第七十五話 動かない軍隊
街道を、逆に歩いていた。
かつてこの道を下った。
二百五十を率いて、川へ向かって。
旗を立て、隊を組んで、一日で下った。
今は同じ道を、逆に上っている。川を背に、王都へ。
ヴォルスは後ろを見た。
元捕虜が歩いている。
ヴォルスが率い、負け、捕らわれた男たちだ。
後ろにベルタの冒険者が続く。ガドがいる。
道々で村の者が加わっていた。
鍬を担いだ男。荷を負った女。数は朝より増えている。
軍人の癖で、数えようとした。
やめた。
数えて、どうする。この列に隊列はない。逃げれば撃つ者もいない。
抜ければ家族が消える鎖も、もうなかった。
誰も、何にも縛られていない。
それでも、朝より増えている。
——頼む、守ってくれ。
あのとき、そう言った。
鎖を逆さにして、兵の口を縛った。
密告すれば、真っ先にお前の家族が消える。
だから黙れ、と。
守ってくれとは、そういう意味だった。
その答えが、この列だった。縛りが解けても、歩いている。
◇
丘を越えると、王都が見えた。
ヴォルスは足を止めた。目が勝手に読みはじめる。
煙突の煙が少ない。
この寒さで、あの数は少なすぎる。
炊き出しの竈が動いていない。
城の中に、兵糧を炊く口がほとんどない。
門は閂。跳ね橋は上がっている。
だが狭間に対して、弓が足りない。
立っている影が、狭間の数に届いていない。
——これは、戦にならない。
職業の目がそう言った。
攻めるまでもない。囲んで待てば、落ちる。
かつて自分が、同じ計算でいくつもの村を落とした。
城壁の上に、兵が並んでいた。
少ない。
だが乱れていない。間隔が揃っている。
逃げる構えでも、崩れる列でもない。
ヴォルスはその意味を読んだ。読めたのは、たぶんこの列で自分だけだった。
あれは敗残ではない。
最後まで勤めるつもりの、数だ。
◇
勧告を出すつもりだった。
出る前に、門の内側で足音がした。
二人分。奥から来て、城壁の下で止まり、また奥へ去っていった。
命令を運んできた者だろう、とだけ思った。
足音が消えて、城壁から声が降ってきた。
「命令は、迎撃だ」
老将だった。
歳のわかる声だった。城壁の縁に立っている。
声は張っていない。それでもよく通った。
間があった。
「命令では、八百」
老将は続けた。
「立っているのは、六十だ」
投降とは言わなかった。降るとも、開けるとも。
ただ数を正確に読み上げた。
上官に上げるように、事実だけを。
◇
列の中から、最初の一人が前へ出た。痩せた男だ。
城壁を見上げて、息を長く吸った。
「東谷のダルスだ! 生きてる!」
城壁の上で、一つ、影が動いた。
老いた男が続いた。
「ミューベルの、ラグだ! 死んでない! ここにいる!」
列の中で、冒険者が一人、拳を握った。声は、出さなかった。
また一人、また一人。名と、村と、生きているという一言。
国が戦死と書いた側の名だった。書かれた当人が、名乗り返していた。
城壁の兵は、死んだはずの男たちの顔を、見下ろしていた。
城壁の上で、最初の音がした。
金属が石畳に触れる音。
槍が一つ、置かれた。
また一つ。
叫びはなかった。号令もなかった。
ただ武器が下ろされていく音が、続いた。
それだけだった。
◇
門が開いた。
閂を外す音がして、跳ね橋が下りてきた。内側から、誰かが開けたのだ。
誰も入らなかった。
列は止まったままだった。前へ出る者はいない。ヴォルスも動かない。
これは城を取りに来た軍ではない。取りに来たなら、門はとうに破られている。
隣にアデルが立っていた。
いつの間にか来ていた。帳面を抱えている。
門を見ていた。
「数えたか」
ヴォルスは言った。
「数えた」
アデルは門から目を離さなかった。それ以上は言わない。
十年、この男は数えてきた。
ヴォルスが率いた兵の、生き死にを。言わなくても通じる。
アデルが帳面を抱え直した。
門を見ている。くぐる、その前の顔だった。
だが、まだ動かなかった。
◇
門は開いていた。
誰もくぐらなかった。
丘の上の列も、城壁の上の六十も、動かない。
開いた門を挟んで、両側が止まっている。
——恐怖は、六十人しか立たせられなかった。
風が跳ね橋の鎖を、静かに鳴らした。




