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バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

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第六十一話:冬支度

馬で半日の道だった。

ラルタを出たのは昼を過ぎた頃。納屋の男が、繋がっていない石を握って、帰る、と言った。あの後だった。


日が傾いていた。

ケンジは馬に揺られていた。隣にトール。後ろにカーラとフィン。シバは、ラルタに残った。経路の段取りと、魔石の使い方を二十人に教えるためだった。


誰もしばらく喋らなかった。

納屋の重さが、まだ背中に残っていた。



「ケンジさん」


トールだった。


「はい」


「さっき、納屋で」

トールが馬を少し寄せた。


「あの人たちと喋ってましたよね。シバさんが訳す前に」


「喋りました」


「ランバルトの言葉、ですよね。あれ」


ケンジは少し考えた。

「……そう、なりますね」


「いつ覚えたんですか」


ケンジがトールを見た。

「え?」


「いや、だから、ランバルトの言葉です。いつ覚えたんですか」


「え?」


トールが止まった。

「……ええ?」



馬が二頭並んで歩いていた。


「ケンジさん、ランバルトの言葉、喋れますよね」


「喋れる、というか」

ケンジは言葉を探した。


「通じるので」


「通じる」


「はい。ベルタの言葉も通じるので。同じです」


トールが首を傾げた。

「同じ……じゃ、ないですよ。ベルタの言葉と、ランバルトの言葉は」


「違うんですか」


「違いますよ!全然!」


ケンジは少し考えた。

「……ああ。そういえば、別なんですね」


ケンジにとっては、どちらもただ通じる言葉だった。区別をしたことがなかった。同じに聞こえていた。


トールが真顔で言った。

「俺、ランバルトの言葉、わかりませんもん。捕虜の人と話す時、シバさんがいないと、無理ですもん」


ケンジはその言葉を受け取った。

そういえば、聞き取りの時ミーデルは苦労していたらしい。シバが訳していた。あれはランバルトの言葉が通じなかったからだ。

ケンジには通じていた。その違いに今まで気づいてもいなかった。



この街に来た時から、言葉は通じた。なぜ通じるのかはわからない。わからないまま、困ったことは一度もなかった。

むしろ助かっていた。誰とでも話せた。捕虜とも話せた。

わからなくても、役に立つならそれでいい。理由のわからないものをわざわざ分解しない。いつものやり方だった。


「いつ、でしょうね」

ケンジは言った。


「いや、こっちが聞いてるんですよ!」

トールが言った。


「ええ……気づいてなかったんですか、本当に……」


「通じるので、つい」

ケンジは言った。


それ以上は言わなかった。


後ろで、カーラが馬を進めていた。

「あんたが変なのは、今に始まったことじゃないでしょ」


聞いていたらしい。それだけ言って、また黙った。

フィンがわずかに頷いた気がした。気のせいかもしれなかった。

トールだけがまだ、「ええ……」と言っていた。



日が落ちかけていた。

ベルタの塀が遠くに見えてきた。

半日の道が終わろうとしていた。


ケンジは塀を見ていた。

言葉のことは、もう考えていなかった。冬が来る。やることがあった。

塀の門に、灯りが点り始めていた。



翌朝のギルドは、人で埋まっていた。

依頼ボードの前に列ができていた。冒険者だけではなかった。組合の者、王都兵まで、混じっていた。


ケンジが入るとティナが駆け寄ってきた。

「ケンジさん!戻ったんですね、おかえりなさい!」


「ただいま戻りました。これは」


「冬支度です!みんな、雪が降る前に、って」


ティナがボードを指した。依頼票がはみ出していた。

