受けとった。さらりとしていてまどかなかたち。指にぬくもりが伝わってくる。伏丸は匙も手渡してきた。
「毒見は、もう済んだのですか」
「はい。だいじょうぶかと思います。このようなもので申し訳ないのですが」
「いいえ、わたくしひとりなら、迷わずかき込んでいましたよ」
「葬というのはなんですか」
声が、わずかにやわらかくなる。竟子は匙を粥にくぐらせた。
「禍をほうむるのです。いままですすいできた禍を、土中に埋めてほうむります」
「土ですか」
伏丸は眉をひそめる。竟子はひとつうなずいてみせた。
「すすいできた禍は、この身の内に溜まっていきます。それを土に埋めてほうむるのです」
「待って」
突然、声をあげ、伏丸が身を乗り出してくる。
「身の内に溜まるって、くたびれるって、そのせいですか」
「はい。とりつかれるのとおなじことです。なれど滌宮でしたら、修練とこの血筋のために、禍を溜め込んでも死にません」
すすぐということは禍を集め、身体の内に抱えることだ。あえて、とりつかせるといったところ。つまり、禍にとりつかれるとは、すすぎと似たようなことである。滌宮でなければ調子をくずし、わるいときには死んでしまうが。滌宮なら、少しばかり身体が疲れるくらいで済む。
滌宮は禍をつねに少しずつ集めているし、滌詞を唱えればより広くから多く呼ぶことができる。それでも伏丸が必要なのは、ふたりならふたりぶん溜められるから。伏丸のぶんは宮がすすいで、引き受けるということになる。かいつまんでそのように説くうち、伏丸の顔は曇っていった。
「じゃあ……、埋めるって、それは……」
「ええ、この身を埋めるのです。そこへはひとりでいくようなので、どうなるのかはよくわかりませんが」
竟子は隠さなかった。どうせいつか言うことになるし、こういう話を隠すのは、案じさせないためだろう。伏丸とは出くわしたばかりであって、まだそれほどの情もなく、長いつきあいになるのでもない。はやめに言っておくのがよい。
「心配には及びません。わたくしが賜った御璽を預けます。それを持って都へ行けば、存分に褒美を受け取れましょう。滌宮はひとり旅をしますが、途中で供人をつけてはならぬと叱られることはないのです。滌宮をたすけたひとがいれば、そのひとに褒美を与えるという御上との約定があります。つまりは、たすけをもとめることは、許されているということです。以前の滌宮のときにも──」
「そういうことではありません」
竟子が言いおわらないうちから、伏丸はことばをかぶせてきた。けれどもわれに返ったのか、口を結んで首を振る。
「いえ、申し訳ありません。それがおつとめなら、わたしはなにも」
「はい。これがつとめです」
叔母も姉たちも、もどらなかった。このつとめをまっとうしたのだ。竟子もそれに続くのだ。この身もほうむることになるなら、道連れは多いほうがよい。
「なるべくたくさんの禍を集めて、わたくしはほうむりたいのです。ですから、あなたに頼んだのです。よいですね。ついてきなさい」
竟子は伏丸を見据えて言った。瞳をゆらして唇を噛み、伏丸は口惜しそうにも見える。胸のあたりが軽くなり、同時に腫れるような気がする。じっと返事を待っていると、きつく閉ざされた唇がほどけ、低いこたえが返ってきた。
「わかりました。ついてまいります。宮さま」
それは、よかったのだけれど、なにかいまひとつだという気がする。少し考えて、思い至った。わかりましたでは味気ない。
「命の随にと言うのです」
「はい?」
伏丸の声が裏返る。竟子は口の端をつりあげてみせた。
「貴いだれかに従うときには、そのように言うのですよ。わたくしは皇女ですから」
「はあ……」
「いちど、言ってみなさい」
「みことのまにまに」
「慣れなさい」
ずいぶんたどたどしい伏丸に命じて、粥を掬って口に運んだ。ふわりと、やわらかなあまさが広がり、その奥に深い味噌の香り。ゆっくりと噛んで飲み込むと、あたたかく喉を滑り落ちてのち身体の内へ火を灯す。素朴だけれど、だからこそ、いくらでも食べられそうだった。
「みことの……命のまにまに……」
ぎこちなく、伏丸はくり返している。ことん、と小屋の板戸が鳴った。




