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バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

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第四十四話:勝った夜に

夜のベルタは、明るかった。

広場に火がいくつも焚かれていた。樽が開いていた。誰かが歌っていた。下手だった。誰も止めなかった。


橋が落ちた夜だった。


街は、勝った夜の中にいた。



広場の端で、ブロンが新人たちに囲まれていた。


「で、俺が正面で受けたわけだ!!」


「網はマルコさんでしたよね」


「俺も受けた!!」


「ブロンさん、途中で転んでませんでした?」


「転んでない!! 滑った!!」


新人たちが笑った。ブロンも笑った。声がでかかった。

今夜だけは、誰も「声がでかい」と言わなかった。



ゲッツは樽の近くにいた。

新人が一人ずつ、酌をしに来ていた。


「手、まだ震えてます」

弓を持っていた新人が言った。


「そうか」


「……俺、人に向けて放ったの、初めてで」


ゲッツが杯を置いた。

「覚えとけ。震えなくなった時の方が問題だ」


新人が少し止まった。

「……はい」


「飲め。今夜は飲んでいい」


新人が頷いた。目が少し赤かった。

ゲッツは次の新人の酌を受けた。二十人、全員の杯を受けるつもりらしかった。



ティナは泣いていた。

もう何度目かわからなかった。

「だってぇ……誰も、死ななかったんですよ……」


ミーデルが隣で帳面を開いていた。

「矢の消耗、石の補充、捕虜の食事の手配。明日やることを書き出しています」


「ミーデルさん、泣かないんですか」


「泣いています」

帳面の字が、少しだけ滲んでいた。



広場の隅に、捕虜の一団がいた。

縄は最小限だった。逃げる体力が、そもそも残っていなかった。


トールが鍋を運んでいた。

「ほら、スープ。熱いから気をつけて」


捕虜たちが顔を上げた。

最初の一人が、椀を受け取った。

両手が、椀を包んだ。

飲んだ。


止まらなかった。

喉を鳴らして、一気に飲んだ。熱いはずだった。気にしていなかった。

隣の男も、その隣も、同じだった。


トールはお玉を持ったまま、見ていた。


椀の底まで飲み干して、男が小さく何か言った。

聞き取れなかった。でも、わかった。


トールはもう一杯よそった。


それから、近くにいたゴルドのところへ歩いていった。

「ゴルドさん」


「どうした」


「あの人たち……ずっと、食ってなかったんじゃないですか」


ゴルドが捕虜たちを見た。


「装備が軽いって、聞いてました。身軽なんだと思ってました。でも」


トールが言葉を探した。

「軽いんじゃなくて……持ってないんだ」


ゴルドはしばらく黙っていた。

「……かもな」


それだけ言った。


捕虜の一人が、スープの礼のつもりか、トールに向かって頭を下げた。

深かった。

敵の頭の下げ方じゃなかった。



広場の灯りが届かない場所に、リアがいた。

一人だった。


ゆっくり、腰を落としていた。それから、立つ。また、落とす。

何度も、同じ動きを繰り返していた。


「リアさん」


リアが振り返った。


「飲まないんですか」


「あとで」


リアが手のひらを見た。

「……抜けたんです。考える前に、体が」


少し止まった。


「あの感じ、忘れたくなくて」


「ルウさんに報告ですね」


リアが少し笑った。

「次に会ったら、見せます」



ケンジは広場を歩いていた。

声をかけられるたびに、立ち止まって、礼を返した。


「ケンジさんの作戦のおかげだ!」


「みなさんが動いたからです」


「飲んでますか!」


「少しだけ」


杯は持っていた。減っていなかった。


懐に、帳面があった。

開いていなかった。

昨日の夜から、一行も書けていない。



その時、視界の端で、影が動いた。

カーラだった。

広場に、入ってこなかった。

縁を回って、ギルドの方へ歩いていく。レイクロークの黒が、火の明かりを避けていた。


足が、止まった。


カーラさんは、監視に出ていた。

戻る予定は、明日のはずだった。


杯を、近くの樽の上に置いた。



執務室に、三人がいた。

ガド、カーラ、ケンジ。


窓の下から、歓声が聞こえていた。誰かの歌も聞こえていた。まだ下手だった。


カーラが立ったまま、話し始めた。


「川向こう、本隊です」


声が静かだった。


「数、二百」


窓の外で、誰かが笑った。

部屋の中では、誰も笑っていなかった。


「装備が違います。鎧が革じゃない。荷駄が後ろに続いています。天幕、糧食、攻城用の梯子も見えました」


帳面を、開いた。


手が、勝手に動いていた。


「昨日の百五十とは、別物です。あれは——」


カーラが少し止まった。


「あれは先触れです。本隊は、最初からこっちです」


書いた。


二百。重装。荷駄。梯子。

書きながら、わかっていた。

昨日の違和感の、答え合わせだった。


百五十は素直に罠に乗ったんじゃない。乗せられたんだ。こちらの手の内を全部使わせるために。

橋の罠。新人の弓。漁師の網。伏兵の位置。


全部、見せた。

全部、二百に伝わっている。


「もう一つ」


カーラが続けた。

「列の一番後ろに、変な男がいました」


ペンが止まった。


「戦う格好をしていません。武器も見えない。馬にも乗らずに、歩いていました」


「指揮官ではないんですか」


「指揮はとっていません。指揮官は先頭の馬です。でも」


カーラが少し考えた。


「……兵が、その男を避けて歩いていました」


部屋が静かになった。


「囚人ですか」


「縄はありません」


「客人ですか」


「天幕は一番粗末なのを使っていました」


わからなかった。


帳面に書いた。

後列。非武装。徒歩。兵が避ける。縄なし。粗末な天幕。


数えられない男が、一人いる。



カーラが下がった後、ガドと二人になった。


帳面を開いたまま、数字を並べた。

鉄級以上、三十。新人、二十。漁師衆、二十。


矢、橋でほとんど使った。補充は数日かかる。

橋、もうない。あの仕掛けは、もう使えない。一回しか使えない仕掛けだった。

捕虜五十の見張りに、最低五人。

王都の援軍、早くてあと六日。

二百。重装。こちらの手の内は、割れている。


数字を、何度も組み替えた。


正面を厚くすれば、横が空く。横を守れば、街が薄くなる。新人を前に出せば——出せない。

どう組んでも、足りなかった。


ペンを置いた。

帳面を、閉じた。


音が、思ったより大きく響いた。

ガドが、こちらを見ていた。


「足りんか」


「……足りません」


初めて、その言葉を口に出した。


窓の下で、街はまだ笑っていた。

明日のことを、まだ誰も知らなかった。


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