「薪割り、屋根の補修、保存食の手伝い、塩の買い付けの護衛……朝からずっとこれで」


「人が多いですね」


「増えましたから。元捕虜の人と、王都の兵隊さんと。すごく増えて。でも、その分頼みたいことも増えて」


ティナが少し笑った。


「ラルタの人たちは村に帰りました。家を直して、畑も、漁も、戻すって。だから今は、こっちの人手が足りないくらいで」


「忙しいのいいことですよね。戦ってる時より、ずっと」


ケンジはボードを見た。

戦の依頼は一枚もなかった。全部暮らしの依頼だった。


列が途切れた隙に、ケンジは執務室を覗いた。

空だった。


「ガドさんは」

通りかかったマーサに聞いた。


「朝から出てるよ。王都兵の宿の割り振りだの、飼葉の手配だのでねえ。兵隊さんが増えると、ああいうのが全部ギルド長のところに来るからねえ」


「レイモンドさんも一緒ですか」


「町長さんも朝から捕まってるだろうねえ」


ケンジは頷いた。

川向こうで決めてきたことは、まだケンジの帳面の中にしかなかった。ベルタの誰も、知らない。

一日は待てる。二日は待ちたくなかった。

ティナに言付けを頼んだ。ガドが戻ったら、夜に時間が欲しい、と。



カウンターにミーデルがいた。

帳面を三冊、開いていた。

「ケンジさん。お戻りで」


「ミーデルさん。留守をありがとうございました。捕虜の食事もラルタの手配も」


「やることをやっただけです」

ミーデルは顔を上げなかった。ペンが止まらなかった。


「確認しておきました。気になると思ったので」


「食料、ですか」


「はい」

ミーデルが一冊をこちらに向けた。


数字が並んでいた。人口。一日の消費。蓄えの残り。

「人が増えましたから、王都兵も駐留しています。食べる口は、正確には、戦の前の一・八倍です」


「蓄えは」


「今の消費ならあと三十八日分。雪が積もって買い付けが止まれば、もっと短くなります」

淡々としていた。脅かす言い方ではなかった。数字を読み上げているだけだった。


「狩りで肉が入る前提でした。記録の上では。ですが」

ミーデルがペンを止めた。


「冬は魔獣が減るそうです。ゲッツさんに確認しました。狩りで埋める、という見込みは立てられません」


ケンジはその数字を見ていた。

橋の前に、兵を数えた。あの時と同じ計算だった。今度は、人を食卓のために数えていた。


「教えてくれて助かります」


「いえ」

ミーデルがまたペンを動かし始めた。


「足りないと数字に出ています。報告しないわけにはいきません」



「ケンジさん」

奥から声がした。

ジンだった。手に布を持っていた。布の上に石が並んでいた。


「魔石進みました」


「ありがとうございます、見せてください」


ジンがカウンターに布を広げた。

対の石がいくつもあった。前よりずっと多かった。


「十二組できました。前より、無駄になる魔石が減ったんです。ゲオルクさんの割り方だと、ちゃんと聞こえるようになる分が多くて」


「十二組」


「はい。でも」

ジンが少し声を落とした。


「ケンジさん。ラルタのあの人たちの石ですよね。本番の」


ケンジがジンを見た。

ラルタの納屋で男が握った石は、繋がっていなかった。練習用だった。本番はペアの片方を男の故郷に届けてから。


「シバさんから魔石で聞きました。故郷に、もう一つの石を届けるって。だから、対になってる石がいるって」


「はい」


「届ける片割れは用意できます。十二組ありますから。でも」

ジンが耳をすませる仕草をした。あの独特の仕草だった。


「届けて、繋がるかどうかわからないんです。距離が遠すぎて。今まではラルタまでしか試してない。国境の向こうまで届くかは……やってみないと」


ケンジはその言葉を受け取った。


「届けてみて繋がらなかったら」


「その時はその時で、別の手を考えます。でも」

ジンが石を一つ手に取った。


「繋がってほしいです」

ケンジは頷いた。


「シバさんが戻ったら相談します。どの石を、どの順番で運ぶか」


