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雨乞いの虹

すっかり日が落ちて明かりが灯された部屋で、ついに重複した食品リストは完成した。途中で調査に協力してくれる研究員を確保したリヴェーダも合流し、日が沈む頃には一通りチェックし終えることができた。念のために二度の見直しを経て完成したそれは、かなり精度が高いものになっている。


「ひとまず検査にかけるのはこの5品目、ってことでいいな?」

「そうだね。これで引っ掛からなかったら次の5品目って重複率が高いものからどんどん検査に掛けていきたいんだけど…リヴェーダ、一回の検査で結果が出るまで大体どれくらいかかる?」

「やってみないとわからない。ただ毒物が特定出来てない以上、検査方法も多岐にわたる。時間はかなりかかるだろうな」

「そうなると全部検査にかけるのは厳しいか…」

「ああ。最大で3回、上から15品目で引っ掛からなければ別の観点からリストを纏め直した方がいいだろうな」

「もしそうなれば食品の線自体が消えかねないよ」


今後の検査方針について話す二人を尻目に、ルディアナはぐったりとイスの背に体を預けた。思いの外長時間のデスクワークがかなりの負担だったようで、ひどく怠かった。これではシュレーが怒るのも当然だ。


「ちょっとルディ、大丈夫?」

「だから、こういうのは病み上がりでやることじゃないんだ」

「…そうよね」


この国に来てから体力不足を痛感してばかりだ。これくらいならできると思っていたのだけど。

うーん、と唸り額に触れたシュレーの手がひんやり冷たくて心地よかった。


「熱はないみたいだから、とりあえず寝たら?どう考えても疲労でしょ」

「不思議と眠くはないのよね…」

「そりゃ3日3晩も寝たらな―」

「ただ横になって体を休めろって言ってるの。僕は兄上にこの結果を報告してくるから、くれぐれも大人しくしてなよ?」


呆れたように言いながら、シュレーは散らかった書類を整理し端に纏めると完成したリストを手に部屋を出ていった。アレクシス陛下に会わずにすんで大変ありがたいしシュレーに言われた通りにベッドに移動しようとして、そういえば、と部屋に残った人物を見上げる。


「リヴェーダ、貴方は行かなくていいの?」


と、何故かわかりやすく彼の視線が宙を泳ぐ。出ていくわけでもなさそうだし、なにか用事でもあるのだろうか。

しかしリヴェーダは頭に手をやっただけで特に何も言わず、部屋には束の間の沈黙が訪れた。


「…どうかしたの?」

「あー、と…体を休めるなら場所はこの部屋じゃなくてもいいよな」

「まあ、そうでしょうね」


意図がつかめずルディアナの頭に疑問符が飛び交うなか、リヴェーダはニッと白い歯を見せて笑った。


「ナイトクルーズいくか」






立派な木の扉に軽く握った拳を打ち付ければコンコン、と澄んだ音が響いた。入室を許す声をきちんと確認してからシュレーはドアノブに手をかけた。そして現れた朝から変わらず紙の束を相手にする兄の姿に、こちらもかとため息をつきたくなるのを堪える。ルディアナといい、アレクシスといい、どうしてこう自らの体を顧みることが出来ない人間ばかりなのか。


「どうした」

「例のリストが出来たので持ってきました」


ここでようやく顔をあげたアレクシスは、疲労がうっすらと浮かぶ瞳にシュレーを映す。どうせまたろくに休憩も取らず書類の処理をしていたのだろう。報告したらさっさとベッドに詰め込んでやろうと決めるが、そうしたところで数時間も寝ないうちにまた机に張りつく姿が目に見えている。いい加減にしなければいつか過労死しそうで心配だった。


「リヴェーダと相談して上から5品目ずつ検査にかけていくことになってます」


渡されたリストにざっと目を走らせ、アレクシスは小さく頷いた。ひとまず問題はないようだ。このまま進めてくれ、と言われ一息ついたところで、言っておかねばならないことを思い出した。


「そういえば、兄上」

「どうした?」

「ルディにあんな書類の束渡さないでくれます?」


深青の瞳がぱちぱちと瞬く。何故かと言わんばかりのその目に、眉間に皺が寄るのを感じた。


「僕やリヴェーダが手伝わなきゃ三日三晩寝込んだそばから三日三晩徹夜しそうな勢いでしたよ。ルディが馬鹿なのはわかってるんだから、こっちが体調管理してやらなきゃいけないってのに…」

