第六十六話 幕間:綺麗な帳簿
王都ランバルトの冬は、石の色をしていた。
執務室に、火鉢が一つ。
ヴァルクは、炭を足させなかった。炭は、金だった。
国庫の帳簿を毎朝読む男は、自分の部屋の炭の値段も知っていた。
机の上に、報告の束があった。
北の属領、滞りなし。
東の街道、滞りなし。
徴税、予定の九割五分。
ヴァルクは速く読んだ。読んで署名した。
報告は、みな整っていた。
昔は違った。数字は乱れ、言い訳が並び、報告に来る男たちは、悪い報せを紙の奥に隠した。
ヴァルクはそのたびに一人ずつ消した。
隠した者を。
飾った者を。
いつからか、悪い報せそのものが来なくなった。
みな学んだのだ。
そう思っていた。
◇
年の締めの帳簿が来た。
国庫の男が、机の端に立っていた。目を伏せて、手を前に組んで、置物のように動かなかった。
この部屋での正しい立ち方を、知っている男だった。
数字は、赤かった。
戦は金を食う。属領の巡回も金を食う。取り立ては九割五分入り、それでも赤かった。
ヴァルクは頁を繰った。
兵籍の欄で手が止まった。
行方不明、四百十二名。
「多いな」
国庫の男の肩が揺れた。
ヴァルクはそれきり黙って、頁を二枚繰った。
「炭が、上がっているそうだな」
ヴァルクは、帳簿から目を上げずに言った。
「北の山の炭が、去年より二割高い。焼き手が、兵に取られたからだ。道理だ」
国庫の男が、返事の言葉を選び終えるより前に続けた。
「焼き手が減れば炭が上がり、炭が上がれば冬の死人が増え、死人が増えれば、扶持を食う口が、勝手に減る」
頁を繰った。
「——それでも、足りん。戦死に落とせ。半年より古いものは全部だ」
「……御意」
「遺族の扶持も締めろ。年の内に」
紙が下がっていった。
四百十二の名が、あの紙の中でこれから死ぬ。ヴァルクはそれを数字として見ていた。
四百十二人分の扶持。冬を二つ越せる額だった。
◇
最後に西の束を取った。
ガルディア戦線。
膠着。
損害軽微。
冬営に入る。
物資の消費、帳簿の通り。
ヴァルクは読んだ。
読み終えて、もう一度最初から読んだ。
数字が合っていた。
兵站の出と、前線の消費が、粒まで合っていた。
損耗の報告と、補充の要求が狂いなく噛んでいた。
完璧な帳簿には、二通りある。
真面目な男が書いたものと、嘘を隠す男が書いたものだ。
ヴァルクはそれを知っていた。自分がその両方を書いたことのある男だからだ。
署名の欄を見た。
兵籍係。あの男だった。滅ぼした国の宰相の息子。使えるから、生かした。
十五年一度も数字を間違えず、一度も目を上げずに書き続けてきた男。
ヴァルクはしばらくその署名を見ていた。
何かが、指の先に引っかかっていた。
形にならなかった。数字は合っている。合っている数字を疑う理由が、ない。
冬に戦が止まる。膠着は、道理だ。
それに——あの男は、恐怖を知っている。
父親が消される音を、隣の部屋で聞いた男だ。恐怖を知っている人間は、裏切らない。
この国は、それで回ってきた。十五年それで回ってきた。
ヴァルクは署名した。
順調、と。
◇
窓の外で、雪が降っていた。
石の色の街に、音もなく積もっていった。
この雪は、西の戦線にも降っているはずだった。膠着した川の、両岸に。
ヴァルクは火鉢に手をかざした。
炭が一つ、小さく崩れた。
部屋は静かだった。
誰も、話しかけてこない。呼ばなければ、誰も来ない。
ヴァルクはその静けさを、統治が行き届いた音だと思っていた。
長いこと、そう思ってきた。
雪が、降り続いていた。