「はい」

ジンが石を布に戻した。


それから、ぽつりと言った。

「練習、してるんですよね。あの人たち。繋がってない石で」


「しています」


「……早く、繋いであげたいですね」


ケンジは答えなかった。

代わりに帳面に書いた。


魔石、ペア十二組。

国境越えの通信、未検証。

シバ帰還後、運搬の順番を相談。


書きながら思った。

ラルタの男の「練習」が、いつ「本番」になるか。それは、この石が国境の向こうまで、声を届けられるか、にかかっていた。

まだ誰にもわからなかった。



昼はアンばあさんの食堂で取った。

湯気の立つ椀を、どん、と置かれた。根菜の汁だった。


「ほら、食べな。馬で半日何も食ってないんだろ」


「いただきます。アンさん、ひとつ聞いてもいいですか」


「なんだい」


「冬の食料です。今まで、冬をどうやって越してきたんですか」


アンばあさんがお玉を持ったままケンジを見た。

「あんた、それを聞くのかい」


「初めての冬なので」

ケンジは言った。嘘ではなかった。


アンばあさんが少し笑った。それから、隣に腰を下ろした。


「冬はね、穫るもんじゃないんだよ。蓄えるもんさ」


アンばあさんが指を折った。

「秋までに、穫れるだけ穫る。干して、燻して、塩漬けにして、穴蔵に詰める。根菜は土に埋めときゃ、凍らずに保つ。そうやって雪の下で春まで食いつなぐのさ」


「家畜は」


「冬の前に数えるのさ。何頭冬を越させるか。越させられない分は、潰して肉にする。乳と卵を出すやつは残す。残りは腹に入れる。冷たい話だけどね、飼料にも限りがあるから」


数える、という言葉に、ケンジは引っかかった。ミーデルの帳面と同じだった。

「それで、足りるんですか」


「足りない年もあったよ」


アンばあさんの声が低くなった。

「雪が長いと、蓄えが先に尽きる。そういう年は、痩せて春を待つのさ。死ぬ年もあった。昔はね」


椀の湯気が立っていた。


「だから、あんたが人を増やしたのは——」

アンばあさんがケンジを見た。責めてはいなかった。


「いいことさ。でもその口の分、冬は重くなる。わかってるね」


「はい」

ケンジは頷いた。ミーデルの三十八日という数字が、頭にあった。



「薬草はどうですか」

ケンジが聞いた。


アンばあさんの顔が曇った。

「それがいちばん困るのさ」


「採れなくなるんですか」


「枯れる。雪に埋もれる。冬のあいだは、もう生えてるものは当てにできない。だから、薬草師は、秋のうちに採れるだけ採って、干しておくのさ。でも」


「足りなく、なる」


「怪我人が出る。病人が出る。産む女もいる。そういう時に、薬が切れてると——」

アンばあさんは最後まで言わなかった。


ケンジはその沈黙を覚えておいた。食料より、こっちの方が命に近い。乾燥させた薬草を、どう、湿気とカビから守って、冬じゅう保たせるか。炭が使えるかもしれない。ヴェタ家の。

考えを頭の隅に置いた。



「魚なら、冬でも穫れますよ」

声がした。


入り口にマルコが立っていた。日に焼けた漁師だった。


「マルコさん。ラルタにいるかと」


「定期便で来ました。ラルタの魚をこちらに回す相談で。ケンジさんに会えてよかった」


マルコが腰を下ろした。


「ベルタの川は流れが速い。冬でも凍りません。だから、漁はできます。むしろ、冬は魚が肥える。脂が乗りますよ」


「蟹は」


「ああ、あれは」

マルコが少し苦笑した。


「ケンジさんに食えると言われた時は、まさか、と思いましたが。うちの村じゃ、今でも誰も食べません。でも、ベルタでは売れるんでしょう。だから、穫って、回してます。自分じゃ口にしませんが」


「もったいない」


「そう言われても、ねえ」

マルコが笑った。


「冬の川でよく見かけます。穫る分にはいくらでも。ベルタが食うなら、いくらでも回しますよ。あと、もうじき鮭が上ってきます。初冬の遡上です。あれが来れば、しばらく食うものには困りません」