「ああ、なるほど。確かに彼女は枕元に資料を置いて寝れるような質ではなさそうだ。以後気を付けよう」


アレクシスはさも可笑しそうに笑うが、笑い事ではないし、笑う資格もない。あんたも同じ質だろうがと言ってしまいたかったが、リヴェーダやルディアナならともかく尊敬する兄にそんなこと言えるわけもなくシュレーは軽く睨むにとどまった。


「兄上も大概です。とっくのとうに就寝のお時間ですよ。明かり、消しますからね?」

「わかった、これが終わったら寝るから」

「そんなこといってたら夜が明けます」


注意してもダメなのはわかりきっているのでさっさと机上のランプを消せば、これ以上の仕事を許さないという意思を酌んだアレクシスの薄い唇が呆れにも似た緩い弧を描いた。シュレーはついでとばかりに壁に掛かるランプも消していく。全てのランプが火を失うと執務室に射し込む月明かりのヴェールで長い蒼銀の髪がぼんやりと輝いていた。



「お前は、可愛いげのひとつもないな」

「…兄上、明日は一日中ベッドの上でもいいんですよ?」

「それは困る」


本気にしてないだろう返答にまた眉間に皺が増える。全く、誰のせいだと思っているのかこのワーカーホリックめと心の内で毒づいた。


「この国はどいつもこいつも手のかかる大人ばっかりです」

「ああ、いつも悪いな」

「せめて、手のかかる者同士仲良くしてくださいね」


シュレーよりだいぶ青みがかった銀髪が揺れた。


「ルディがイヴェニアの生まれであることは変えようのない事実です。だからといって、それが虐げていい理由にはならない。彼女を見ていたら兄上もわかったんじゃないですか」


シュレーだってイヴェニアなんて、大嫌いだ。なんなら今すぐにでも滅べばいいと思う。けれどイヴェニアで生まれた人全てが悪いのではないことくらいわかる。ただ指導者たちが悪いだけだ。身分制度に縛られた民がどれだけ善良だったとしても彼らは国を治める者たちに従う他ないのだ。イヴェニアにはこの国に戦禍をもたらした憎むべき者たちもいるが、同じくして多くの被害者がいるはずだ。国の重役だったルディアナでさえその一人だった。


「いざというとき切り捨てなければいけないのは…仕方ないことかもしれない。でも、そうならないために努力する義務だって僕らにはあるんじゃないでしょうか。彼女は国を捨てアトランティアに来た。その時点で、ルディは僕らが守るべき国民だと思いませんか、兄上?」

「…お前の言うとおりだ。私も、彼女も、皆生まれてくる国など選べはしなかったのだからな」


ルディアナがまだ疑われているわけではないことがわかり、ひとまず安堵した。疑うだけ無駄だとおもう程にはルディアナと共にいたつもりだ。ここまできて彼女がスパイだったら、シュレーは間違いなく人間不信になるだろう。

何かを考えるアレクシスをちらりと横目で見た。

疑いが晴れたなら、この兄はきっと後悔しているはずだ。シュレーはアレクシスが初対面で彼女に投げ掛けた言葉を後から聞いた。その時の兄を突き動かしたのであろう頑ななイヴェニアへの恨みは、まだ彼女に向けられているだろうか。――そんなわけがない。

彼女に恨みをぶつけたところで何の意味もないのだから。


「それを思えば、私は彼女に許されないことをしたのだろうな。けれどどうしたって私はイヴェニアへの恨みは消せない。謝罪はしたし、彼女もそれを受け入れたがここから良好な関係を築くのは、無理だろう」


きっとアレクシスはこのままルディアナとの距離を縮めようとはしない。兄は国のことならば思いきった判断を下し躊躇いなく行動に移すくせに、自分のことになったら一転深く考えすぎてしまう、シュレーにとって最も手のかかる大人なのだ。ならば、また自分が背中を突き飛ばすまで。シュレーはこっそりと口許を緩ませた。


