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バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

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第四十七話:森

仮橋は、いい橋だった。

ドルフは渡りながら、足元の板を確かめた。揺れない。軋まない。工兵が四日かけた仕事だ。


前の橋は、落とされたという。

百五十人ごと。


ドルフは五十人の分遣隊を率いて、本隊と別れた。任務は単純だ。森を抜け、ベルタの横腹に出る。正面が街道の防柵に張り付いた頃、横から入る。


森の入り口で、先遣隊が待っていた。

十五人。ひと月近くこの森に潜んでいた連中だ。


先遣隊長のマルツが言った。

「ご安心を。この森は知り尽くしています。獣道も、水場も、全部」


日に焼けて、痩せていた。でも目は生きていた。ひと月、誰にも見つからなかった男たちの目だった。

六十五人で、森に入った。



最初の半日は、何もなかった。

マルツの案内は確かだった。歩きやすい道を選び、水場で休ませ、ぬかるみを避けた。

「ベルタは森を警戒していません。ひと月、こちらに兵が来たことは一度もない」


ドルフは頷いた。

正面の報告とも合う。旗ばかり多い防柵。妨害ひとつ来なかった仮橋。あの街はもう、限界なのだ。


それでも、とドルフは思う。

あの街は、橋で百五十人を沈めた街だ。


楽に見えるものほど、確かめろ。

「斥候を先に。本隊は間隔を詰めろ」



最初の一人は、昼過ぎに消えた。

最後尾の荷持ちだった。

気づいたのは休憩の人数確認だ。六十五が、六十四だった。


「脱走か」

副長が言った。


「荷物ごとです」


「なら脱走だ」


そう処理した。徴集兵の脱走は珍しくない。

ただ、マルツが妙な顔をしていた。


「どうした」


「……いえ」


マルツが森の奥を見ていた。

「最後尾は、一番安全な位置です。逃げるなら、夜です。昼の行軍中に、列から消えるのは——」


言葉を選んでいた。

「消え方が、静かすぎます」



夕方までに、あと二人消えた。

今度は脱走では説明がつかなかった。


二人組の斥候だった。先行させて、戻らなかった。捜索に出した三人が、斥候の槍だけを見つけてきた。


槍は、木に立てかけてあった。


丁寧に。


争った跡はなかった。血もなかった。叫び声を聞いた者もいなかった。


ただ、槍だけが、行儀よく木に立てかけてあった。

兵たちが、それを囲んで黙っていた。


「……魔獣ですか」

若い兵が言った。


「魔獣は槍を立てかけない」

ドルフは言ってから、後悔した。


言わない方がよかった。

兵たちの顔色が、変わった。



夜営は、火を増やした。

見張りを倍にした。


それでも、朝の点呼で二人足りなかった。

見張りに立っていた二人だった。

交代の兵が持ち場に行ったら、誰もいなかった。武器は残っていた。今度は地面に、並べて置いてあった。


剣と、弓。


並べて。


「数えろ」

ドルフは言った。


五十九。


六十五で入った森で、まだ敵の顔を一度も見ていない。


マルツが地面を見ていた。長いこと見ていた。それから、立ち上がった。顔が白かった。

「足跡がありません」


「消したんだろう」


「違います。消した跡もないんです」


マルツの声が、初めて揺れた。

「自分はひと月この森にいました。獣の道も、鳥の声も、全部憶えました。ここは、知っている森のはずなんです」


森を見た。


「……今は、知らない森です」



三日目、行軍が遅れ始めた。

兵が、列を詰めすぎるからだ。

前の男の背中に張り付くように歩く。誰も最後尾を歩きたがらない。小川を渡る順番で、押し合いが起きた。


昼、また一人消えた。


夜、今度は消える前に音がした。


短い、息を呑む音。


全員が武器を取って、音の方を照らした。

誰もいなかった。


仲間が一人、減っていただけだった。


その夜、夜の闇に自分から消える者が出始めた。

朝の点呼で、四人足りなかった。武器が残っていたのは一人分だけだった。残り三人は、武器ごと消えていた。


それが脱走だと、今度は誰にもわかった。

呪われた任務から、夜が逃がしてくれるなら。


ドルフは止める言葉を持っていなかった。

「数えろ」


「……四十六です」



四日目の朝、マルツが進言してきた。

「引き返すべきです」


「任務がある」


「隊長」


マルツの目は、もうひと月生き延びた男の目ではなかった。

「我々は、ひと月見ていたんです。見ていたつもりだった。でも」


声を落とした。


「向こうは、我々を見ていた。最初から。ひと月、ずっと。そうとしか考えられない」


ドルフは答えなかった。

答えられなかった。


同じ結論に、昨夜のうちに着いていた。

それでも進んだのは、戻る橋の向こうに、本隊があるからだ。任務を捨てた隊長を、ランバルトは生かさない。


前に進むしか、なかった。

それすらも、と歩きながらドルフは思った。


それすらも、読まれているとしたら。



昼前、急に、木が途切れた。


光だった。


森を抜けた。

開けた草地だった。その先に、ベルタの北壁が遠く見える。

兵たちが、光の中によろめき出た。何人かが膝をついた。泣き出す者がいた。森を出られた。それだけのことが、救いだった。


ドルフは数えた。


三十。


六十五で入って、三十で抜けた。


そして、顔を上げた。


草地の真ん中に、二人、立っていた。


老人と、男だった。


老人は、武器を持っていなかった。腰が少し曲がっていた。白髪だった。

男は、斧を地面に置いて、その柄に手を載せていた。


二人だけだった。


伏兵を探した。草の高さ、岩、森の縁。何もない。本当に、二人だけだった。


なのに。


足が、出なかった。


三十人の隊列が、誰に命じられたわけでもなく、止まっていた。

森で消えた三十五人の、答えがそこに立っている。

理屈ではなく、全員がそう理解した。


「た……隊長、あれ、ただの爺さんですよ」


若い兵だった。確かまだ十七の。森の四日間で、目の焦点が合わなくなっていた兵だ。


「爺さん一人じゃないですか……!」


恐怖が、限界を越える音がした。


「うわあああっ!」


剣を振り上げて、走り出した。

恐怖から逃げるための、突撃だった。


「待て——!」

ドルフは叫んだ。遅かった。


楽に見えるものほど、危ない。この街では。だからあの老人は、この戦場で一番——


若い兵の剣が、届く前に。


終わっていた。


何が起きたか、ドルフには見えなかった。


若い兵は、地面に転がっていた。生きていた。咳き込んでいた。

その剣だけが、老人の手元にあった。


老人が、剣を眺めた。

それから、転がっている兵を見下ろして、言った。

「若いの、いい踏み込みだ」


誰も、意味がわからなかった。


老人が剣を、地面に置いた。丁寧にだった。

森で、槍が木に立てかけてあったのと、同じ丁寧さだった。


ああ、とドルフは思った。


同じだ。


森の中も、ここも、最初から最後まで、同じ一つの手の中だった。


音がした。

誰かの武器が、地面に落ちた音だった。


一つ。


二つ。


止まらなかった。


ドルフは、自分の剣の重さを、初めて感じていた。


握っているのか、握らされているのか、わからなくなる重さだった。


指が、開いた。


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