第六十一話:冬支度
馬で半日の道だった。
ラルタを出たのは昼を過ぎた頃。納屋の男が、繋がっていない石を握って、帰る、と言った。あの後だった。
日が傾いていた。
ケンジは馬に揺られていた。隣にトール。後ろにカーラとフィン。シバは、ラルタに残った。経路の段取りと、魔石の使い方を二十人に教えるためだった。
誰もしばらく喋らなかった。
納屋の重さが、まだ背中に残っていた。
◇
「ケンジさん」
トールだった。
「はい」
「さっき、納屋で」
トールが馬を少し寄せた。
「あの人たちと喋ってましたよね。シバさんが訳す前に」
「喋りました」
「ランバルトの言葉、ですよね。あれ」
ケンジは少し考えた。
「……そう、なりますね」
「いつ覚えたんですか」
ケンジがトールを見た。
「え?」
「いや、だから、ランバルトの言葉です。いつ覚えたんですか」
「え?」
トールが止まった。
「……ええ?」
◇
馬が二頭並んで歩いていた。
「ケンジさん、ランバルトの言葉、喋れますよね」
「喋れる、というか」
ケンジは言葉を探した。
「通じるので」
「通じる」
「はい。ベルタの言葉も通じるので。同じです」
トールが首を傾げた。
「同じ……じゃ、ないですよ。ベルタの言葉と、ランバルトの言葉は」
「違うんですか」
「違いますよ!全然!」
ケンジは少し考えた。
「……ああ。そういえば、別なんですね」
ケンジにとっては、どちらもただ通じる言葉だった。区別をしたことがなかった。同じに聞こえていた。
トールが真顔で言った。
「俺、ランバルトの言葉、わかりませんもん。捕虜の人と話す時、シバさんがいないと、無理ですもん」
ケンジはその言葉を受け取った。
そういえば、聞き取りの時ミーデルは苦労していたらしい。シバが訳していた。あれはランバルトの言葉が通じなかったからだ。
ケンジには通じていた。その違いに今まで気づいてもいなかった。
◇
この街に来た時から、言葉は通じた。なぜ通じるのかはわからない。わからないまま、困ったことは一度もなかった。
むしろ助かっていた。誰とでも話せた。捕虜とも話せた。
わからなくても、役に立つならそれでいい。理由のわからないものをわざわざ分解しない。いつものやり方だった。
「いつ、でしょうね」
ケンジは言った。
「いや、こっちが聞いてるんですよ!」
トールが言った。
「ええ……気づいてなかったんですか、本当に……」
「通じるので、つい」
ケンジは言った。
それ以上は言わなかった。
後ろで、カーラが馬を進めていた。
「あんたが変なのは、今に始まったことじゃないでしょ」
聞いていたらしい。それだけ言って、また黙った。
フィンがわずかに頷いた気がした。気のせいかもしれなかった。
トールだけがまだ、「ええ……」と言っていた。
◇
日が落ちかけていた。
ベルタの塀が遠くに見えてきた。
半日の道が終わろうとしていた。
ケンジは塀を見ていた。
言葉のことは、もう考えていなかった。冬が来る。やることがあった。
塀の門に、灯りが点り始めていた。
◇
翌朝のギルドは、人で埋まっていた。
依頼ボードの前に列ができていた。冒険者だけではなかった。組合の者、王都兵まで、混じっていた。
ケンジが入るとティナが駆け寄ってきた。
「ケンジさん!戻ったんですね、おかえりなさい!」
「ただいま戻りました。これは」
「冬支度です!みんな、雪が降る前に、って」
ティナがボードを指した。依頼票がはみ出していた。
「薪割り、屋根の補修、保存食の手伝い、塩の買い付けの護衛……朝からずっとこれで」
「人が多いですね」
「増えましたから。元捕虜の人と、王都の兵隊さんと。すごく増えて。でも、その分頼みたいことも増えて」