「ちゃんと話せばいいんですよ。王様としてではなく、一個人として」

「話したところで、どうにもできないさ」

「やってみなきゃ分からないと思いますよ?」


彼女なら大丈夫だと自信たっぷりに言い切ってやればアレクシスが微かに目尻を下げた。

元々誰かのためなら自分を顧みない二人だ。きちんと向き合えば、生まれなんてそう大きな問題じゃない。


だから、仲良くしてくださいね。

僕は二人とも、嫌いじゃないんですから。








控えめな出航の合図と共にふわりと潮風が頬を撫で髪を遊ばせていった。夜の海は月や星の光に溢れて、ルディアナが想像していたよりもずっと明るく輝いていた。


「落ちるなよ」


からかうようにリヴェーダが笑う。しかしそれはどこか力ない笑みだ。彼の柔らかな金糸が月明かりにぼんやりと光を帯びていて、弱い月光の下では溌剌とした雰囲気が薄れ、まるで別人にかわってしまったような、そんな錯覚に襲われた。


「いくらなんでも、大丈夫よ」


ルディアナは戸惑った末に曖昧に笑った。

沖に向けて動き出した船が水を斬る。月や星が穏やかな海に映りこんでいる他は少し離れた街の明かりだけ。鏡写しの夜空と水の音。幻想的で美しいこの場所だけ世界から切り離されてしまったようだった。


「気分は、悪くないか?」

「疲れやすくなってるだけなの。貴方の所為じゃないし、直に回復するから心配ないわ」


そうか、と呟いた声には安堵が交じり、それなりに心配を掛けたのだろう。やはり無茶なんてすべきではないと反省してしていると、不意にリヴェーダの声が固くなる。


「お前、アレクのことどう思う?」

「…アレクシス陛下?」

「おー」


長い睫毛が彼の瞳に影を落とすせいで、その奥で何を考えているのか、見えない。

船の生んだ波紋が月をくにゃりと歪ませた。


「…私の主観で端的にいうなら、苦手かしら」

「嫌い、じゃなく?俺が言うのもなんだけど最初がアレだったろ」


確かに初対面での印象は悪いという他ないだろう。あれで苦手意識を植え付けられたのは否定できないが、しかし。


「嫌いではないわ。ただ、苦手なの」


投げられた言葉には怒りを覚えた。けれど実際に危害を加えられたわけではなかったし、今は一人の人間として尊重されているのだろう。それに頭の冷えた今なら、彼の態度も仕方ないのだろうと思えた。


「前にも言ったけど、皆がイヴェニアの人間を信じられないのは当然なのよ。それだけの負の歴史を積み重ねてきた国だもの」


初対面での自らの態度を思い出したらしいリヴェーダの肩が揺れた。

よくよく考えれば初対面で刃を突きつけてきたリヴェーダの方がトラウマになりそうなものだ。けれど苦手なのは態度が悪かっただけのアレクシスだけなんて、そのちぐはぐさにルディアナはおかしくなった。その時は死にそうな姿に弟を重ねてしまって、助けなければと思うあまり恐怖という感情をすっかり忘れていたのだ。


「最初がアレだったのは俺の方か」


リヴェーダか脱力して溢した言葉に、堪えきれずに笑い声が水面を転がり落ちた。


「ほんとに、自分のことを棚に上げすぎよね」

「だー、笑うな!だいたいな、俺が大丈夫でアレクが苦手って、お前の頭はどうなってんだよ!」


出会い頭の冷たい刃。蔑むような明確な悪意。好奇心に隠れた監視の瞳。いつだって最初はイヴェニアの人間という事実が溝を作っていた。アレクシスがリヴェーダやシュレーと違ったのは、彼の言葉はルディアナの心の柔らかいところを抉ったということだけ。


「―――生まれたのがイヴェニアじゃなかったら、もっと違う生き方ができたんじゃないか。

私自身、小さい頃からそう思っていたのよ」


昔から積み重ねたそれが、アレクシスの言葉に怒りの声を上げた。


「そりゃ、怒るしかないよな」

「そうかもしれない。でも私が形ばかりでもイヴェニアの貴族だったのは事実だわ。だから、彼に恨まれていても文句はいえないのよ」


昔、大陸がある程度統一されるまでは小さな国同士の争いが絶えなかった。戦争をして勝った国が敗けた国を吸収して大きくなって、それを繰り返していくつかの大国になって今がある。そんな時代には対立する国の人間が不当に虐げられるというのはめずらしくもない話だった。

