表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
70/77

第六十五話:まだら

声は、夜ごとに届けられていった。

ドッズが村を回り、石を置き、納屋から声が渡った。


ケンジは帳面に印をつけていった。

信じた家に、丸。


三日で、丸が四つ並んだ。

泣いた母親がいた。

何も言わずに、ただ息子の名を呼び続けた父親がいた。

弟が出て、兄貴は死んだはずだと言い張って、子供の頃に二人で埋めた犬の名前で、崩れた家もあった。

四つ目の丸の隣に、ケンジは初めて別の印をつけた。


ロズの家だった。

二十人の中で一番若い男だった。

橋で流された時のことを、ほとんど覚えていないと言った。

気がついたら葦の中にいて、気がついたらラルタの納屋にいた、と。

石の向こうに出たのは父親だった。


『……誰だ』


「父さん。ロズだ」


石の向こうが黙った。

長い沈黙のあと、返ってきた声は低かった。


『……化物の術か』


「父さん、違う。俺だ。裏の畑の、石垣の下に銭を隠してた。父さんに内緒で。三枚——」


『黙れ』


震えていた。怒りではなかった。

怯えだった。


『息子は死んだ。役場が言わんでもわかっとる。戦に取られて三年、文の一枚も来んのだ。死んどるんだ』


「父さん」


『死んだ者の声を石ころが喋る。そんなもんは、まともなもんじゃない。……うちに化物の道具を持ち込むな。二度と騙りに来るな』


ロズの口が開いたまま止まっていた。

納屋の火が、爆ぜた。


ケンジは動かなかった。

決めた枠の中に、この場面で言える言葉はなかった。


ロズが目を閉じた。

それから静かに言った。

「……そうか。わかった」


息を一つ吸った。


「なら、死んだと思っててくれ。その方がいい。……達者でな、父さん」


石が静かになった。

ロズは石を布に包んでケンジに返した。手つきは丁寧だった。


「いいんです。あれで」


誰も何も言わないうちに先に言った。

「親父は、昔からああなんです。目に見えんもんは、全部化物なんです。……怯えて、生きてきた人だから」


毛布に戻って壁を向いた。

その背中にかける言葉をケンジは持っていなかった。

帳面の、ロズの家の欄に印をつけた。

丸ではない印を。



雪が、根雪になった。

ドッズは薪売りとして村々を回り続けた。冬は薪が売れる。怪しまれない季節だった。

十日目の夜、同じ耳の石が道のことではない報せを一つだけ運んだ。

決めた枠の、ぎりぎり内側の言葉だった。


『黒い布が出てる。三軒』


喪の布だった。

役場の紙が、村に届き始めていた。



翌日、本陣との石にアデルの声が来た。


『書き換えが、始まった』

いつも通り乾いた声だった。


『二十人全員だ。行方不明から戦死へ。役場から紙が行く。扶持は、月が変われば切れる』


「早いですね」


『年の締めだ。帳簿を綺麗にしたい者が、上にいる』


紙一枚で人が死ぬ。十年、その紙を書いてきた男の声は平らなままだった。ただ、少しだけ間を置いて付け足した。


『……ダルスの家は』


「昨日、喪の布が出たそうです。三軒のうちの一軒だと思います」


石の向こうで、短い息の音がした。


『見事な婆さまだ』

それだけ言って切れた。


息子が生きていると知りながら、役場の紙を受け取り、布を出し、死んだ息子の母を演じている。

あの夜、声を殺して泣いた母親が、今は村中の目の前で正しく泣いてみせている。

ケンジは帳面のダルスの家の丸を見た。

丸の意味が、重くなっていた。


その夜だった。

奥の部屋で、返された石が震えた。

ケンジは手を止めた。

ロズの家の石だった。布に包まれて、棚に置かれたままの石。こちらからは誰も呼んでいない。


ケンジは納屋に走った。

ロズは起きていた。石を見せると顔から血の気が引いた。

受け取るまでに長い時間がかかった。

蓋を開けた。


『……ロズかい』

女の声だった。


父親ではなかった。

『ロズ。ロズなんだね。……母さんだよ』


「……かあ、さん」


『紙が、来た』

声が揺れていた。


『あんたが死んだって、紙が来たんだよ。役場の男が置いてった。父さんはそれを見て、一晩口をきかなかった。それで、朝になって言ったんだ』


息を吸う音がした。

『——石は、どこだ、って』


「……親父が?」


『あの晩、あたしが隠しといたんだ。捨てろって言われたけど捨てられなくてね。……父さんはね、ロズ。紙を見て、気づいたんだよ。死んだ人間の声なら化物の術かもしれん。けど、国が今ごろ死んだと言ってよこすなら——あの晩の声は、生きとる人間の声だったんだ、って』


ロズの手が震え始めていた。

石の向こうで音がした。石が誰かの手に渡る音だった。


『……ロズか』

父親だった。


「……父さん」


長い沈黙が、あった。

あの晩と同じ沈黙だった。でも、中身が違うことは、石越しでも、わかった。


『……生きとるんだな』


「生きてる」


『そうか』


それきり父親は黙った。何かを言おうとして、言えずにいる息づかいだけが続いた。

謝る言葉を、この父親は持っていない。

ロズが言った通りの、怯えて生きてきた人だった。

代わりに出てきた言葉は、これだった。


『……税は、毎年きっちり取り立てに来よった。息子は、紙切れ一枚か』


低い声だった。

怯えは、消えていた。


『生きとるお前を、死んだことにして、扶持を切って、それで終いか。国っちゅうのは、そういうもんか』


「父さん」

ロズが石を握り直した。


「動くな。何もするな。紙は、受け取れ。葬式も、出せ。……頼む。今は、死んだままの息子でいさせてくれ」


『……いつまでだ』


「終わるまで」


「……俺も、終わらせる側にいる。だから、待っててくれ」


父親は、しばらく黙った。

それから言った。


『……なら、はよう、しろ』

石が、切れた。



ロズは、石を握ったまましばらく動かなかった。

それからケンジを見た。


「……印、つけ直してもらえますか」


ケンジは帳面を開いた。

ロズの家の欄の、丸ではない印の横に丸をつけた。

二つの印が並んだ。信じなかった印と、信じた印。

消さずに両方残した。

これが、まだら、ということだった。


一度で届く家。

届かない家。

国の紙が届いて、初めて声が本物になる家。


アデルの言った通りだった。国がつけた傷を、こちらが塞ぐ前に、誰が傷をつけたのかを、家族が見る。

役場の紙は二十人を殺した。そして、殺したことで、石の声を証明してしまった。


ケンジは帳面を見下ろした。

丸が、五つ。

そのうちの一つは、怒りの形をしていた。


はよう、しろ。


あの父親の声を、ケンジは思い出していた。

怯えて生きてきた男の、怯えの消えた声を。


これが、育つ。


雪の音のしない夜だった。窓の外で、雪だけが、降り続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