第三十八話:繋がった夜
夜だった。
川の音だけがしていた。
カーラは葦の陰に伏せていた。レイクロークの黒が、夜に溶けている。輪郭が、ない。
隣にフィンがいた。
気配がなかった。いるとわかっているから、いる。それだけだった。
川向こうに、火があった。
多かった。
隠す気がない火だった。
カーラは数えた。
焚き火、十七。人影、数えきれない。前より増えていた。装備が軽い。荷が少ない。長く留まる気がない連中の顔だった。
川岸に、三人出てきた。
水面を見ていた。川幅を測るような目だった。
カーラの腹の底で、何かが冷えた。
怒りではなかった。
恐怖でもなかった。
ただ、冷えた。
フィンが指を動かした。
川下を指していた。
浅瀬だった。石が見えている。人が渡れる。荷車も、おそらく。
カーラは頷いた。
帳面を出した。暗闇の中で、手探りで書いた。
渡河ポイント、川下の浅瀬。今夜は動かない。明日以降。
書き終えて、川岸の三人をもう一度見た。
笑っていた。
略奪に来る人間の顔だった。
◇
同じ頃、ラルタ村は静かだった。
静かすぎた。
ゴルドが村の入り口に立って、川の方角を見ていた。
「……来るな」
誰にも聞こえない声で言った。
ブロンが後ろから来た。声を落としていた。それだけで、いつもと違った。
「ベルナーさんに話した。避難路、三本確認した」
「マルコは」
「今夜は漁師仲間を集めている。戦える人間の数を出すって」
ゴルドが「止めろ」と言った。
「止めた。でも」
ブロンが川の方を見た。
「ここの人間は、逃げたくないんだ」
ゴルドが黙った。
しばらくして、言った。
「わかる」
それだけだった。
リアが走ってきた。
「繋がりそうです」
◇
村の外れに、トールが座っていた。
膝の上に魔石を二つ乗せていた。
「……またノイズが」
「魔力の込め方が均一じゃない」
リアが言った。
ゴルドが横を見た。
「魔力が揺れている」
「わかってます」
「わかっているなら」
「わかってるのとできるのは別で——」
「黙って試せ」
トールが口を閉じた。
石に手を置いた。
息を整えた。
魔力を、細く、均一に、込めた。
石が、震えた。
ベルタから、声が来た。
『こちらケンジ。聞こえますか』
全員が止まった。
リアが小さく息を吐いた。
ゴルドが「繋がった」と言った。
ブロンが何か言いかけて、黙った。
トールが石を両手で包んだ。
「……聞こえます」
声が、少し震えていた。
◇
ベルタのギルドだった。
カウンターの上に石が並んでいた。
ジンが石を見ていた。ゲッツが腕を組んでいた。ティナが両手を口に当てていた。ミーデルが帳面を持ったまま固まっていた。マーサが「聞こえた……」と呟いた。
ケンジが石に向かって言った。
「状況を報告してください」
『ラルタ村、避難路三本確認。村長了承。マルコさん、漁師仲間を集めています』
ゴルドの声だった。
「マルコさんに戦闘は止めてもらってください」
『止めました』
ジンが「繋がってる」と言った。当たり前のことを言っていた。でも誰も笑わなかった。
次の石に魔力を込めた。
「カーラさん、聞こえますか」
少し間があった。
川の音が、かすかに聞こえた。
『聞こえます』
カーラだった。
声が静かだった。川の向こうにいる声だった。
「状況を」
『渡河ポイント確認。川下の浅瀬。今夜は動かない。明日以降です』
「わかりました。戻ってきてください」
少し間があった。
『カーラ、フィン、帰還了解』
それだけだった。
ティナが泣いていた。声を出さずに泣いていた。
◇
川岸に、また風が来た。
カーラは葦の中で、石が震えるのを感じていた。
ケンジの声が届いた。
『戻ってきてください』
フィンが動いた。
無言だった。「行くぞ」とも「今だ」とも言わなかった。ただ、一歩、後ろに下がった。それだけだった。
カーラは川向こうの火を、最後にもう一度見た。
笑っていた三人は、まだそこにいた。
見た。
覚えた。
それだけでいい。
レイクロークの黒が、夜に溶けた。
二つの影が、音もなく消えた。
◇
ベルタのギルドに、もう一つ石が震えた。
カーラだった。
『ベルタに向かっています。異常なし』
次にフィンだった。
『同じく』
短かった。
それだけで十分だった。
ゲッツが「全員繋がったな」と言った。
ジンが「……多分、まだ一人いますよ」と言った。
全員が石を見た。
しばらく、何もなかった。
それからざ、という音がした。
『——け゛んじ゛さ゛ん゛!!き゛こ゛え゛ま゛す゛か゛!!』
全員が固まった。
ジンが「今の雑音の声は誰ですかね」と言った。
静かな声だった。
「多分、トールさんです」
ケンジが石に向かって言った。
「トール、練習しましょう」
『ぜ゛ひ゛お゛ね゛が゛い゛し゛ま゛す゛!!』
ティナがまだ泣きながら笑っていた。
「……ちゃんと繋がってますね」
◇
川の向こうで、火が燃えていた。
明日が来る。
でも今夜は、繋がった。