この国に一方的に理不尽な理由で戦争をふっかけたイヴェニアの人間が人として尊重されている、恐らくそれ自体が既に破格の待遇なのだろう。それも役職持ちともなれば、見せしめに残酷な殺され方をしたっておかしくないはずだから。


「っ、お前が恨まれる理由なんてない。ただあの地に、生まれただけだ」


ルディアナはそっと、首を振った。

リヴェーダの言葉は正しいのだ。けれどもはやそんな言葉ではどうにもならないことだと、彼も知っていた。


「お互いに避けようのない衝突だったのよ。それに関してアレクシス陛下は頭を下げ私はそれを受け入れたんだから、嫌いになる理由はないわ。…ただ、少し身構えてしまうだけ」

「それで、苦手、か」


隣でひとつため息が溢れた。いつのまにか樽に並んで腰かけていたリヴェーダは、迷いながら慎重に言葉を紡ぎだした。


「気付いてるかもしれないが、この国には年寄りが殆どいない」

「え?そう、ね。言われてみればあまり見かけないけれど」


急に変わった話題に戸惑いながらも思い返せば、治療を施した者たちはほとんど皆若かった。詳しくはわからないのでなんとも言えないが、いっても五十やそこらだったように思う。シュレーと街を歩いたときも、お年寄りといえる年齢の人をみた覚えはなかった。


「医療がそれほど発達してないのもある。加護のお陰で伝染病は防げるが、それ以外の病にかかれば大概は死ぬしかないんだ。聞くところによるとお前が持って来た書物のお陰で技術が急激に進歩するそうだ」

「あれは、手元にあった新しいものを優先的に持ってきたから…」


リヴェーダは困ったように目尻を下げ、曖昧に唇で弧を描いた。

口振りから察するに遅れはそんな程度ではないのだろう。小さな島国だから情報が伝わりにくいのに加えて、最近は鎖国状態だったのだから。


「でも、一番の理由はイヴェニアとの戦争なんだ。アトランティアはただでさえ小さな国で人口も少ない。当時俺たちは子供だったけど、国を守るため大人たちが性別も加護の強さも問わずみんな海の向こうへ戦いに出て行ったのを覚えてる。そして、多くが命を落としていった。かろうじて生還した者もいたが、怪我なんかでそう長くは生きられなかった」


お年寄りが少ないのは、今生きていればその年代だったはずの人々が戦争の犠牲になったから。そう理解するのに時間はかからなかった。

どうして気づかなかったのだろう。アレクシスだって、リヴェーダだってまだ若いし、シュレーなんてまだ子供といっていい。それなのに彼らは自らの手で国を治め、その親たち、先代国王さえ一度も姿を見ていない。つまり、先代国王さえもが戦争でなくなってしまったのだろう。


「俺やアレクの両親は、ほとんど騙し討ちだった。この国が戦争で疲弊しきったころイヴェニアが和平を提案してきたんだ。アレクの親父さんたち、先代国王夫妻はこれを受け入れた。これ以上戦争で民が死んでいくのが耐えられなかったそうだ。和平交渉を行うからと辛うじて生き残っていた数少ない加護の強い者たちを護衛に連れて発って、二度と戻らなかった」


その加護の強い者たちの中に王妃様や両親も含まれていたのだとリヴェーダは言った。

加護の強い者、つまり、それまで国を支えてきた重鎮たちさえも尽く居なくなってしまったのだ。恐らくイヴェニアで、殺されて。大人たちは皆戦争で亡くなり、残されたのは未来を託された子供たちだけ。


「アレクは、親父さんたちが殺される瞬間を“視た”んだ」


ひゅっと、喉が嫌な音をたてた。

見えたのは偶々だったらしいが、と彼は続けたがほとんど頭に入ってこなかった。


「大方俺の両親も酷い死にかたで気を使ったんだろう。詳しくは聞いていないが、筆舌に尽くしがたい地獄を見たそうだ。

だからアレクは、誰よりもイヴェニアを恨んでいる」


あの時リヴェーダがアレクシスを止めなかったのは、彼がどれだけイヴェニアを恨んでいるか知っていたからだ。もしルディアナがリヴェーダの立場だったとしても、イヴェニアからつれてきた女を信じろ、協力しろとは言えなかっただろう。ましてや、女神ともなればいつまた掌を反され傷つけられるかわかったものではないのに。


