第七話:長屋と道具屋と、うだつの上がらない男
ギルドで働き始めて一週間が経った。朝はテントから起きて、ギルドへ行く。夜はテントに戻る。
キャンプ慣れしているので不便はない。ただ一つ問題があった。
雨だ。
その夜、雨が降った。ワンポールテントは防水だ。中は濡れない。でも朝、泥だらけの地面からテントを撤収するのは面倒だった。
しかも翌朝、ガドに見られた。
「まだテントか」
「はい」
「長屋を探せ」
「探します」
それだけだった。
ガドは多くを語らない。でも言葉の裏に「お前が体調を崩したら困る」という意味があることはわかった。合理的な判断だと思った。
初めての給料をもらった日の昼休み、街に出た。銀貨三枚だった。銅貨換算すると当面の食費くらいにはなる。香辛料を売った残りと合わせれば、しばらくは持ちそうだ。
ギルドから徒歩で動ける範囲に部屋を借りたかった。馬も持っていないし、走れる体でもない。
街を歩きながら自然に観察してしまう。
食料品の値段が高い割に栄養が偏っている。肉と穀物ばかりで野菜が少ない。武器屋の在庫が多すぎる。回転率が悪そうだ。仕入れのタイミングを見直せば——
職業病だな。
どこに行っても改善点を探してしまう。
路地を一本入ったところに、手書きの看板が出ていた。
「長屋あり 道具屋 アン」
覗いてみると、小さな店の前で白髪のおばあさんが重そうな樽を動かそうとしていた。
あれは一人では無理だ。
「手伝いますよ」
「あら、ありがとうねえ」
二人で樽を動かした。おばあさんは見た目より力があった。私はギリギリだった。
「部屋を探しているんですか?」
「はい。ギルドで働き始めたので、なるべく近い場所を」
「ギルドの? 見ない顔だねえ、冒険者じゃないね」
「受付です」
おばあさんがにこっと笑った。皺が深いけど、笑うと華やかな顔になった。
「ちょうど一部屋空いてるよ。見てく?」
部屋は狭かった。ベッドと小さな机と、窓がひとつ。それだけだ。窓からギルドの屋根が見えた。
「いくらですか」
「銀貨一枚、月払いだよ。朝ごはんはうちで食べていきな、タダで出すから」
「そんな、悪いですよ」
「いいのいいの」アンばあさんが手を振った。「うちの長屋の子たちはみんなそうしてるんだよ。ちゃんと食べてくれないと心配でねえ」
この人は本物だ。
損得じゃなく、純粋に人の世話をするのが好きなタイプ。前の職場でもたまにいた。そういう人の周りにはいつも人が集まっていた。
「お世話になります。ケンジといいます」
「アンだよ。よろしくねえ、ケンジさん」
荷物を運び込んだ。ザックの中身を部屋に広げると、アンばあさんが覗き込んできた。
「なんだいそれ、変わった道具だねえ」
銀マットを手に取った。
「これは?」
「地面の冷たさを防ぐ敷物です」
「こんな薄いのに?」
「薄くても断熱できます」
アンばあさんが不思議そうに触った。
ローチェアを広げたら、アンばあさんが座ってみた。
「……なんだいこれ、楽だねえ!!」
「座りやすいでしょう」
「こんな椅子見たことないよ! 売ってくれないかい?」
「売りません」
「そうかい」アンばあさんが残念そうな顔をした。「ケンジさん、変わった道具をたくさん持ってるんだねえ」
「故郷から持ってきたものです」
アンばあさんが頷いた。それ以上は聞かなかった。
この人は、踏み込まない距離の取り方を知っている。
「そうだ」アンばあさんが窓の外を指した。「うちは長屋だけじゃなくて、道具屋もやってるんだよ。表に出てるから、何か必要なものがあったら見ていきな」
「道具屋もですか」
「そうだよ、冒険者の子たちがよく使ってくれてねえ」
道具屋か。
明日、覗いてみよう。
◇
その夜、アンばあさんに夕食に呼ばれた。
長屋の共用食堂らしい一室に、すでに何人かいた。若い冒険者が三人、それから——
