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バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

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第四十八話:数える男たち

朝、ギルドの裏庭が、忙しかった。

捕虜が増えたからだ。

橋の五十。森の五十五。あわせて百を超えた。

ベルタの戦える人数より、捕虜の方が多くなった。

普通なら、破綻する数字だった。



ミーデルの名簿が、三冊目に入っていた。

「名前は」


「……レッツ」


「出身は」


「トレナ村」


「家族は」


捕虜が、少し黙った。


「……妹が、二人」

ミーデルが書いた。顔も上げずに書いた。


「次の方」

列が進む。名前、村、家族。それだけを聞いて、書く。


横で見ていたティナが、小声で聞いた。

「ミーデルさん、これ、何のためって聞きました?」


「聞きました」


「なんて?」


ミーデルがページをめくった。

「人は、名簿になると死ななくなる、そうです」


「……どういう意味ですか」


「名前と家族を記録された捕虜を死なせると、記録が証拠になる。だから誰も、死なせられなくなる。雑に扱えば、帳面が全部憶えている」


ティナが名簿を見た。

「……守る紙なんですね」


「そうみたいです」


アンばあさんの鍋は、四つに増えていた。

最初から二つ余分にあった理由を、もう誰も聞かなかった。



昼、ルウとポウが森から戻ってきた。

執務室で、報告になった。


「報告する。森の回収、完了した」


ルウが言った。


「数は」


「縛ったのが二十六。逃げたのが九。逃げた方向は全部、川だ。国に帰る足だった。追っていない」


帳面に書いた。

「怪我は」


「向こうに、足首が三人。落ちる時に挫いた。手当て済みだ」


「ルウさんたちは」


「ない」


少し止まった。


「あの、縄と布のは、結局……」


ポウが手を挙げた。

「あのね! 縄はね、ぜんぶ罠だよ! 上から吊るすのと、足をすくうのと、あと音が鳴るやつ!」


にこにこしていた。


「音が鳴るやつは、なにも捕まえないの! 音だけ! そしたらね、みんなそっちを見るから、そのあいだに、べつのところで——」


両手で、何かを持ち上げる仕草をした。

「ひょいって!」


ひょい、で人が消えていたらしかった。


「布の方は」


「ゲオルクの」


ルウが言った。

「鎖の網だ。昔、食材に向かないと言っていたやつの、大きいの。木の上に張った。落ちた奴は、音より先に網の中だ」


帳面のペンが、少し止まった。


串焼きに使えなかった鎖網が、形を変えて、人を生かして捕まえていた。


「……敵を、よく無事に運べましたね。二十六人」


「父ちゃんだよ!」

ポウが言った。


「父ちゃんがね、ぜんぶ運んだの! 縛って、ならべて、火のそばにおいて、こおらないように、むしろかけて!」


ルウが頷いた。


「父は、最初からそっちの係だ。罠は俺たちで張れる。死なせずに保つのは、俺たちじゃ手が回らない」


草地に立っていただけ、ではなかった。

あの場のソルは、森の数日分の「生かす仕事」を終えて、最後に立っていただけだった。


帳面に書いた。


ソル。回収、保温、搬送。死者ゼロの実務。


一番地味で、一番難しい仕事だった。



午後、裏庭に行った。

森組の捕虜が、火を囲んでいた。

その端に、ドルフがいた。分遣隊の隊長だった男だ。


椀を持ったまま、飲んでいなかった。

トールが鍋から二杯目をよそって回っていた。ドルフの前で止まった。

「冷めますよ」


ドルフが顔を上げた。

「……毒は、入っていない。それは部下を見ればわかる」


「じゃあなんで飲まないんですか」


「わからないからだ」


ドルフが椀を見た。