けれど、それなら何故イヴェニアに使いなど出したのか。そんな困惑を感じたのか、リヴェーダが苦笑する。


「俺の勝手なんだ。アレクは反対してた。今思えば、毒物が混ぜられていることに気づいてたんだろうな」

「まさか、この騒動を仕組んだのはイヴェニアだっていうの…!?」

「ああ、故意に毒が混ぜられたなら他にいないだろう」


まるで後頭部を殴られたような、そんな衝撃。

彼はルディアナを信用していないのではない。できるわけがないのだ。いまなお脅威たる国の人間をどうして信用できようか。


「俺がイヴェニアに使者として行くと言ったとき、物凄く反対された。それでも国のためだからと説得して押し切った。もちろん穏便に済むのが一番だと思っていたが、それ以上に自分の腕なら殺されない自信があったから」


王宮から逃げるときのことを思い出す。出会い頭に一瞬で剣を閃かせたリヴェーダは凄まじく強かった。それは怪我さえしなければあるいは、と思えてしまうほどに圧倒的だった。


「油断して斬られたのは、そんな驕りからだ。もしあの時お前に会わなかったらと思うと、今も自分に腹が立つ。あの国に奪われることを恐れるアレクの傷を抉るような真似をした」


悪かった、あの時のアレクにああ言わせたのは俺でもあるんだ、と謝罪の言葉は美しすぎる海の上で、重く響いた。


リヴェーダの斬られた腕を見たとき彼はどう思っただろう。


どう考えても悪いのは、全てイヴェニアだ。アレクシスはそれだけの傷を負った戦争の当事者であり、ずっと負の歴史を背負い続け、それどころか彼の中で戦争はまだ終わってすらない。いつまた攻めてくるかわからない敵に恐怖し結界を張った国を守り続けているなんて、どれほど心の休まらないことか。


「…似てるのね、昔の私に」

「は?」


弾かれたようにリヴェーダがこちらを見た。それに小さく笑みを返す。


「あの国に難病を抱えた弟をとられていたのよ。国が全てを負担し治療をするからと、引き離された。…私を従わせる体のいい人質よね」

「待て。難病って、お前が治せば良かったんじゃないのか?」


尤もな疑問だ。そうできたなら、どれ程良かっただろう。


「私の能力は、血が繋がった者には効かないのよ」


きっとそれが誰かの命を救う、治癒能力の代償なのだ。無関係な誰かを救うことができても、本当に助けたかった人たち(家族)は一人残らず救えなかった。だからルディアナにとってこの力は呪い以外の何物でもないのだ。


「私は会うことすら許されずただ弟の死を恐れる日々を過ごしてきた。気休めのように来る日も来る日も本を読んで、効くかもわからない薬草を育て続けた。全ては、失わないために。

アレクシス陛下のいつまた失うかもしれないという恐怖や、そして命を軽んじるあの国を恨む気持ちが痛いほどわかるわ。私もそうやって生きてきたから」

「今、その弟はどうしてるんだ」


答えは分かっているだろうに、リヴェーダはあえて聞いた。


「弟は、亡くなったわ。私は引き離されてからその姿を一目見ることすら許されず、看取ってやることも出来なかった。でも、だから私は今この国にいる」


もしも弟が生きていたなら、イヴェニアに残っただろう。薬草園なんかじゃなく処刑だなんだと騒ぐ馬鹿の首を飛ばせと国王に直訴に行っていたかもしれない。もしそうだったなら、リヴェーダには会うことすらなかったはずだ。


