表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/75

第四十九話:前夜

夜明けに、来る。

それを街の全員が知っている夜だった。

広場に歌はなかった。

火は焚かれていた。でも、囲む顔が静かだった。勝った夜の火とは、違う火だった。



新人たちが弓の弦を確かめていた。

一人が何度も同じ弦を弾いていた。

「……ティナさん、これ、緩んでませんか」


「さっきも見たけど、大丈夫だったよ」


「もう一回、いいですか」


ティナが弦を見た。

「……うん。大丈夫」


新人の手が少し震えていた。

弦のせいではなかった。

ゲッツが離れた樽に腰かけてそれを見ていた。


止めなかった。


確かめたいだけ確かめさせていた。震える手で何度でも弦を弾けるならそれでいい、という顔だった。



ヴェタ家は森へ戻る前の飯を食っていた。

アンばあさんの食堂の一番端の席だった。


ポウがいつも通り三杯目をおかわりしていた。


「ポウ、明日は森だ。食えるうちに食え」


「たべてるよー!」


ルウは黙って食べていた。


ソルも黙って食べていた。


ジャウが汁を飲み干して椀を置いた。

「アン」


「なんだい」


「うまかった」


アンばあさんが手を止めた。

それから笑った。

「明日も食べに来な。作っておくよ」


「うむ」


ジャウが立ち上がった。


四人が夜の街道へ出ていった。森へ戻る。明日の朝、敵は森を通る。そこで待つために。


ポウが振り返って手を振った。

「いってきまーす!」


行ってきます、だった。

行ってらっしゃい、と誰かが返した。

戦に行く挨拶ではなかった。



ケンジはカウンターで帳面を開いていた。

配置は書き終えている。

矢の残り、捕虜の見張りの人数、各所の担当、ゴルドの合図の段取り。全部書いた。


最後のページだけ、白かった。


書かない計算がそこにある。

脳に魔力を回す。一時的に思考が速くなる。普通なら見落とす速さで全部が見える。

代償は翌日だ。頭がぼんやりする。一日まともに考えられなくなる。


戦いの最中に使えばその日は保つ。翌日が消えるだけだ。


——いつ使うか、ではない。


使わずに済むか、だ。


ペンを持った。

白いページに何も書かず閉じた。


まだだ。



ゴルドは火喰鳥の三人といた。

ブロンが斧を磨いていた。珍しく無言だった。

リアが双剣の手入れをしていた。腰をときどき落としていた。明日のための最後の確認だった。


ゴルドは火を見ていた。

三人とも故郷を失っている。


ブロンとリアは同じ街だった。ゴルドだけが別の街だ。同じ国に奪われた。


ブロンとリアはたまに故郷の話をする。ゴルドは混じらない。


同じ痛みのようで出所が違う。並べれば、どちらかが軽くなる気がした。

だから黙って火を見ていた。

火がはぜた。


ゴルドは自分の街が落ちた日のことを考えていた。

人が散っていく日だった。


逃げろ、と誰かが叫んでいた。こっちだ、と別の誰かが叫んでいた。声がばらばらだった。誰の声も届いていなかった。


ゴルドも叫んだ。

こっちにまとまれ、と。


届かなかった。


声が小さかったわけではない。

ばらばらの恐怖の中で、一人の声は届かない。


人が散った。


それきり会っていない者がほとんどだった。


「ゴルド」


ブロンだった。


「明日、合図お前だな」


「ああ」


「頼むぞ」


それだけだった。


ゴルドは頷いた。


それから、喉にそっと手を当てた。

明日、声を出す。


魔石を通して全戦線に。新人にも、漁師衆にも、ヴェタ家にも。

ばらばらの七十人に、一つの声を。


今度は。

届かせる。


火を見たまま、ゴルドはそう決めた。

口には出さなかった。



夜が更けた頃、北の門が騒がしくなった。


蹄の音だった。

数頭ではなかった。十数頭。荷を引いている音も混じっていた。重い車輪が石畳を鳴らしていた。


南ではない。北だ。敵ではない。

門に人が集まった。

門が開いた。


馬の列だった。先頭に、荷駄。その後ろに、騎馬。さらに後ろに荷車が続いていた。

先頭の騎馬から女が降りた。


イレーナだった。


査察の日以来だった。

旅装だった。あの日の品のある身なりではなく、土と埃にまみれていた。馬を休みなく飛ばしてきた者の姿だった。


「王都顧問、イレーナ」


息が、上がっていた。


「正規の援軍は、間に合わない。手続きが遅い。だから、先に来た」


ケンジが前に出た。


「物資は」


「矢を、千二百。食料、十日分。薬。それと——」


イレーナが後ろの荷車を指した。

「毛布も。多めに積みました」


ケンジが荷車を見た。守備隊の数より明らかに多い。

「……多いですね」


「足りないよりは、いいでしょう。凍えは防げます」


ケンジは少し考えた。

「では、余りは別に回します」


「別?」


「投降兵を生かしています」


短い沈黙が落ちた。

イレーナがケンジを見た。査察の日と同じ、確かめる目だった。


「……生かして、どうするのです」


「凍えさせて死なせては、生かした意味がないので」


イレーナが少しだけ目を細めた。

「……変わった街」


「よく言われます」



イレーナが顔を上げた。

門の内側にガドが立っていた。


イレーナが口を開きかけて、やめた。

ガドも何も言わなかった。


長い、沈黙だった。


先に動いたのはアンばあさんだった。

人をかき分けて前に出てきた。

イレーナを見上げてにこにこした。


「おかえり」


イレーナの顔が崩れかけた。


崩れる前に、奥歯を噛んだのがわかった。

「……ただいま、戻りました」


それだけ言うのが、精一杯のようだった。


アンばあさんがイレーナの手を取った。

土と埃のついた手を両手で包んだ。

「冷たいねえ。中で温まりな」


ガドがようやく口を開いた。

「……来たか」


「来ました」


「無茶を」


「あなたに言われたくありません」


ガドが少し黙った。


それから、ごく短く言った。

「助かる」


イレーナがケンジを見た。

査察の日と同じ目だった。でもあの日より、揺れていた。

「あなたは、戦うんですか」


「戦いません。私は受付なので」


少し間があった。


「……前にも、そう言った人がいました」

声が、低かった。少し、訛っていた。


「その人も戦わない人でした。頭で戦う人でした。それで——」


止まった。

言わなかった。言えなかった。


「無事でいてください」


それだけ言った。

命令のような言い方だった。命令にしないと言葉にならないようだった。


イレーナがガドを見た。

何か言おうとして、またやめた。

代わりに門の外の川の方角を見た。南だった。明日、夜明けに、二百が来る方角だった。


「……あの国に、またこんな夜を作らせるんですか」

誰にともなく言った。

返事はなかった。


返事の代わりに、東の空がほんの少しだけ白み始めていた。


夜明けが近かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