第四十五話:由来
朝が来た。
広場に、火の燃え残りがあった。樽が転がっていた。昨夜の街の形が、そのまま残っていた。
ギルドの前に、人を集めた。
冒険者、新人、漁師衆、組合の面々。眠そうな顔が並んでいた。まだ昨夜の続きの顔だった。
ガドが前に立った。
「川向こうに本隊がいる」
それだけで、眠気が消えた。
「数、二百。重装だ。数日で来る」
誰も喋らなかった。
昨夜あれだけ騒がしかった広場が、音を失っていた。
新人の一人が、小さく言った。
「……勝ったんじゃ、なかったんですか」
誰も答えなかった。
ゲッツが答えた。
「勝った。昨日はな」
◇
ギルドの中に戻った。
カウンターに、いつもの顔が集まっていた。
誰も、いつもの顔ではなかった。
ティナが言った。
「ケンジさん、どうするんですか」
帳面は、懐にあった。
閉じたままだった。
「……考えています」
嘘ではなかった。
考えて、考えて、足りなかった。それだけだった。
マーサが何か言いかけて、やめた。
ミーデルが帳面を開いて、閉じた。
書くことが、なかったのだと思う。
その時だった。
ジンが、顔を上げた。
◇
「……馬」
「ジン?」
「馬が来ます。北から」
北。
川は南だ。敵じゃない。
「四頭。速い」
ジンが少し首を傾げた。
「でも、変です」
「何がですか」
「一頭だけ、音が違う」
ジンが自分の耳を疑う顔をした。初めて見る顔だった。
「馬の音じゃない。蹄の音はしてるのに、その奥が——」
少し止まった。
「……魔獣の音がします」
全員が固まった。
魔獣が、馬の中に。
ベルタの北。北の森。
足が、勝手に動いていた。
◇
門に着いた時には、もう見えていた。
街道を、4頭が来る。
速かった。
土煙が、まっすぐこちらに伸びてくる。
門番が槍を構えかけて、止まった。
先頭の馬が、おかしかった。
大きい。普通の馬の一回り上。目の色が、遠目でもわかるほど赤い。たてがみが逆立っている。
荒れた馬の特徴だった。1頭でも街道に出れば討伐依頼が出る類の。
なのに。
歩様が、一番静かだった。
四頭が門の前で止まった。
先頭の赤い目の馬から、老人が降りた。
ジャウだった。
その後ろで、ソルが降りた。ルウが降りた。ポウが飛び降りた。
ポウが先頭の馬の首を叩いた。
「ヴェタ、はやかったねー!」
止まった。
「……ヴェタ?」
ポウがにこにこした。
「うん! ヴェタ!」
馬が、鼻を鳴らした。
ヴェタ家の、ヴェタ。
ソルが横に来た。馬を見て、それからこちらを見た。
「家の名は、こいつからもらった」
それだけ言った。
ガドが、馬を見ていた。
何も言わなかった。
レイモンドが、一度だけガドを見た。
それも、すぐに逸れた。
赤い目の馬を、もう一度見た。
魔力にあてられた馬。荒れて、討伐されるはずだった馬。
殺さず、馴らさず、育てた。
家の名前を、もらうほどに。
この一家は——
「ケンジ」
ジャウが前に立った。
「ルウから聞いた」
短かった。
「ベルタに、戦が来るそうだな」
「……はい。本隊が、二百。数日で来ます」
「うむ」
ジャウが街を見た。門を、塀を、その向こうの屋根を、ゆっくり見た。
それから言った。
「いい街だ」
「ありがとうございます」
「ジンのババアもいる。アンもいる。炭の客もいる」
指を折っていた。
「客人の街だ」
ジャウがこちらに向き直った。
「儂らも混ぜろ」
◇
執務室に、人が入りきらなかった。
ガド、レイモンド、ゴルド、ケンジ。それとヴェタ家の四人。
ガドとジャウが、向かい合った。
ガドが先に頭を下げた。
深かった。
ガドが頭を下げるところを、初めて見た。
「助かる」
ジャウが「うむ」と言った。
それで終わりだった。
岩と森の交渉は、三秒で済んだ。
レイモンドが何か手続きの話をしかけて、やめた。ペコペコもしなかった。する相手ではないと、わかったらしかった。
その時、ゴルドが口を開いた。
「一ついいですか」
ジャウがゴルドを見た。
「ルウとポウも、戦うんですか」
部屋が静かになった。
ゴルドが続けた。
「……子供を、前に出すんですか」
責める声ではなかった。
ただ、聞かずにいられない声だった。
ジャウは、怒らなかった。
少し笑った気さえした。
「森では、狼は歳を聞かん」
ゴルドが止まった。
「狼に襲われる日に、子供だから休みということはない。あの二人は、生まれた日からそういう場所で生きてきた」
ジャウがルウとポウを見た。
「街の子と、儂らの子は、別の生き物だ。お前さんの心配は、街の正しさだ。それは受け取っておく」
ゴルドがしばらく黙っていた。
それから、頭を下げた。
「……失礼しました」
「いや」
ジャウが言った。
「聞いてくれる街だから、来た」
◇
地図を広げた。
帳面を、懐から出した。
開いた。
昨夜から書けなかった帳面に、手が動き始めた。
ヴェタ家、四人。ジャウ、ソル、ルウ、ポウ。騎馬四。うち魔馬一。
書きながら、数字が組み変わっていくのがわかった。
昨日まで、足りなかった。
正面を厚くすれば横が空く。横を守れば街が薄くなる。どこを削っても穴が開く、その計算が——
森が、丸ごと味方になった。
ルウとポウは、知らない南の森で、先遣隊の十五人を誰にも気づかれずに数えてきた。
二人で、それができた。
四人なら。
しかも今度は、ジャウとソルがいる。
敵は、森を通って来る。
ペンが、止まらなかった。
「ケンジ」
ガドが言った。
「顔が変わったな」
顔を上げた。
部屋の全員が、こちらを見ていた。
「……数えられるようになりました」
帳面を、机に置いた。
開いたままで。
「作戦を、組み直します」