「そう、か」


弟の死がなければお互いに今はなかったという事実に、リヴェーダは複雑そうな顔をしていた。


「悪いことばかりじゃないのよ。弟を失う代わりに、私は恐怖や恨みから解放されたんだもの」

「それだけのことをされて、あの国を恨んでないのか?」


その言葉にそっと首を振った。けして恨んでいない訳じゃないのだ。それよりも。


「弟が死ぬまでのうのうと生きてきた自分の方がよほど憎くなったのよ。だって私はあの国を恨みながら、何か行動を起こすわけでもなくいいように使われてきただけ」


私には弟の後を追う権利すらないのよ、と心のなかで自嘲した。

リヴェーダは、何も言わなかった。

ルディアナは生きることに執着はないし、いつ誰に殺されてもいいと思っている。けれど、自分で命を絶つことだけは許されないのだ。死んで楽になる権利はないのだから。

ルディアナはその権利を求めて、今この国で贖罪をしているのだ。この国の人々を救うことで、家族の後を追う権利を得ようとしている。

本当はそんな自己満足のためにこの国の人を使うルディアナが、大切な人を守り戦い続けるアレクシスを理解できるだなんて、自分を重ねることも烏滸がましいのだろう。

しかし失うことを恐れる彼は、間違いなくあの国にいた頃の自分と似ていると思った。


「私とアレクシス陛下は似てる。でも、同じではない。多くの民を抱えるアレクシス陛下を恐怖から、ましてや恨みから解放することは不可能だと思うもの。――けれど、共にこの国を守ることは私たちにもできるわ」

「ああ、そうだな」


隣で、リヴェーダが力強く頷く。同時に自らの色を思い出したかのように風に靡く黄金が煌めいた。


「アレクシス陛下のことをどう思うか、ですって?

わかるわけないでしょう、彼のことなんて何にも知らないんだから」


少し呆気にとられた顔をしていたリヴェーダがようやく屈託のない豪快な笑い声をあげた。


「そりゃそうだ。変なこと聞いて悪かったな」


悪戯っぽく細められたエメラルドが、月明かりに煌めいた。








「二人とも一体何してんの?僕言ったよね、体休めろ、大人しくしてろって」

「その通りです…」

「あー、息抜きでナイトクルーズに出たはずが、何故か二人とも寝てたみたいでな」


仁王立ちのシュレーの背後には、まだ顔を出したばかりの太陽。

つまり、現在の時刻は朝だ。

昨夜はそのまま二人並んで仲良く寝てしまったらしく、体中の関節や筋肉が悲鳴をあげていた。で、船着き場に戻った今、もれなくシュレーによる雷が待っていたというわけだ。

シュレーは私たちの姿が見えないことを心配して朝一で探し回ってくれたらしい。早朝から本当に申し訳ない。


「馬鹿じゃないの、一晩中島をぐるぐるしてたなんて言わないよね?リヴェーダ、まさかとは思うけど、病み上がりのルディに甲板でオールナイトクルーズさせたわけじゃないよね?」

「あー、うーん、まあ」


リヴェーダが頬をかきながら盛大に目を泳がせる。そのもはや肯定以外の何物でもない態度に、シュレーの額に青筋が浮いた。

ルディアナがまた心配を掛けてしまったとため息を溢し、伸びをしたところ腰が軋んで酷い音がなった。と、それに気づいたらしいシュレーがこちらに視線を寄越す。


「ルディは早く城に戻って寝なよ」

「え、いいの?」

「今回は船出した癖に寝たリヴェーダが悪いから。体は大丈夫?熱はないね?」


いつもの小言を覚悟していたのに昨夜と同じように額に手が当てられ、間抜けな顔で目を瞬いているとシュレーに怪訝そうな顔をされた。


「なに?ルディの奇行は元々だから、心配はしてないけど」

「ちょっと、奇行は言いすぎじゃないかしら」


少し、ほんの少しぼーっとしただけなのに。むくれているとぺちんと額を叩かれる。温暖な気候が幸いしたのか、今回も熱はないらしい。


「で、平気なの?」

「体の節々が痛くて怠い以外は、平気ね」


試しに首を回したり、腕を曲げ伸ばしてみるが鈍痛はあれどそこまで酷くはない。とはいえ今後甲板で夜を明かすのは遠慮したいところだ。


「よし、ルディは平気そうだね。じゃあリヴェーダ、僕の雨乞い手伝って下さいね?」

「げ、今からやれって?体中が痛いってのに」

「当然でしょ、そういうのを自業自得っていうんだよ」


カエルが潰れたような声を上げたリヴェーダはため息と共に肩を落とす。それによって彼の首から壮絶な音がなったが、まあそれは置いておくとして、聞きなれない単語にシュレーの肩をつついた。