ティナが少し笑った。
「ラルタの人たちは村に帰りました。家を直して、畑も、漁も、戻すって。だから今は、こっちの人手が足りないくらいで」
「忙しいのいいことですよね。戦ってる時より、ずっと」
ケンジはボードを見た。
戦の依頼は一枚もなかった。全部暮らしの依頼だった。
列が途切れた隙に、ケンジは執務室を覗いた。
空だった。
「ガドさんは」
通りかかったマーサに聞いた。
「朝から出てるよ。王都兵の宿の割り振りだの、飼葉の手配だのでねえ。兵隊さんが増えると、ああいうのが全部ギルド長のところに来るからねえ」
「レイモンドさんも一緒ですか」
「町長さんも朝から捕まってるだろうねえ」
ケンジは頷いた。
川向こうで決めてきたことは、まだケンジの帳面の中にしかなかった。ベルタの誰も、知らない。
一日は待てる。二日は待ちたくなかった。
ティナに言付けを頼んだ。ガドが戻ったら、夜に時間が欲しい、と。
◇
カウンターにミーデルがいた。
帳面を三冊、開いていた。
「ケンジさん。お戻りで」
「ミーデルさん。留守をありがとうございました。捕虜の食事もラルタの手配も」
「やることをやっただけです」
ミーデルは顔を上げなかった。ペンが止まらなかった。
「確認しておきました。気になると思ったので」
「食料、ですか」
「はい」
ミーデルが一冊をこちらに向けた。
数字が並んでいた。人口。一日の消費。蓄えの残り。
「人が増えましたから、王都兵も駐留しています。食べる口は、正確には、戦の前の一・八倍です」
「蓄えは」
「今の消費ならあと三十八日分。雪が積もって買い付けが止まれば、もっと短くなります」
淡々としていた。脅かす言い方ではなかった。数字を読み上げているだけだった。
「狩りで肉が入る前提でした。記録の上では。ですが」
ミーデルがペンを止めた。
「冬は魔獣が減るそうです。ゲッツさんに確認しました。狩りで埋める、という見込みは立てられません」
ケンジはその数字を見ていた。
橋の前に、兵を数えた。あの時と同じ計算だった。今度は、人を食卓のために数えていた。
「教えてくれて助かります」
「いえ」
ミーデルがまたペンを動かし始めた。
「足りないと数字に出ています。報告しないわけにはいきません」
◇
「ケンジさん」
奥から声がした。
ジンだった。手に布を持っていた。布の上に石が並んでいた。
「魔石進みました」
「ありがとうございます、見せてください」
ジンがカウンターに布を広げた。
対の石がいくつもあった。前よりずっと多かった。
「十二組できました。前より、無駄になる魔石が減ったんです。ゲオルクさんの割り方だと、ちゃんと聞こえるようになる分が多くて」
「十二組」
「はい。でも」
ジンが少し声を落とした。
「ケンジさん。ラルタのあの人たちの石ですよね。本番の」
ケンジがジンを見た。
ラルタの納屋で男が握った石は、繋がっていなかった。練習用だった。本番はペアの片方を男の故郷に届けてから。
「シバさんから魔石で聞きました。故郷に、もう一つの石を届けるって。だから、対になってる石がいるって」
「はい」
「届ける片割れは用意できます。十二組ありますから。でも」
ジンが耳をすませる仕草をした。あの独特の仕草だった。
「届けて、繋がるかどうかわからないんです。距離が遠すぎて。今まではラルタまでしか試してない。国境の向こうまで届くかは……やってみないと」
ケンジはその言葉を受け取った。
「届けてみて繋がらなかったら」
「その時はその時で、別の手を考えます。でも」
ジンが石を一つ手に取った。
「繋がってほしいです」
ケンジは頷いた。
「シバさんが戻ったら相談します。どの石を、どの順番で運ぶか」
「はい」
