第四十八話:数える男たち
朝、ギルドの裏庭が、忙しかった。
捕虜が増えたからだ。
橋の五十。森の五十五。あわせて百を超えた。
ベルタの戦える人数より、捕虜の方が多くなった。
普通なら、破綻する数字だった。
◇
ミーデルの名簿が、三冊目に入っていた。
「名前は」
「……レッツ」
「出身は」
「トレナ村」
「家族は」
捕虜が、少し黙った。
「……妹が、二人」
ミーデルが書いた。顔も上げずに書いた。
「次の方」
列が進む。名前、村、家族。それだけを聞いて、書く。
横で見ていたティナが、小声で聞いた。
「ミーデルさん、これ、何のためって聞きました?」
「聞きました」
「なんて?」
ミーデルがページをめくった。
「人は、名簿になると死ななくなる、そうです」
「……どういう意味ですか」
「名前と家族を記録された捕虜を死なせると、記録が証拠になる。だから誰も、死なせられなくなる。雑に扱えば、帳面が全部憶えている」
ティナが名簿を見た。
「……守る紙なんですね」
「そうみたいです」
アンばあさんの鍋は、四つに増えていた。
最初から二つ余分にあった理由を、もう誰も聞かなかった。
◇
昼、ルウとポウが森から戻ってきた。
執務室で、報告になった。
「報告する。森の回収、完了した」
ルウが言った。
「数は」
「縛ったのが二十六。逃げたのが九。逃げた方向は全部、川だ。国に帰る足だった。追っていない」
帳面に書いた。
「怪我は」
「向こうに、足首が三人。落ちる時に挫いた。手当て済みだ」
「ルウさんたちは」
「ない」
少し止まった。
「あの、縄と布のは、結局……」
ポウが手を挙げた。
「あのね! 縄はね、ぜんぶ罠だよ! 上から吊るすのと、足をすくうのと、あと音が鳴るやつ!」
にこにこしていた。
「音が鳴るやつは、なにも捕まえないの! 音だけ! そしたらね、みんなそっちを見るから、そのあいだに、べつのところで——」
両手で、何かを持ち上げる仕草をした。
「ひょいって!」
ひょい、で人が消えていたらしかった。
「布の方は」
「ゲオルクの」
ルウが言った。
「鎖の網だ。昔、食材に向かないと言っていたやつの、大きいの。木の上に張った。落ちた奴は、音より先に網の中だ」
帳面のペンが、少し止まった。
串焼きに使えなかった鎖網が、形を変えて、人を生かして捕まえていた。
「……敵を、よく無事に運べましたね。二十六人」
「父ちゃんだよ!」
ポウが言った。
「父ちゃんがね、ぜんぶ運んだの! 縛って、ならべて、火のそばにおいて、こおらないように、むしろかけて!」
ルウが頷いた。
「父は、最初からそっちの係だ。罠は俺たちで張れる。死なせずに保つのは、俺たちじゃ手が回らない」
草地に立っていただけ、ではなかった。
あの場のソルは、森の数日分の「生かす仕事」を終えて、最後に立っていただけだった。
帳面に書いた。
ソル。回収、保温、搬送。死者ゼロの実務。
一番地味で、一番難しい仕事だった。
◇
午後、裏庭に行った。
森組の捕虜が、火を囲んでいた。
その端に、ドルフがいた。分遣隊の隊長だった男だ。
椀を持ったまま、飲んでいなかった。
トールが鍋から二杯目をよそって回っていた。ドルフの前で止まった。
「冷めますよ」
ドルフが顔を上げた。
「……毒は、入っていない。それは部下を見ればわかる」
「じゃあなんで飲まないんですか」
「わからないからだ」
ドルフが椀を見た。
「橋で百五十、沈めた街だ。我々は横腹を突きに来た敵だ。なぜ、飯が出る」
トールが少し考えた。
それから、考えるのをやめた顔をした。