部屋の隅に、一人で黙って酒を飲んでいる男がいた。
ギルドで見た男だ。
ゴルドさんだ。マーサさんから名前は聞いていた。十年選手なのにずっと鉄級だという。
くたびれた革鎧、無精髭、疲れた目。壁に長剣を立てかけている。
前衛の剣だ。
でも、違和感を感じる。
部屋の隅に座っている。でも壁を背にして、出入り口が見える位置を選んでいる。意識してやっているとは思えない。体に染み付いた習慣だ。しかも誰かが動くたびに、微妙に体の向きを変えていた。無意識に、周囲の動きに反応している。
前に出て斬り込む人間の動き方じゃない。
ふと、前の職場の上司を思い出した。
中小企業の小さな会社だった。その上司は怒鳴らなかった。手柄を横取りしなかった。会議中、いつも部屋全体を見渡していて、誰かが詰まると自然にフォローに入った。目立たない人だった。でもその人がいなくなった途端、職場がおかしくなった。誰もが初めて気づいた。あの人が全部見ていたんだ、と。
あの人に似ている。
全体を把握する動き。空気を読む反応。自分を後回しにする癖。場所が違えば、全然違う評価をされる人間だ。
もったいないな。
またその言葉が頭に浮かんだ。
隣の若い冒険者がこちらを見て、小声で言った。
「ゴルドさん、強いのにぱっとしないんですよね。なんか中途半端で」
そうか。
本人も周りも気づいていない。この世界には、まだその概念がないのかもしれない。
「ケンジさん、こっち座りなよ!」
アンばあさんに腕を引っ張られた。テーブルに並んだ料理を見た。
肉、パン、豆のスープ。シンプルだけど、ちゃんとバランスが考えられている。
アンさん、わかっている人だ。
「アンさん、この料理、毎日こんな感じですか」
「そうだよ、うちの子たちにはちゃんと食べさせたくてねえ」
「バランスがいいです。豆も肉も入っている」
「わかってくれる人、初めてだよ! みんな肉ばっかり食べたがってねえ」
「肉も大事ですけど、豆と合わせると体を作る力が上がります。アンさんの料理は理にかなっています」
アンばあさんが嬉しそうに笑った。
その時、ゴルドが空の皿をアンばあさんに差し出した。無言だった。おかわりの意思表示らしかった。
アンばあさんが嬉しそうにスープをよそった。
「ゴルドさん、今日もよく食べてくれるねえ」
「……うまいから」
ぼそっと言った。アンばあさんへの感謝の表し方が、それだけだった。
お人好しだ。
言葉は少ないけど、ちゃんと伝えようとしている。
でも顔色が悪かった。アンばあさんの料理をちゃんと食べているのに、顔色が悪い。
睡眠か、あるいは——
依頼の詰め込みすぎか。ギルドの記録を思い返した。ゴルドさんの依頼、今月だけで何件だっただろう。
明日、台帳を確認しよう。
私はスープを飲んだ。アンばあさんの作ったスープは、どこか懐かしい味がした。
◇
翌朝、アンばあさんの道具屋を覗かせてもらった。
松明、ロープ、保存食、革袋、簡単な包帯。冒険者向けの実用品が並んでいる。
悪くない品揃えだ。でも——
保存食が硬いパンと干し肉だけだ。包帯は布を切っただけのものだ。傷口を清潔に保つ概念がなさそうだ。水筒は陶器製だ。重い上に割れやすい。
改善できることが山ほどある。
でも今日は言わないことにした。信頼関係もないのに、初日から「ここがダメです」と言うのは違う。まずは、ここで生活することだ。
「いい品物ですね」
「そう言ってくれるとうれしいよ! 何かあったら言っておくれ」
「ありがとうございます」
店を出た。
ギルドまでの道を歩きながら、頭の中でリストを作っていた。直せることが、たくさんある。でも順番がある。信頼が先だ。
いつか、アンばあさんと話してみよう。
いつか、ゴルドさんとも。
そう思いながら、ギルドへ向かった。