ジンが石を布に戻した。
それから、ぽつりと言った。
「練習、してるんですよね。あの人たち。繋がってない石で」
「しています」
「……早く、繋いであげたいですね」
ケンジは答えなかった。
代わりに帳面に書いた。
魔石、ペア十二組。
国境越えの通信、未検証。
シバ帰還後、運搬の順番を相談。
書きながら思った。
ラルタの男の「練習」が、いつ「本番」になるか。それは、この石が国境の向こうまで、声を届けられるか、にかかっていた。
まだ誰にもわからなかった。
◇
昼はアンばあさんの食堂で取った。
湯気の立つ椀を、どん、と置かれた。根菜の汁だった。
「ほら、食べな。馬で半日何も食ってないんだろ」
「いただきます。アンさん、ひとつ聞いてもいいですか」
「なんだい」
「冬の食料です。今まで、冬をどうやって越してきたんですか」
アンばあさんがお玉を持ったままケンジを見た。
「あんた、それを聞くのかい」
「初めての冬なので」
ケンジは言った。嘘ではなかった。
アンばあさんが少し笑った。それから、隣に腰を下ろした。
「冬はね、穫るもんじゃないんだよ。蓄えるもんさ」
アンばあさんが指を折った。
「秋までに、穫れるだけ穫る。干して、燻して、塩漬けにして、穴蔵に詰める。根菜は土に埋めときゃ、凍らずに保つ。そうやって雪の下で春まで食いつなぐのさ」
「家畜は」
「冬の前に数えるのさ。何頭冬を越させるか。越させられない分は、潰して肉にする。乳と卵を出すやつは残す。残りは腹に入れる。冷たい話だけどね、飼料にも限りがあるから」
数える、という言葉に、ケンジは引っかかった。ミーデルの帳面と同じだった。
「それで、足りるんですか」
「足りない年もあったよ」
アンばあさんの声が低くなった。
「雪が長いと、蓄えが先に尽きる。そういう年は、痩せて春を待つのさ。死ぬ年もあった。昔はね」
椀の湯気が立っていた。
「だから、あんたが人を増やしたのは——」
アンばあさんがケンジを見た。責めてはいなかった。
「いいことさ。でもその口の分、冬は重くなる。わかってるね」
「はい」
ケンジは頷いた。ミーデルの三十八日という数字が、頭にあった。
◇
「薬草はどうですか」
ケンジが聞いた。
アンばあさんの顔が曇った。
「それがいちばん困るのさ」
「採れなくなるんですか」
「枯れる。雪に埋もれる。冬のあいだは、もう生えてるものは当てにできない。だから、薬草師は、秋のうちに採れるだけ採って、干しておくのさ。でも」
「足りなく、なる」
「怪我人が出る。病人が出る。産む女もいる。そういう時に、薬が切れてると——」
アンばあさんは最後まで言わなかった。
ケンジはその沈黙を覚えておいた。食料より、こっちの方が命に近い。乾燥させた薬草を、どう、湿気とカビから守って、冬じゅう保たせるか。炭が使えるかもしれない。ヴェタ家の。
考えを頭の隅に置いた。
◇
「魚なら、冬でも穫れますよ」
声がした。
入り口にマルコが立っていた。日に焼けた漁師だった。
「マルコさん。ラルタにいるかと」
「定期便で来ました。ラルタの魚をこちらに回す相談で。ケンジさんに会えてよかった」
マルコが腰を下ろした。
「ベルタの川は流れが速い。冬でも凍りません。だから、漁はできます。むしろ、冬は魚が肥える。脂が乗りますよ」
「蟹は」
「ああ、あれは」
マルコが少し苦笑した。
「ケンジさんに食えると言われた時は、まさか、と思いましたが。うちの村じゃ、今でも誰も食べません。でも、ベルタでは売れるんでしょう。だから、穫って、回してます。自分じゃ口にしませんが」
「もったいない」
「そう言われても、ねえ」
マルコが笑った。
