第75話 ああ神様
「なあ、なんでそんなに離れるんだ……」
男はじりじりと私たち親子に近づいて来る……。昔は優しく頼もしかった男は、今は何処にもいない……。
娘だけは……
私の傍で子羊の様に怯えている娘、昔は家族3人で仲良く暮らしていたのに……
こうなってしまったのは私にも責任はある。
いえ、私のせいだわ
私が旅館の事を言い訳にして家族の絆を壊してしまったから……
「ミサト、信じてくれ! あの方に頼めばもう一度、もう一度戻れるんだ。過去のことは忘れよう! な?! ツルギもそう思うだろ?! あの時はお父さんどうかしていた。もう一度、あの頃の……」
男の目は正気ではなかった。何かにとりつかれているように感じる。
「何か宗教的なモノでもやってるの? 昔のアナタは、そんなモノに頼る人じゃなかった……」
「そんなモノと言うなぁぁぁぁ」
男は溜まっていたものが、あふれ出たように激怒した。相当その宗教にどっぷりとはまってしまっている様だ。人はここまで変わってしまうのだと、改めて痛感した。
「ツルギ……こんなお母さんを許してね……」
私は娘の耳元でそうつぶやいて、隠し持っていた包丁を取り出した。
昨晩、この男が周りを張り付いたので、もしかしたらと思って持っていたのだ。
出来る事なら使いたくは無かった。
でも、今のアイツはこの子に何をしでかすかわからない!
「お、おい! 亭主に向かって何てもん向けてんだ!」
「うるさい! アンタを殺して私も死ぬ! そうよ、元はといえば私が悪いんだもの! 二人仲良く地獄で、遅くなった結婚記念旅行でも行きましょう」
覚悟は決まっていた。手は震えているが、いつでも刺せる状態だ。
「お、おかあさん……」
傍にいる娘が、か細い声で呼んでくれた。
私は覚悟を決め、包丁を両手でグッと力強く持ち、目の前の男に向かって刺した。
と、思った……
私の覚悟は空を切り、明後日の方向に向かって壁に激突した。
「え、なん……」
私は何が起こったのか理解できなかった。壁にぶつかって混乱しているわけではない、目の前にいたはずの男が急に、刺す瞬間にパッと消えてしまったから。
「あ、危ない……本当に殺しに来るなんて……」
混乱しているのは私だけじゃないらしい。
いつのまにか男は娘の近くにまで移動している。
「ミサト、なんでなんだよ……なんでなんだよ!」
男は顔を真っ赤にしてこちらに近づいて来る。そして大きく腕を上げ、硬く丸めた拳で殴ってきた。抵抗するための包丁は手元から離れてしまった。私はなす術もなく、
殴られ続けた。
「やめて、お父さん!」
ツルギが大きな声で叫んでいるの?
頭が働いていないからかよくわからない。
意識が薄れていくのは分かるけど……
「お、お父さんの言う通りにするから」
「そうか良かった! じゃあお父さんと一緒にあの方の元へ行こう!」
お願い……
誰か助けて……
ドカンッ!
私の意識が薄れていく中、ドアを豪快に壊して現れた
ああ、神様……
「すみません、家族会議中に……やっぱり一発殴らせてもらえませんか?」
「アハハ! ショウ君の男らしいところも好き♡」
「ショウ、アンタって意外とワイルドなのね。ドアが……」
「ごめん、勢いに任せたら壊しちゃった……」




