第三十五話:ラルタ村へ
朝、三人で街道を歩いた。
空が広かった。
「ル、の書き方が違います」
「……これか」
「もう少し右に払ってください」
ルウが帳面を見ながら歩いた。真剣だった。
ポウが「わたしはー?」と言った。
「ポウさんは曲線が上手いです」
「やったー!」
ルウが「黙れ」と言った。
◇
川沿いの道に入った頃、ポウが止まった。
「あ」
草むらの向こうに、馬がいた。
野生だった。たてがみが乱れている。目が鋭い。
ポウがにこにこしながら近づいた。
馬が少し後ずさった。
ポウがもう一歩近づいた。
手を伸ばした。
馬が鼻を鳴らした。
しばらくして、ポウが背中に乗っていた。
「のれたー!アハハ」
少し止まった。
「……普通に乗るんですね」
ルウが帳面から目を上げた。
「馬だからな」
それだけ言った。
帳面に戻った。
「う、ま」
小さく書いた。
「……合っています」
また歩き始めた。
◇
ラルタ村に着いた頃、昼を少し過ぎていた。
川沿いに小さな家が並んでいた。畑がある。川に小舟が何艘か浮いていた。
「ケンジさん!」
声がした。
ラルだった。
「久しぶり!来てくれるとは思わなかったっすよ」
「お久しぶりです」
ラルが三人を見た。馬を見た。
「あ、馬車で来たんすか。あれ、荷車はどこっすか」
「馬車ではないです。道中で捕まえました」
「捕まえた!?」
ポウがにこにこしていた。
「村長に話を通してもらえますか」
「あ、っす。ちょっと待ってください」
ラルが走っていった。
◇
しばらくして、年配の男と一緒に戻ってきた。
「村長のベルナーです」
「ケンジと申します。イレーナさんからの依頼でお邪魔しています」
ベルナーが頷いた。
「王都から手紙が来ていました。話を聞かせてください」
◇
村の中を歩きながら話を聞いた。
「最近の状況はどうですか」
ラルが口を開いた。
「魔獣はマルコさんたちが何とかしてくれてるんすけど、あ、マルコさんってのはこの村の漁師頭です、んで、稼ぎがきつくて。魚も野菜も余るのに売り先がなくて」
「商人は来ますか」
「来る時は来るんすけど、来ない時は来ない。来てくれた時しか売れないから、腐らせることも多くて」
「定期的に買い取ります」
ラルが止まった。
「……え、マジっすか」
「マジです。今ベルタは肉が余っています。野菜と魚は特に助かります」
「でもどうやって運ぶんすか」
「その馬を使います」
少し止まった。
「定期的に馬車を走らせます」
「作っただけ、獲っただけ、腐らせることはなくなります」
少し止まった。
「……でも、捕まえたのはポウなので確認は必要ですが」
ラルが少し黙った。
「誰っすか」
後ろでポウが馬の首にぶら下がっていた。
「この子です」
ラルが馬を見た。
ポウを見た。
また馬を見た。
「……確認した方がいいっすね」
ラルとベルナーが顔を見合わせた。
「……本当にできるんすか」
少し止まった。
「レイモンドさんに手紙を書きます」
二人が黙った。
「できるかどうかはわかりません」
少し間があった。
「判断は向こうです」
ラルが黙った。
「でも、あの人はこういう話を放っておく人じゃないです」
ベルナーがしばらく黙った。
「……ガドさんの縁の方ですか」
「そうです」
ベルナーが小さく頷いた。
「わかりました。信じましょう」
◇
川沿いを歩いていると、大柄な男が網を手に立っていた。
「マルコさん」とラルが言った。
男が振り返った。
三十代後半ほどだった。がっしりした体格だった。
マルコが三人を見た。
「ベルタの方ですか」
「はい。ケンジと申します」
マルコが少し目を細めた。
「……ケンジさんですか」
「はい」
マルコが深く頭を下げた。
「ガドさんには昔、大変お世話になりました。縁の方にお会いできて光栄です」
「こちらこそ」
マルコが川を見た。
「最近、また魔獣が増えてきています。ランバルトの影響でしょうか」
「そうかもしれません。ただ今ベルタ側で魔獣狩りが活発になっています。しばらくすれば落ち着くと思います」
「そうですか」
マルコが少し間を置いた。
「何かできることがあれば言ってください」
◇
川底に何かが動いていた。
大きかった。
カニだった。通常より一回り大きい。
少し見た。
「厄介ですけど、ご馳走ですよね」
マルコが「……あれがですか」と言った。
少し止まった。
「食べないんですか」
マルコが川を見た。
「網に引っかかって困っていました」
ラルが「俺も食べたことないっす」と言った。
少し考えた。
「……茹でてみましょう」
◇
ルウとポウを送り出そうとして、少し止まった。
馬を見た。
ポウが首を撫でていた。
「ポウさん」
「なーに!」
「この馬、ベルタで使ってもいいですか」
ポウが少し止まった。
馬を見た。
こちらを見た。
「おしごと?」
「荷物を運んだり、人を乗せたりです」
ポウが少し考えた。
それから馬のたてがみを撫でた。
「……いいよー!」
「ありがとうございます」
ルウが帳面から顔を上げた。
「……返してやれよ」
「借ります」
ルウが頷いた。
ルウに手紙を渡した。
「ガドさんへの手紙です。馬と一緒にギルドに届けてもらえますか」
ルウが受け取った。
銀貨を数枚渡した。
「馬を借りるお駄賃です」
ルウが少し止まった。
「……馬の分か」
「ルウさんとポウさんの分も入っています」
少し間があった。
ルウが受け取った。
「……そうか」
ルウが少し止まった。
「……また頼む時は字の勉強をつける」
「もちろんです」
ポウが馬に乗った。
「またねー!」
馬が走り出した。ルウがその後ろを走った。
あっという間に見えなくなった。
◇
火を起こした。
鍋にお湯を沸かした。
カニを入れた。
しばらくして、いい匂いがした。
取り出した。赤くなっていた。
一口食べた。
少し止まった。
うまかった。
川を見た。
もう一匹いた。
買い取れると思った。
村人たちが遠巻きに見ていた。
マルコが腕を組んで見ていた。
ラルが「……本当においしいんすか」と言った。
「おいしいです」
誰も近づかなかった。
一人で食べ続けた。
◇
その日は村に泊まった。
畑を見た。
川を見た。
魚を捌くところを見た。
子どもたちがポウの話をしていた。
夜、ラルが明日の漁の準備をしていた。
手伝った。
特に何も起きなかった。
それで十分だった。
◇
二日目の朝だった。
川沿いに座っていた。
馬車が来るまでまだ時間がある。
マルコが隣に来た。
「先日のカニですが」
「はい」
「村の者に聞いてみました。売るだけならやってみると」
「ありがとうございます」
「食べることはまだ難しいですが」
「それで十分です」
マルコが川を見た。
「ケンジさん、ガドさんはお元気ですか」
「元気です」
「そうですか」
少し間があった。
「またいつか、お会いしたいものです」
川が静かに流れていた。
しばらくして、馬車が来た。
ベルタの荷車だった。
御者が封筒を渡してきた。
開いた。
短かった。
『まずは一台』
レイモンドより。
下に小さく書いてあった。
『ガドさん了承済』
少し止まった。
ラルが「……本当に来たっすね」と言った。
「言いましたよね」
ラルが笑った。
馬車に乗った。
ベルタへの道が続いていた。
少し前まで、なかった道だった。