「冬の川でよく見かけます。穫る分にはいくらでも。ベルタが食うなら、いくらでも回しますよ。あと、もうじき鮭が上ってきます。初冬の遡上です。あれが来れば、しばらく食うものには困りません」
ケンジの中で数字が動いた。狩りで穫れない肉の分を、川が、埋める。ラルタの漁を定期便でベルタへ。前線の村が、自立して街に魚と蟹を回す。
「マルコさん。それ、依頼として回せませんか。ラルタの漁をベルタの食料に。定期便で」
「ええ、そのつもりで来ました。話が早くて助かります」
「あとは、鳥ですね」
ケンジが言った。
「森にいますよね。冬も。ええと——ポポは、冬も獲れますか」
場が止まった。
マルコがケンジの方を見た。それから、少し声を落とした。
「……ケンジさん。それ、もしかして、風置鳥のこと、ですか」
「え?」
「ポポ、というのは、子供らの言い方でしてね。鳴き声が、ポポッ、ポポッ、と聞こえるので。小さい子がそう呼ぶんですよ」
ケンジは止まった。
休日に、子供に教わった。ポポって鳴くからポポ。あれは——正式な名前じゃ、なかったのか。
「あ。そういう、名前なんですね。風置鳥」
その時だった。
汁をすすっていたカーラが、椀から顔を上げず低い声で言った。
「そうでちゅねー」
ケンジがカーラを見た。
「ポポでちゅねー」
トールが噴いた。マルコが肩を揺らした。アンばあさんが声を上げて笑った。
ケンジが魔力を練り上げ、表情筋に集中させた。
カーラはもう普通の顔で汁をすすっていた。
「いや、子供に、教わったので」
「そうでちゅねー」
「カーラさん」
「ポポなんでちゅよねー」
橋を落とした軍師が、昼の食堂で赤ちゃん言葉であやされていた。
◇
笑いが収まった頃、ケンジは椀を置いた。
頭の中で、冬が形になりつつあった。
穫れないもの——魔獣の肉、薬草、青いもの。
穫れるもの——川の魚と蟹、初冬の鮭、家畜の乳と卵、罠にかかる風置鳥。
足りない分を、何で、どう埋めるか。蓄えを、どう保たせるか。炭が、薬草と肉を、湿気から守れるか。
一人で抱える話ではなかった。漁はマルコ、保存はアンばあさんと薬草師、炭はヴェタ家、罠は——森を歩ける者。狩りで稼げない冬はいろんな手を組み合わせて、越える。
組み合わせて、回す。
それはケンジのいつもの仕事だった。
「アンさん。マルコさん。助かりました。午後から手を打ってみます」
「気張りすぎるんじゃないよ」
アンばあさんが椀を片付けた。
「あんたが倒れたら、元も子もないんだから」
ケンジは頷いて立ち上がった。
昼休みが終わろうとしていた。
ギルドへ戻る。
◇
ギルドの扉を開けた。
カウンターの前に二人、立っていた。
ゴルドだった。
その隣に、もう一人。
ラグだった。
湯屋で、再会した男だった。ゴルドの兄。死んだと思っていた、橋の組の元捕虜。
前に見た時より、顔色がよかった。痩せてはいたが立っていた。自分の足で。
ただ、目だけが落ち着かなかった。カウンターのケンジを見て、ボードを見て、また足元を見た。ここにいていいのか、と聞くような目だった。
ゴルドが口を開いた。
「ケンジさん」
「はい」
「依頼、受けていいか」
短い男だった。昔から言葉が少ない。
「兄貴と、二人で」
ケンジはボードを見た。それから、ゴルドとラグを見た。
「もちろんです」
あっさりだった。
ゴルドが少し止まった。何か言われると思っていたのかもしれない。
元捕虜を連れてくることに、一言、あると。
なかった。
「何の依頼にしますか」
「……雪白兎」
ゴルドが言った。
「雪が降る前の。軽いやつだ。兄貴、まだ本調子じゃねえ。肩慣らしに」
「いい選びです。雪白兎は冬も獲れますし危なくない。冬の食料にもなります、たくさんお願いします」
