第七十三話 幕間:静かな部屋
王都の冬は、去年より静かだった。
執務室の火鉢が消えかけている。
炭は、足させなかった。
今年は、去年より炭が高い。
ヴァルクは、その値も知っていた。
机の上に、報告の束。
北の属領、滞りなし。
東の街道、滞りなし。
ヴァルクは、読まなかった。
読まなくても、そこに何が書いてあるかはわかっていた。
順調、と書いてある。
みな、そう書くことを学んだ。
悪い報せは、もう何年もこの部屋に入ってこない。
——一人を、除いて。
◇
その男は、いつも通り、悪い報せを持ってきた。
長く仕えた男だ。
ヴァルクがまだ玉座と呼べるものを持つ前から、そばにいる。
白いものの混じった頭を、この部屋で下げない。
頭を下げない、最後の一人だった。
「脱走が、止まりません」
男は言った。
「属領の村が、動いています。逃げた兵の家が、繋がりはじめている。……こちらの名簿が、読まれています」
ヴァルクは、頁を繰った。
「報告は、順調と、来ている」
「あれは、嘘です」
男の声は、静かだった。
「みな、あなたに殺されたくないから、順調と書く。私は、それを書けと言われた側の人間です。ですから、知っています」
ヴァルクは、手を止めた。
「順調と、お書きになってはなりません」
男は続けた。
「今、手を打てば、まだ——」
そこで男は、ヴァルクの目を見た。
見て、口をつぐんだ。
長く仕えた男は、ヴァルクの目に何を見たのだろう。
◇
ヴァルクは、手を上げた。
それだけで、済んだ。
戸口の兵が、二人。
男は、抵抗しなかった。
抵抗しないことが、
その男の最後の忠義だったのかもしれない。
引きずられていく足音が、廊下の奥へ消えていく。
戸が、閉まった。
部屋が、静かになった。
◇
ヴァルクは、報告の束に目を戻した。
北の属領、滞りなし。
署名した。
東の街道、滞りなし。
署名した。
三枚目で、手が止まった。
——順調と、お書きになってはなりません。
さっきの声が、部屋のどこかに残っていた。
ヴァルクは、顔を上げた。
「なぜだ」
誰も、いなかった。
「今、手を打てば、と言ったな。何を、打つ。言ってみろ」
火鉢の炭が、音もなく、崩れた。
ヴァルクは、しばらく返事を待つ。
返事は、なかった。
「……そうか」
ヴァルクは、頷いた。
反論が、ない。
反論がないなら、それは正しいということだった。
この部屋では、昔からそうだった。
黙るということは、認めるということだ。
いちばん物分かりのいい部下を、今日、手に入れた。
ヴァルクは、三枚目に署名した。
順調、と。
◇
雪が、降っていた。
石の色の街に、音もなく積もっていった。
ヴァルクは、火鉢に手をかざした。
炭は、もう消えている。
冷たかった。
それにも、気づかない。
呼べば、誰か来る。
ヴァルクは、そう思っていた。
長いこと、そう思ってきた。
呼ばなかった。
呼ぶことが、もう何もない。
部屋は、静かだった。
いちばん、静かだった。