「雨乞い、って?」

「文字通り、畑とか農地に雨を降らせるの。雨が殆ど降らない気候だし真水は貴重だから。島の中心に海水を真水に変える施設があるんだど、生活用上水を賄うのに精一杯で農業用水に回す余裕がないんだ」

「それを、こんな早くから毎朝?」

「本当なら城で当番を組んでたんだけど、皆倒れてからは専ら僕かリヴェーダがやってる。ま、そろそろ当番制に戻してもいいかな」


加護が強いほど雨を広範囲に降らせることができ、弱いと雨を降らせること自体不可能になる。そのため比較的加護の強い城勤めの人たちで区画ごとの当番制だったらしいが、病の影響で最近は全てをシュレーたちでこなしていたという。それを今からやらせるのは流石に可哀想になり、軽く治癒するとリヴェーダは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「さんきゅ、だいぶ楽になった」

「それなら良かった。私は手伝えなくて申し訳ないけど頑張ってね」

「これで十分助かってるから気にするな」


頭をぽんぽんとされて気恥ずかしくなり視線を落とせば、先程よりも機嫌が悪くなったシュレーが見えた。


「へらへらすんな」

「うおっ!?」


シュレーが何かぼそりと呟いた直後リヴェーダの膝裏に蹴りをお見舞いし、リヴェーダは盛大にバランスを崩す。それを涼しい顔で眺め、シュレーはにこりと微笑んだ。


「じゃあ、ルディはまっすぐ城に帰るんだよ。大丈夫だとは思うけど、何かあったら叫ぶなりして。衛兵には言ってあるから」


なんとかバランスを立て直したリヴェーダはただ頬をひきつらせていた。

…何がそんなに気に障ったのかしら。


「目と鼻の先だから平気よ」


昨夜リヴェーダと歩いてここまで来たが特になんの問題もなかった。道に迷うこともないと言うと、馬鹿、との言葉をもらった。


「油断しないでよ。ここには毒を混入させてる輩がいるんだからね」

「あ」

「あ」


間抜けな声が被り、リヴェーダと顔を見合わせる。

昨日イヴェニアが裏で糸を引いていると話していたのに、それがこの国にイヴェニアの手の者がいると意味しているのだと二人とも気がついていなかった。


「それを思えば、甲板で夜を明かすのもありえないね。襲われたらどうするつもりなの」

「海の上で俺に勝てるのはアレクくらいだろ」

「…どうせ忘れてたんだろうけど」


当たりだ。それを示すようにまたエメラルドの瞳が泳いでいた。シュレーは呆れたと深く息をついた。

理由はわからないが毒を混入させている向こうにとっては、治癒能力なんて邪魔でしかないだろう。ただ最悪ルディアナが女神だとわかれば危害は加えられないはずだから、それほど心配する必要はない気もした。


「じゃあ、私は気を付けて帰るわね」

「…ルディの危機管理能力が全く信用ならないから、これ着けてて」

「これは?」


差し出されたのは、トップに球体のついたペンダント。カプセル状の球体は水で満たされていて、昼間の海を閉じ込めた輝くような青だった。

とその時、リヴェーダから何やら慌てた様子で待ったがかかる。


「待て、それ中に入ってるの“お前の水”だろ!」

「そうだけど、悪い?」

「あたりまえだろ、それ渡す意味分かってんのか?」

「…監視ですけど」

「ある意味な!」


リヴェーダが絶句する。シュレーは少し気まずそうにしながらも、ルディアナの手にしっかりとペンダントを握らせた。


「これは肌身離さず身につけること。言っとくけど監視のために渡すのであって、他意はないから」

「他意って、やっぱり何か…」

「他意はないから。いいね?」


埒が明かないので頷き、とりあえずそれを身につける。そしてそのまま二人と別れた。


「…これ、何なのかしら」


見たところ水以外は入っていないし、加護が関係しているのだろうとは思うが、監視のためにつけるというのも不思議な代物だ。

でも気になるのは、リヴェーダの反応よね。

城へと続く道を歩きながら、満足そうに頷くシュレーと何とも言えない顔をしたリヴェーダを思い出しては首を傾げた。


ペンダントのお陰か無事城にたどり着いたところで、庭園の中に見慣れた姿を見つけ足を止めた。流れるような蒼銀の髪、間違いなくアレクシスだ。昨日までなら、ここから足早に立ち去っただろう。けれど、今は。