「橋で百五十、沈めた街だ。我々は横腹を突きに来た敵だ。なぜ、飯が出る」


トールが少し考えた。

それから、考えるのをやめた顔をした。

「腹が減ってたら、飯ですよ」


「……それだけか」


「それだけです。理由がいるなら、あとでケンジさんが言うと思います。難しいことは全部ケンジさんなので」


ドルフがしばらくトールを見ていた。


それから、椀に口をつけた。

止まらなかった。

底まで飲んで、長く、息を吐いた。


その息が少し震えていたのを、トールは見なかったことにした。

ドルフが、椀を見たまま、ぽつりと言った。


「……ヴァルク様は、負けて帰った兵を、生かしておかない」


トールが、手を止めた。

「ヴァルク?」


「ランバルトの。我々の、王だ」

ドルフが、低く言った。


「負ければ、死ぬ。家族も。だから、誰も、退けない」

それきり、ドルフは黙った。


トールは、何と返せばいいのか、わからなかった。

だから、もう一杯、スープをよそった。

それだけ、できることだった。



同じ頃。

川向こうの本陣で、軍議が開かれていた。

天幕の中央に、地図があった。

指揮官ヴォルスが、地図を拳で叩いた。


「分遣隊からの連絡が途絶して二日。だが森は深い。伝令が遅れているだけだ」


幕僚たちが頷いた。


「正面の敵は防柵に張り付いたまま動かん。旗ばかりで、矢の一本も飛ばしてこない。限界なのだ。仮橋は完成した。総攻撃は二日後の夜明け。分遣隊が横から出れば挟撃が成る。出なくとも——」


ヴォルスが言った。

「百五十で落ちる街ではないが、二百なら落ちる」


「百五十です」

声がした。


天幕の隅からだった。

末席にも入らない場所に、男が座っていた。地図からも、火からも、一番遠い場所だった。


ヴォルスの眉が動いた。

「……アデル。誰がお前に発言を許した」


「誰も。だが数が違う。分遣隊の五十を引けば、ここにいるのは百五十だ」


アデルは地図を見もしなかった。

「分遣隊は戻らん。伝令の遅れではない」


「貴様に何がわかる」


「四度負けた」


天幕が、少し静かになった。

「魔獣で一度。川で一度。橋で一度。森で一度。打った手の数だけ負けている。五度目の手が、その総攻撃だ」


ヴォルスの顔が赤くなった。

「戦闘はまだ一度しか——」


「戦闘の数ではなく、手の数だ」


アデルの声は、平らだった。

「森に魔獣を押し出した。向こうは魔獣を狩って、金と経験と備蓄に変えた。浅瀬を渡った。向こうは川ごと使って止めて、補給だけ焼いた。橋をひと月見張らせた。向こうは見張りごと、見たいものを見せて、百五十を橋ごと沈めた。森が安全だと思った。安全だとこちらに思わせたのも、向こうだ」


誰も口を挟まなかった。


「こちらの準備が、毎回、向こうの材料になっている。偶然が四度続いたと読むか、最初から全部読まれていると読むか。俺は後の方だ」


ヴォルスが、低く言った。

「……ならば、どうしろと言う」


アデルが初めて、ヴォルスを見た。

「退けば、お前が本国で死ぬ。進めば、兵が死ぬ。どちらでも俺は構わんが、数だけは合わせておけ。二百ではなく、百五十。それと——」


少し止まった。


「橋を落としたのに、逃げ道は残した。武器を捨てた兵を追わなかった」


「そういう連中は、捕虜も殺さない」


「それがどうした」


「五度負けても、まだ詰んでいない、ということだ」


ヴォルスは、その意味を聞き返さなかった。

聞き返さなかったことを、アデルは見ていた。


「軍議は終わりだ! 総攻撃、二日後の夜明け! 異論は認めん!」


幕僚たちが立ち上がった。

アデルは、最後まで座っていた。

天幕の布の継ぎ目から、ベルタの方角の空が、少しだけ見えていた。


数える男は、敵の街にもいる。


それだけが、この戦争に残った、最後のまともな数字だった。


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