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バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
三章

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第四十二話:森の文法

夜明け前のギルドは、暗かった。

カウンターに灯りを一つだけ置いた。


ルウとポウ、ジン、フィン。それと帳面。


「始めます」

帳面を開いた。


「南の森に、人がいると思っています。ランバルトの先遣です。確かめてほしいのは四つです」


指を折った。


「一つ、人数。二つ、装備と食料の量。三つ、伝令の頻度。誰かが出入りするなら、どれくらいの間隔か。四つ——」


少し止めた。


「何を見ているか。橋なのか、街道なのか、街なのか。顔の向きでいいです」


ルウが黙って聞いていた。

ポウが指を折りながら復唱した。


「にんずう、にもつ、でんれい、かお!」


「そうです」


「おぼえた!」


「戦わないでください。近づきすぎないでください。確かめて、帰ってくる。それだけです」


「了解」


ルウが言った。

「ひとつ聞く」


「どうぞ」


「見つけた後、潰さなくていいのか」


「潰さないでください。いることを、こちらが知らないふりをしたいんです」


ルウが少し考えた。

「……罠の罠か」


少し止まった。

森の人間の理解は、早い。


「そうです」


「了解」



ジンが紙を広げた。

橋と森の図だった。岩場、木の配置、鳥の声が消えた場所に印。


「ここです。橋から見て、森に三百歩くらい入ったあたり」


ルウが図を見た。

長く見ていた。


「水は」


ジンが少し止まった。

「……水?」


「人が居着くなら水がいる。近くに沢はあるか」


ジンが図を思い出すように目を閉じた。

「あります。印の場所から、もう少し奥に。音がしてました」


「なら本隊はそっちだ」


ルウが図の一点を指した。印より奥、沢の側。

「鳥が消えた場所は見張り台。寝るのは水の近くだ」


誰も喋らなかった。

帳面に書き込んだ。森の文法は、森の人間にしか読めない。


フィンが動いた。

図に指を置いた。

橋の観測点から森へ、一本、線を引いた。


何も言わなかった。


ルウが線を見た。

「……ここから先は、見るな」


フィンが頷いた。


「見れば、見返される」


もう一度、頷いた。


「了解」


それだけだった。

プロ同士の話は、早かった。



二人を送り出す前に、包みを渡した。

「アンばあさんからです」


ポウが包みを開けた。

蜜の雫が入っていた。

「やったー!」


「声」


ルウが言った。

ポウが両手で口を押さえた。


「……やったー」

小さい声で言った。アハハ、と小さく笑った。


「夕方には戻る」

ルウが言った。


「お願いします」


二人が東の門へ歩いていった。

南には行かなかった。

東から回り込むのだろう。教えていないのに、そうした。



朝の森に、霧が出ていた。

ルウは止まった。


風が変わる場所だった。谷の冷えた空気が、ここで尾根の風とぶつかる。匂いが流れてくる側に、立ってはいけない。

回り込んだ。

ポウが後ろにいた。

足音はなかった。霧の中で、気配だけが付いてくる。家の森と同じだった。

知らない森だ、と来る前にルウは思っていた。


歩いてみれば、同じだった。


木の癖が少し違う。土が少し軽い。それだけだった。風の読み方も、水の在り処も、獣の道も、森の文法は変わらなかった。


沢の音がした。


ルウは止まって、屈んだ。

ポウが隣に屈んだ。


匂いがした。

煙の、消し方を知っている煙の匂いだった。


ポウがルウを見た。

にこにこは、していなかった。

森の顔だった。


ルウは指を二本立てて、沢の方を指した。

ポウが頷いた。


二人の影が、霧に溶けた。



沢に近づくほど、森が静かになった。

静かすぎた。


鳥がいない。獣の道に、新しい足跡がない。森の住人は、もう全員知っているのだ。ここに何かがいることを。


知らないのは、街の人間だけだった。


ルウは木の上に登った。

音はなかった。


ポウが別の木に登った。

音はなかった。


枝の間から、見えた。

天幕が三つ。低く張ってある。木の色に近い布だった。火の跡が一つ。煙は出ていない。昼は火を使わない連中だった。