「アレクシス陛下」

「ああ、おはようございます」


少し不思議そうな顔で応じたアレクシスに多少拍子抜けしつつ、やはり緊張に似た体の違和感を感じた。苦手意識は薄れたとはいえ、相手の意識も変わった訳ではないのだ。報告でさえシュレーに任せていたのに急に自ら話しかけるなんて、不審に思われたかもしれない。注意深く表情を伺えば、しかし、そこに警戒の色は見つけられなかった。それどころか彼は少し躊躇った後に、薄く笑みが浮かべた。


「昨夜はリヴェーダが無理をさせたようで申し訳ない。私も夜のうちに気づければよかったのですが」

「そんな私も寝てしまって…ご心配お掛けしてすみません」

「構いませんよ、もうシュレーから雷を食らったでしょうし」


シュレーから事情を聞いたわけではなく、船に気づいたのがアレクシスだったらしい。穏やかに話す彼からはやはり敵意は感じず、ルディアナ自身が苦手だと思うあまり彼の一挙一動に過敏になりすぎていたのだと気づいた。

それならば、これから信頼関係を築くのもそう難しくはないかもしれない。


「そういえばこれシュレー君から貰ったのですけど、何なのでしょうか?」


この際どうせだから聞いてみようと受け取ったそれを見せれば、アレクシスに形容しがたい微妙な表情が浮かんだ。リヴェーダも変な顔をしていたし、やはりただの装飾品ではないのだと確信する。だが二人の反応を見るに、悪いものとも言えないのが不思議なところだ。


「それについて、シュレーは何と?」

「監視のために渡すのであって、他意はないからって言ってました」


シュレーに言われた通りに伝えればアレクシスは苦笑を溢した。


「簡単に言えば、そちらの国でいう婚約指環のようなものですよ」

「婚約!?」


それならばリヴェーダの反応に納得がいく。どっちが奇行を繰り広げているのだと、ルディアナは思わずこめかみに手を当てて呻いた。


「ああ、もちろん本人の言うとおり監視に使おうと思えば、使えますが」


フォローなのかわからない言葉を続けたアレクシスは、肩を震わせながら、しかし我慢できなかったのか終いにはくつくつと笑いをこぼした。


「はあ…」


控えめに笑うその姿に、ルディアナはすっかりと緊張が解けてしまった。彼もこんなことに笑うのだと、そんな当たり前のことに今ようやく気づいた気がした。


「シュレーには私から返しておきましょうか?」

「いえ…自分で返しておきます。そんな大切な物ならなおさら」

「では部屋まで受け取りにいかせましょう」


アレクシスは脱力しきったルディアナにひとしきり笑うと目尻に浮かんだ雫を指先で拭った。次いで、気が弛んだように何気なくふわりと、その薄い唇が弧を描く。これまで見てきた凛とした雰囲気が消えたアレクシスは近寄りがたいとは思えず、ごく普通の青年にみえた。いや、これだけ容姿端麗なのだから普通ではないのだが。


「ありがとうございます」


気がつけばルディアナも頬を弛めていた。

やはり苦手意識を持つには、早すぎたのだ。今は信頼されていないかもしれないけれど、そんなものは当然だ。これからゆっくりお互いを知る努力をし、歩み寄ってみればいい。ルディアナにとってこの人は敵じゃない。この人の守りたいものはルディアナと何ら変わらないのだから。時間はかかってもそう伝えていけばいい。そうしたならいつか、どうすることも出来ない過去や国同士のいさかいを越えてひとりの人間として向き合えたなら、良い関係だって築けるかもしれない。


「ところでアレクシス陛下、明日はお時間ありますか?」

「ええ、大丈夫ですが…何か用事でも?」

「いえ。ただお話しがしたいのです。お茶でも飲みながら、どうでしょう?」


深青の瞳がすっと細められる。その瞳は、けして冷たくなんかない。


「それは、とても素敵なお誘いですね。私もいくつか貴方に聞いてみたいことがあります」


そう言った彼の口元はまた、緩く弧を描いた。

見上げた空にはシュレーたちの降らせた雨が大きな虹を描いていた。

かなり長めになりましたが少し明るい未来が表現できてるといいかなと思います…

次話も出来ているので近日中に推敲して上げたいです。

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