第四十一話:鳥の声が、消えた場所
朝のギルドに、炭の匂いがした。
ルウとポウだった。
荷車いっぱいの炭俵を、二人で運び込んでいた。一俵で大人が腰を痛める重さだ。ポウが二俵まとめて持っていた。
「ケンジか」
「いらっしゃい。マレクさんが待ってました」
「了解」
それだけだった。黙々と降ろし始めた。
ポウが炭俵を置いて、カウンターに駆けてきた。
「ねえねえケンジさん、きょうも字やっていい?」
「ゲッツさんに聞いてください」
「ゲッツさーん!」
書庫の方から「でかい声を出すな」と返ってきた。やる、ということらしい。
ポウが跳ねるように書庫へ行った。
ルウが最後の俵を降ろした。荷台を確認して、紐をまとめた。それから、こちらを見た。
「……納品、完了した」
「ありがとうございます。字の方はどうですか」
「負けない」
それだけ言って、書庫へ歩いていった。
◇
書庫から、声が聞こえてくる。
「『や』。や、や、や」
「やー!」
「伸ばすな」
「や」
「ルウはできてる。ポウ、もう一回」
「やー! アハハ」
ゲッツさんの教え方は、相手が増えても変わらない。音で入れて、形をつけさせる。
街の南で軍が動いている時に、ギルドの書庫では字の練習をしている。
悪くない、と思った。
こういう朝を守るために、動いている。
◇
昼過ぎ、ギルドの扉が開いた。
フィンだった。後ろに冒険者が三人、最後にジンが入ってきた。
橋の確認班だ。
ジンがカウンターに来た。
「終わりました。両岸とも音、通ります。合図役が隠れる場所も決めてきました」
「ノイズは」
「ないです。距離は問題ありません」
「隠れ場所はどうでしたか」
「橋が見えて、身を隠せて、声が漏れない場所。両岸に一つずつ。図にします」
ジンが紙を取って、さらさらと描き始めた。橋、岩場、木の配置。一度見ただけの場所が、正確に紙の上に並んでいく。
帳面に書き込んだ。音の確認完了。観測点確保。残りはゲオルクさんの細工だけ——
「あ、でも」
ジンが手を止めた。
「問題じゃないんですけど」
「どうぞ」
「橋の手前の森、変でした」
ペンが止まった。
「変、というのは」
「隠れ場所を探して歩き回ったんです。それで気づいたんですけど、鳥の声が消える場所がありました。一箇所だけ」
護衛の冒険者の一人が笑った。
「鳥くらい黙るだろ」
「黙るのと、いないのは違います」
ジンが静かに言った。
「あそこだけ、ずっといなかった。行きも帰りも」
冒険者がまだ笑っていた。
その時、フィンが頷いた。
一度だけだった。
笑っていた冒険者が、黙った。
部屋の空気が変わった。
「場所、覚えていますか」
「覚えてます」
ジンが即答した。当たり前のことを聞かれた顔だった。
◇
帳面を開いた。
書いた。
橋の手前の森。鳥の声が消える場所。行きも帰りも。
ペンが止まった。
鳥がいない。
理由は二つしかない。何かが棲みついたか、誰かがいるか。
魔獣なら、ジンは別の言い方をしたはずだ。気配がした、音がした、と。
何もない、と言った。
気配を消せる誰かが、そこにいる。
橋の、手前に。
もう一行書いた。
橋を見ている者がいる?