ケンジの中で数字が動いた。狩りで穫れない肉の分を、川が、埋める。ラルタの漁を定期便でベルタへ。前線の村が、自立して街に魚と蟹を回す。


「マルコさん。それ、依頼として回せませんか。ラルタの漁をベルタの食料に。定期便で」


「ええ、そのつもりで来ました。話が早くて助かります」


「あとは、鳥ですね」

ケンジが言った。


「森にいますよね。冬も。ええと——ポポは、冬も獲れますか」


場が止まった。


マルコがケンジの方を見た。それから、少し声を落とした。


「……ケンジさん。それ、もしかして、風置鳥のこと、ですか」


「え?」


「ポポ、というのは、子供らの言い方でしてね。鳴き声が、ポポッ、ポポッ、と聞こえるので。小さい子がそう呼ぶんですよ」


ケンジは止まった。

休日に、子供に教わった。ポポって鳴くからポポ。あれは——正式な名前じゃ、なかったのか。


「あ。そういう、名前なんですね。風置鳥」


その時だった。

汁をすすっていたカーラが、椀から顔を上げず低い声で言った。


「そうでちゅねー」


ケンジがカーラを見た。


「ポポでちゅねー」


トールが噴いた。マルコが肩を揺らした。アンばあさんが声を上げて笑った。

ケンジが魔力を練り上げ、表情筋に集中させた。


カーラはもう普通の顔で汁をすすっていた。


「いや、子供に、教わったので」


「そうでちゅねー」


「カーラさん」


「ポポなんでちゅよねー」


橋を落とした軍師が、昼の食堂で赤ちゃん言葉であやされていた。



笑いが収まった頃、ケンジは椀を置いた。

頭の中で、冬が形になりつつあった。


穫れないもの——魔獣の肉、薬草、青いもの。

穫れるもの——川の魚と蟹、初冬の鮭、家畜の乳と卵、罠にかかる風置鳥。


足りない分を、何で、どう埋めるか。蓄えを、どう保たせるか。炭が、薬草と肉を、湿気から守れるか。

一人で抱える話ではなかった。漁はマルコ、保存はアンばあさんと薬草師、炭はヴェタ家、罠は——森を歩ける者。狩りで稼げない冬はいろんな手を組み合わせて、越える。


組み合わせて、回す。

それはケンジのいつもの仕事だった。


「アンさん。マルコさん。助かりました。午後から手を打ってみます」


「気張りすぎるんじゃないよ」

アンばあさんが椀を片付けた。


「あんたが倒れたら、元も子もないんだから」


ケンジは頷いて立ち上がった。

昼休みが終わろうとしていた。

ギルドへ戻る。



ギルドの扉を開けた。

カウンターの前に二人、立っていた。

ゴルドだった。

その隣に、もう一人。


ラグだった。


湯屋で、再会した男だった。ゴルドの兄。死んだと思っていた、橋の組の元捕虜。

前に見た時より、顔色がよかった。痩せてはいたが立っていた。自分の足で。

ただ、目だけが落ち着かなかった。カウンターのケンジを見て、ボードを見て、また足元を見た。ここにいていいのか、と聞くような目だった。


ゴルドが口を開いた。

「ケンジさん」


「はい」


「依頼、受けていいか」


短い男だった。昔から言葉が少ない。


「兄貴と、二人で」


ケンジはボードを見た。それから、ゴルドとラグを見た。


「もちろんです」


あっさりだった。

ゴルドが少し止まった。何か言われると思っていたのかもしれない。

元捕虜を連れてくることに、一言、あると。

なかった。


「何の依頼にしますか」


「……雪白兎」

ゴルドが言った。


「雪が降る前の。軽いやつだ。兄貴、まだ本調子じゃねえ。肩慣らしに」


「いい選びです。雪白兎は冬も獲れますし危なくない。冬の食料にもなります、たくさんお願いします」


ケンジは帳面を開いた。受注の帳面だった。

ペンを取った。

「お二人の名前を」


「ゴルドだ」


「ゴルドさん、と」

書いた。それから、顔を上げた。