ケンジは帳面を開いた。受注の帳面だった。
ペンを取った。
「お二人の名前を」
「ゴルドだ」
「ゴルドさん、と」
書いた。それから、顔を上げた。
ラグを見た。
ラグは答えなかった。口を開きかけて閉じた。自分の名前をここに書いていいのか、わからない、という顔だった。
「お名前を」
ケンジはもう一度言った。穏やかに。ギルドの職員として。
「……ラグ」
掠れた声だった。
「ラグだ」
「ラグさん」
ケンジは書いた。
ゴルド。ラグ。
捕虜、とは書かなかった。元捕虜とも。ただ、名前を二つ並べて書いた。冒険者の依頼の欄に。
「ラグさん。一つ、手続きが要ります」
ラグの肩が強張った。
「冒険者登録です。依頼を受けるには登録が要るので。ベルタの冒険者ギルドに、名前を登録します」
「……俺が、か」
「はい」
「俺は、捕虜だ」
ラグが言った。声が震えていた。
「ランバルトの兵だった。あんたらを攻めた。その俺がベルタの——」
「依頼を受けるなら、登録が要ります」
ケンジは繰り返した。
「決まりなので。未登録ですと依頼を受けられません。でも登録したら受けられます。だから登録してください」
ケンジは情を込めなかった。もう敵じゃない、とも、仲間だ、とも、言わなかった。
ただ、決まりを説明した。依頼を受けるには、登録が要る。当たり前のことを、当たり前に。
ラグがケンジを見ていた。
それからゴルドを見た。
ゴルドは何も言わなかった。ただ、兄の横に立っていた。
「……いいのか」
ラグが下を向きながら言った。誰に聞いたのかわからなかった。ケンジにか、ゴルドにか、自分にか。
「登録、お願いします」
ケンジは帳面の別の紙を出した。冒険者の登録の紙だった。
「ここに、名前を。書けますか」
ラグの手が伸びた。
ペンを握った。手が震えていた。納屋の男が、石を握った時と同じだった。
書いた。
ラ、グ、と。
ゆっくり、一画ずつ。
書き終えて、ラグはしばらくその紙を見ていた。
自分の名前を。捕虜名簿では、ない紙の上の、自分の名前を。
「これで、登録完了です」
ケンジは紙を受け取った。
「ベルタ冒険者ギルド、登録冒険者、ラグさん、雪白兎の依頼、お受けしました。ゴルドさんと二人で」
ラグの目から、何かがこぼれそうだった。こらえていた。
ゴルドがその肩を、一度叩いた。
「行こう、兄貴」
「ああ」
二人が扉へ向かった。
「ゴルドさん」
ケンジが呼び止めた。
ゴルドが振り返った。
「お二人とも、無事に。報告待ってます」
ゴルドがほんの少し笑った気がした。寡黙な男の、わずかな口の動きだった。
「おう」
扉が閉まった。
◇
ケンジは帳面を見た。
ゴルド。ラグ。
二つの名前が並んでいた。冒険者の依頼の欄に。どちらが冒険者で、どちらが元捕虜か、その紙からはわからなかった。
ただの二人の名前だった。
ティナが横から覗き込んだ。
「ケンジさん。今の人、もしかして」
「冒険者ですよ。登録したばかりの」
ケンジは帳面を閉じた。
それ以上は言わなかった。
カウンターの外では、まだ、列が続いていた。冬支度の依頼の列が。ケンジは次の一人を呼んだ。
「お待たせしました。次の方、どうぞ」
◇
夕方、列が引けた頃、レイモンドが顔を出した。
「ケンジさん、夜の件、伺いました。執務室で、ガドさんとお待ちしてますので」
それから少し声を落とした。
「イレーナさんも、同席されるそうです」
「イレーナさんが」
「ええ。ケンジさんが川を渡ったことは、ご存知ですから。向こうで何を決めてきたのか、私も聞きます、と」
レイモンドが戻っていった。
ケンジは帳面を閉じた。
夜に、話す。川向こうで決めてきたことを。全部。
冬が来る。
やることが、あった。