人を数えた。

見えるだけで、八。


天幕の大きさから、寝ている数を足した。

十五前後。


——にんずう。


ポウが指を動かした。一、五。ルウと同じ数字だった。

頷き合った。



装備は軽かった。

剣と弓。鎧は革だけ。荷が少ない。

ただ、奥の天幕の横に、木箱が積んであった。


四つ。


雨避けの布までかけてある。武器や食料の扱いではなかった。一番大事にされている荷物だった。

ルウは木箱を見続けた。


兵の一人が箱を開けた。

紙だった。


紙の束と、何かを書く台。男が台に紙を広げて、橋の方を見ながら、書いた。


——にもつ。


食料は少ない。紙は多い。

戦いに来た連中ではなかった。


書きに来た連中だった。



昼を過ぎた。

見張りが交代した。

二人が森の縁へ歩いていく。鳥の消えた場所だ。入れ替わりに二人が戻ってくる。

戻った男が、書く台の男に何かを話した。


台の男が、書いた。

橋を見て、書く。街道を見て、書く。戻った見張りの話を聞いて、書く。


——かお。


橋だ。

連中はずっと、橋を見ていた。


ポウが枝の上で、指で字を書く真似をした。それから橋の方を指した。

ルウは頷いた。

妹も、同じものを見ていた。



日が傾き始めた頃、動きが変わった。


書く台の男が、紙をまとめた。

折って、革の筒に入れた。蝋で封をした。


若い兵が一人、呼ばれた。

筒を受け取って、腰に提げた。荷を持たない。水と剣だけ。


走るための身軽さだった。


——でんれい。


若い兵が、川の方へ走り出した。


ルウは見送った。

追えば速さがわかる。どこで川を渡るかもわかる。


でも、追わなかった。


近づきすぎないでください。確かめて、帰ってくる。それだけです。


ケンジの声が、頭の中にあった。

代わりに、日の位置を覚えた。

伝令が出た時刻。これも「でんれい」のうちだ。頻度は、次に来る者がいつ出るかでわかる。今日はここまでだった。


ポウを見た。

ポウが頷いた。


二つの影が、来た時と同じように、霧のない夕方の森から消えた。

連中は最後まで、気づかなかった。



夕方のギルドに、二人が戻ってきた。

執務室に五人が集まった。ガド、フィン、ケンジ。それとルウとポウ。


「報告する」

ルウが立ったまま言った。


「人数、十五前後。見えたのは八。天幕三つ」


帳面に書いた。


「装備、軽い。剣と弓、革鎧。食料は少ない」


書いた。


「荷物。木箱が四つ。中身は紙だ」


ペンが止まった。


「……紙、ですか」


「書く台もあった。橋を見て書く。街道を見て書く。見張りの話を聞いて書く。一日中だ」


部屋が静かになった。


ガドが口を開いた。

「兵じゃないな」


「目だ」

ルウが言った。


「あれは軍の目だ。森の獣と同じだ。狩る前に、見る」


ポウが手を挙げた。

「でんれいもいたよ! ゆうがたにはしってった! かわのほうに! つつをもってた!」


「封蝋の筒です……か」


「ろうのにおいがした!」


風下からの匂いまで覚えていた。


帳面に書いた。

伝令、夕刻発。革筒、封蝋。川方向。


書きながら、考えていた。

今日の紙が、本隊に届く。


橋は無事です。ベルタは橋を補修しています。守る気です——そう書いてあればいい。


でも、もし。

ゲオルクさんの細工に、気づいていたら。


「ルウさん。連中、橋の下を見ていましたか」


ルウが少し考えた。


「見張りは橋の上と、街道だ。下は」


止まった。


「……わからない。見える位置に、おれたちは行っていない」


正直だった。わからないことを、わからないと言う。

それが一番、助かる。


ガドが地図を見ていた。

「伝令が着くのに一日。本隊が読んで、決めて、動くのに一日」


顔を上げた。

「細工の残りは」


「二日です」


誰も喋らなかった。


計算は、全員ができた。

向こうの「動く」が今日の紙で決まったなら——


細工が終わる日と、本隊が来る日は、同じ日になる。



二人を見送りに、門まで出た。


ポウが手を振った。

「またくるー! アハハ」


ルウが少し止まった。

「じいちゃんに、報告する」


「お願いします」


それだけだった。


二つの影が、夕暮れの街道に消えた。


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