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バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

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第五十話:届く声

夜が、明けた。

東の空が白むと同時に、川向こうで角笛が鳴った。

総攻撃の合図だった。


百五十の重装が、仮橋を渡り始めた。



ベルタの後方、ギルドの二階。

ケンジは窓辺に魔石を並べていた。


四組。正面、川側、森、それと予備。

各所から報告が上がってくる。


『正面来ます。重装。数、百以上』

ゲッツの声だった。


『川側動きなし。こっちには来ません』

カーラの声。


正面に集中している。挟撃を当てにした動きだった。分遣隊が森から出てくると、まだ信じている。

出てこないことを向こうは知らない。


帳面を開いた。


正面に厚みを置く。森のヴェタ家は、まだ伏せたまま。敵が森の異変に気づく前に——


『ゲッツさん、左に寄ってます』

新人の声が別の石から入ってきた。


『右も来てます、こっちも』


『後ろの隊が、分かれた』


報告が重なり始めた。

二つ、三つ、同時に。


ペンが追いつかなかった。


左に寄せろ、いや右も、後ろの分岐はどっちに——

考えている間に次が来る。


『新人の列、押されてます』


止まった。



正面は橋の時とは違った。

逃げ場がなかった。

百五十がまっすぐ来る。重装の壁だった。矢が刺さっても止まらない者がいた。


新人の列が後ろへずれ始めた。

一人が、矢をつがえたまま、手が動かなくなっていた。

「……来る」


「放て!」

ゲッツが叫んだ。


矢がばらけた。狙いが揃わない。

橋の時は川という壁があった。逃げ場のない敵を上から撃つだけでよかった。

今は敵が来る。こちらに向かって。


新人の一人が、半歩下がった。


それが伝染した。

列が崩れかけた。



二階でケンジは魔石を握っていた。

報告が渋滞していた。

四つの石が同時に震える。左、右、後ろ、正面。全部に答えようとして全部が遅れた。

一人の頭では足りない。

普通の速さでは戦線の全部は捌けない。


——使うか。


懐の感触が頭をよぎった。

脳に魔力を回せば見える。全部間に合う。

指が動きかけた。


その時。


魔石の一つが震えた。

ケンジの指示ではなかった。



岸の高台にゴルドはいた。


崩れかけた新人の列が見えていた。

ゴルドは知っていた。あの動きを。

半歩下がる。それが伝染する。声がばらける。


——あの日と同じだ。

人が散る前の動きだった。


ゴルドは喉に魔力を集めた。

これまで合図にしか使わなかった力だった。「今だ」の二文字を、遠くまで届けるためだけの。


今日は違う。

ありったけを喉に込めた。

魔石を握った。全戦線に繋がる石を。


声が出た。


「乗り越えろ」



その声はベルタの全部に届いた。

魔石を通して正面に。川に。森に。裏庭にまで。


「矢を取れ、槍を構えろ、剣を握り直せ」


新人の止まっていた手が、動いた。

弦をつがえた。狙いが揃った。


「大丈夫だ」


半歩下がっていた足が止まった。

声が震えを上書きしていた。恐怖が消えたわけではなかった。恐怖を抱えたまま、手が動く声だった。


「俺たちは、守れる」


矢が放たれた。

今度は揃っていた。



声は川にも届いていた。

マルコが網を構え直した。

漁師衆がそれに続いた。


「……いい声だ」


マルコが誰にともなく言った。



声は森にも届いていた。

南の森の木の上。

ルウとポウが顔を上げた。


「……ゴルドの声だ」

ルウが言った。


ポウがにこにこした。

「とどいたねー」


森の中まで届いていた。


ジャウが目を開けた。

「いい街だ」


もう一度言った。



声は裏庭にも届いていた。

捕虜たちが火を囲んだまま、顔を上げた。

何を言っているかはわからなかった。言葉が違った。

でも声の意味はわかった。


守れ、と言っていた。


ドルフはそれを聞いていた。


ランバルトの号令はいつも「進め」だった。

「殺せ」だった。

「奪え」だった。


守れ、と兵を鼓舞する声をドルフは初めて聞いた。

椀を握る手に力が入った。



二階でケンジは指を止めていた。

懐に手を伸ばしかけたまま。

魔石からゴルドの声がまだ続いていた。


新人へ。漁師へ。各隊へ。一人ずつ、名前を呼ぶように、指示が飛んでいた。ケンジが捌ききれなかった四つの戦線を、一つの声が束ねていた。


ケンジは手を引いた。

懐から離した。

帳面を閉じた。

自分が全部を読んで、全部に指示する必要はなかった。


声が、いた。


魔石を置いて窓の外を見た。

崩れかけていた列が揃っていた。


「……ゴルドさん」


呟いた。


二階には誰もいなかった。

聞いている者はいなかった。

それでよかった。



正面の圧が止まった。

揃った矢が重装の足を止めた。崩れなかった列が押し返し始めた。


ブロンが前に出た。


「おおおおおっ!」


盾で重装の先頭を受けた。動じなかった。

その後ろで新人たちが矢を継いだ。


ゴルドの声がまだ全戦線を繋いでいた。

少しずつ嗄れ始めていた。

それでも、止まらなかった。


一声ごとに声が削れていく。

それでもゴルドは、声を出し続けた。

届かせ続けた。


あの日、届かなかった声を。



川向こうの本陣でヴォルスが歯を噛んでいた。

正面が止められていた。崩れるはずの新兵の列が崩れなかった。


「分遣隊はまだか」


誰も答えなかった。


天幕の隅でアデルがベルタの方角を見ていた。

風に乗って、かすかに、声が届いていた。


何を言っているかは聞こえなかった。

でも、わかった。

あれは守る声だ。


アデルは目を閉じた。


——まだ詰んでいない。


そう思う自分がどちら側にいるのか。

もうわからなくなっていた。


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