書いて、止まった。
ランバルトは橋を使わなかった。本攻めで使うために。
なら、その橋が無事かどうか、確かめずに置いておくだろうか。
帳面を閉じた。
執務室に向かった。
◇
ガドが地図を見ていた。
「ガドさん、報告があります」
「話せ」
ジンの話をした。鳥の声。フィンの頷き。帳面の仮説。
ガドが黙って聞いていた。
聞き終わって、しばらく動かなかった。
「……見張りか」
「だと思います。橋を確保するための先遣です」
ガドが地図の橋を見た。
「まずいな」
「はい。ゲオルクさんの細工が、見られます」
部屋が静かになった。
細工は三日かかる。橋の下に潜る作業だ。森から橋が見えるなら、隠しきれない。
罠を仕掛けていることが、敵に伝わる。
ガドが顔を上げた。
「潰すか」
「いえ」
首を振った。
「潰せば、見張りが消えたことが向こうに伝わります。警戒されて、橋を使わなくなる」
「なら」
「泳がせます」
ガドの目が細くなった。
「向こうが何を見て、何を本隊に送っているのか。それを先に知りたいです。知っていれば、見せたいものだけ見せられます」
ガドがしばらくこちらを見ていた。
「誰が確かめる」
「冒険者は出せません。森の見張りなら、こちらの動きは見られていると思った方がいい。ギルドから戦力が南に動けば、それ自体が伝わります」
「なら誰だ」
少し間を置いた。
「冒険者じゃなくて、森を歩ける人間です」
書庫の方から、かすかに声が聞こえていた。
「ろー! アハハ」
ガドが目だけ動かした。
それから、短く言った。
「ヴェタの兄弟か」
「炭の納品で街に出入りしています。南に行くのも、薪拾いか獣道の確認に見えます。何より——」
「森の中なら、消える」
ガドが言った。あの森でルウとポウに先に気づける人間を、想像できなかった。
ガドが腕を組んだ。
長い沈黙だった。
「条件がある」
「はい」
「潰すな。触るな。見るだけだ」
一語ずつ、区切って言った。
「見られたと向こうが気づいた時点で終わりだ。確かめて、帰ってくる。それだけをやらせろ」
「わかりました」
「ティエとソルには」
「ルウさんから報告してもらいます。家の判断を通さずに動かすことはしません」
ガドが頷いた。
「行け」
◇
夕方、ゲオルクの鍛冶場に寄った。
橋の細工の図面が、作業台に広がっていた。
「進み具合はどうですか」
「初日にしては悪くない。明日から現場に入る」
少し止まった。
「ゲオルクさん、現場の作業、橋の下だけで収まりますか」
「収まる。上からは見えん」
「資材の運び込みは」
ゲオルクが手を止めた。
こちらを見た。
「……誰かに見られると困るのか」
「困るかもしれません。まだわかりません」
ゲオルクがしばらく黙っていた。
「資材は補修用に見せる。橋板を二、三枚剥がして、表で直すふりをさせろ。下の作業は音で紛れる」
「助かります」
「まあ、うまくやれ」
いつもの言葉だった。
ただ今日は、こちらがうまくやる番だった。
◇
夜、アンばあさんの食堂だった。
ルウとポウがいた。納品の日は、ここで食べて帰る。いつの間にかそうなっていた。
ポウがスープを三杯目までおかわりしていた。アンばあさんが「いい食べっぷりだねえ」と笑っていた。
ルウは黙って食べていた。姿勢が良かった。
食べ終わった頃、隣に座った。
「ルウさん、ポウさん。明日、頼みたいことがあります」
ポウが顔を上げた。
「おしごと?」
「仕事です」
ルウが匙を置いた。
「了解」
即答だった。
「……内容を聞かなくていいんですか」
「ケンジの依頼だ」
それだけ言った。
少し止まった。
「危ない仕事かもしれません」
「了解」
変わらなかった。
ポウがにこにこしていた。
「あしたなにするのー?」
「明日の朝、話します。ティエさんとソルさんへの報告も、その時に」
ルウが頷いた。
「字の勉強は」
「つけます」
「了解」
二人が帰っていった。
ポウが振り返って手を振った。
「またあしたー!アハハ」
◇
食堂が静かになった。
アンばあさんがお茶を置いた。
何も聞かなかった。
帳面を開いた。
ゲオルクさんの細工、三日。森の見張り、正体不明。明日、ルウとポウ。
内容も聞かずに了解と言った。
あの二人に、何を背負わせようとしているのか。
帳面を閉じた。
戦えない男のやり方は、いつも誰かの足を借りる。
だから、間違えられない。
お茶が、まだ温かかった。