「腹が減ってたら、飯ですよ」
「……それだけか」
「それだけです。理由がいるなら、あとでケンジさんが言うと思います。難しいことは全部ケンジさんなので」
ドルフがしばらくトールを見ていた。
それから、椀に口をつけた。
止まらなかった。
底まで飲んで、長く、息を吐いた。
その息が少し震えていたのを、トールは見なかったことにした。
ドルフが、椀を見たまま、ぽつりと言った。
「……ヴァルク様は、負けて帰った兵を、生かしておかない」
トールが、手を止めた。
「ヴァルク?」
「ランバルトの。我々の、王だ」
ドルフが、低く言った。
「負ければ、死ぬ。家族も。だから、誰も、退けない」
それきり、ドルフは黙った。
トールは、何と返せばいいのか、わからなかった。
だから、もう一杯、スープをよそった。
それだけ、できることだった。
◇
同じ頃。
川向こうの本陣で、軍議が開かれていた。
天幕の中央に、地図があった。
指揮官ヴォルスが、地図を拳で叩いた。
「分遣隊からの連絡が途絶して二日。だが森は深い。伝令が遅れているだけだ」
幕僚たちが頷いた。
「正面の敵は防柵に張り付いたまま動かん。旗ばかりで、矢の一本も飛ばしてこない。限界なのだ。仮橋は完成した。総攻撃は二日後の夜明け。分遣隊が横から出れば挟撃が成る。出なくとも——」
ヴォルスが言った。
「百五十で落ちる街ではないが、二百なら落ちる」
「百五十です」
声がした。
天幕の隅からだった。
末席にも入らない場所に、男が座っていた。地図からも、火からも、一番遠い場所だった。
ヴォルスの眉が動いた。
「……アデル。誰がお前に発言を許した」
「誰も。だが数が違う。分遣隊の五十を引けば、ここにいるのは百五十だ」
アデルは地図を見もしなかった。
「分遣隊は戻らん。伝令の遅れではない」
「貴様に何がわかる」
「四度負けた」
天幕が、少し静かになった。
「魔獣で一度。川で一度。橋で一度。森で一度。打った手の数だけ負けている。五度目の手が、その総攻撃だ」
ヴォルスの顔が赤くなった。
「戦闘はまだ一度しか——」
「戦闘の数ではなく、手の数だ」
アデルの声は、平らだった。
「森に魔獣を押し出した。向こうは魔獣を狩って、金と経験と備蓄に変えた。浅瀬を渡った。向こうは川ごと使って止めて、補給だけ焼いた。橋をひと月見張らせた。向こうは見張りごと、見たいものを見せて、百五十を橋ごと沈めた。森が安全だと思った。安全だとこちらに思わせたのも、向こうだ」
誰も口を挟まなかった。
「こちらの準備が、毎回、向こうの材料になっている。偶然が四度続いたと読むか、最初から全部読まれていると読むか。俺は後の方だ」
ヴォルスが、低く言った。
「……ならば、どうしろと言う」
アデルが初めて、ヴォルスを見た。
「退けば、お前が本国で死ぬ。進めば、兵が死ぬ。どちらでも俺は構わんが、数だけは合わせておけ。二百ではなく、百五十。それと——」
少し止まった。
「橋を落としたのに、逃げ道は残した。武器を捨てた兵を追わなかった」
「そういう連中は、捕虜も殺さない」
「それがどうした」
「五度負けても、まだ詰んでいない、ということだ」
ヴォルスは、その意味を聞き返さなかった。
聞き返さなかったことを、アデルは見ていた。
「軍議は終わりだ! 総攻撃、二日後の夜明け! 異論は認めん!」
幕僚たちが立ち上がった。
アデルは、最後まで座っていた。
天幕の布の継ぎ目から、ベルタの方角の空が、少しだけ見えていた。
数える男は、敵の街にもいる。
それだけが、この戦争に残った、最後のまともな数字だった。