ラグを見た。

ラグは答えなかった。口を開きかけて閉じた。自分の名前をここに書いていいのか、わからない、という顔だった。


「お名前を」

ケンジはもう一度言った。穏やかに。ギルドの職員として。


「……ラグ」

掠れた声だった。


「ラグだ」


「ラグさん」

ケンジは書いた。


ゴルド。ラグ。

捕虜、とは書かなかった。元捕虜とも。ただ、名前を二つ並べて書いた。冒険者の依頼の欄に。


「ラグさん。一つ、手続きが要ります」


ラグの肩が強張った。


「冒険者登録です。依頼を受けるには登録が要るので。ベルタの冒険者ギルドに、名前を登録します」


「……俺が、か」


「はい」


「俺は、捕虜だ」

ラグが言った。声が震えていた。


「ランバルトの兵だった。あんたらを攻めた。その俺がベルタの——」


「依頼を受けるなら、登録が要ります」

ケンジは繰り返した。


「決まりなので。未登録ですと依頼を受けられません。でも登録したら受けられます。だから登録してください」


ケンジは情を込めなかった。もう敵じゃない、とも、仲間だ、とも、言わなかった。

ただ、決まりを説明した。依頼を受けるには、登録が要る。当たり前のことを、当たり前に。


ラグがケンジを見ていた。

それからゴルドを見た。

ゴルドは何も言わなかった。ただ、兄の横に立っていた。


「……いいのか」

ラグが下を向きながら言った。誰に聞いたのかわからなかった。ケンジにか、ゴルドにか、自分にか。


「登録、お願いします」

ケンジは帳面の別の紙を出した。冒険者の登録の紙だった。


「ここに、名前を。書けますか」


ラグの手が伸びた。

ペンを握った。手が震えていた。納屋の男が、石を握った時と同じだった。


書いた。

ラ、グ、と。

ゆっくり、一画ずつ。


書き終えて、ラグはしばらくその紙を見ていた。

自分の名前を。捕虜名簿では、ない紙の上の、自分の名前を。


「これで、登録完了です」


ケンジは紙を受け取った。


「ベルタ冒険者ギルド、登録冒険者、ラグさん、雪白兎の依頼、お受けしました。ゴルドさんと二人で」


ラグの目から、何かがこぼれそうだった。こらえていた。

ゴルドがその肩を、一度叩いた。


「行こう、兄貴」


「ああ」


二人が扉へ向かった。


「ゴルドさん」

ケンジが呼び止めた。


ゴルドが振り返った。

「お二人とも、無事に。報告待ってます」


ゴルドがほんの少し笑った気がした。寡黙な男の、わずかな口の動きだった。

「おう」


扉が閉まった。



ケンジは帳面を見た。

ゴルド。ラグ。

二つの名前が並んでいた。冒険者の依頼の欄に。どちらが冒険者で、どちらが元捕虜か、その紙からはわからなかった。

ただの二人の名前だった。


ティナが横から覗き込んだ。

「ケンジさん。今の人、もしかして」


「冒険者ですよ。登録したばかりの」


ケンジは帳面を閉じた。


それ以上は言わなかった。

カウンターの外では、まだ、列が続いていた。冬支度の依頼の列が。ケンジは次の一人を呼んだ。


「お待たせしました。次の方、どうぞ」



夕方、列が引けた頃、レイモンドが顔を出した。

「ケンジさん、夜の件、伺いました。執務室で、ガドさんとお待ちしてますので」


それから少し声を落とした。

「イレーナさんも、同席されるそうです」


「イレーナさんが」


「ええ。ケンジさんが川を渡ったことは、ご存知ですから。向こうで何を決めてきたのか、私も聞きます、と」


レイモンドが戻っていった。

ケンジは帳面を閉じた。

夜に、話す。川向こうで決めてきたことを。全部。


冬が来る。

やることが、あった。


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