第三十話:視察の日
朝から、ギルドが少し緊張していた。
ベックが書類を三度確認した。ティナが掲示板を拭いた。ミーデルが台帳を並べ直した。ゲッツが「落ち着けよ」と言った。
カウンターに立った。
いつも通りでいい。
◇
昼前、馬車が止まった。
ベックが外に出た。
しばらくして戻ってきた。
「王都査察部門副部長レオン様、王都顧問イレーナ様、王都商人組合副議長オルフェン様がいらっしゃいました」
ガドが頷いた。
「案内しろ」
◇
最初に入ってきたのは四十代の男だった。
整った身なり。無駄のない所作。腰には細身の剣。書類を抱えていた。
レオン。王都査察部門副部長。
次に入ってきたのは女性だった。
品があるが目だけが若い。平民の出だとわかる立ち方。背筋が真っ直ぐだった。
イレーナ。王都顧問。
最後に入ってきたのは五十代ほどの男だった。
派手な服。腹が出ている。金の装飾が目立つ。馬車から降りた瞬間から値踏みする目をしていた。
オルフェン。王都商人組合副議長。
街を見回して、少し顔をしかめた。
「ここがベルタか。思ったより小さいな」
イレーナが横目で一度だけ見た。
ガドが前を歩いた。
◇
レオンはベックのところへ向かった。
書類を広げた。台帳を確認した。数字を照合した。ベックが淡々と対応した。
「達成率の改善はいつからですか」
「六ヶ月前からです」
「理由は」
「依頼管理の仕組みを整えました。書類の整理、台帳の導入、情報共有ボードの設置です」
「誰が」
「受付のケンジが提案しました」
レオンが台帳を見た。それから書類に何か書き込んだ。
「ベルという制度も」
「そうです」
「加入者数は」
ベックが帳面を開いた。数字を読み上げた。
レオンが書き込んだ。表情が変わらなかった。仕事として来ている顔だった。
「銅級の回転率が高い。新人育成の仕組みがあるんですか」
「新人研修制度を設けました。座学と実地の二本立てで、登録から最初の一ヶ月は必ず経験者と組む形にしています」
「これも受付のケンジが」
「そうです」
レオンがしばらく黙って書き込んだ。
その間、オルフェンが少し離れたところで腕を組んでいた。ボードをちらっと見た。台帳も同じだった。興味なさそうだった。
◇
イレーナはギルドを歩き回っていた。
情報共有ボードの前で立ち止まった。じっと読んだ。メモを取った。
台帳を手に取って、中を確認した。
カウンターの前で立ち止まった。
「受付の方ですか」
「はい。ケンジと申します」
「少し聞いてもいいですか」
「どうぞ」
イレーナが帳面を取り出した。
「このボード、毎日更新しているんですか」
「朝一番に更新しています」
「情報の精度はどう担保していますか」
「帰還した冒険者の報告書と、パトロールの記録を照合しています。取りこぼしがあれば翌朝に修正します」
イレーナが書き込んだ。
「ベルの制度設計は」
「加入者が増えるほど安定する構造にしています。積み立て型と共済型の二種類で、用途に応じて選べます」
「街の住人も入れるんですね」
「そうです。商人や職人にも需要があります」
イレーナが一瞬だけ口元を緩めた。
すぐ戻した。
帳面に書き込んだ。
「アンピーク組合の好調要因も、あなたが」
「それぞれの専門の組合員が動いています。私は提案しただけです」
イレーナが少し間を置いた。それから帳面を閉じた。
「故郷はどこですか」
少し止まった。
「かなり遠いところです。名前を言っても伝わらないと思います」
「寂しくはないですか」
少し止まった。
「……慣れました」
イレーナが「そうですか」と言った。
しばらく、次の言葉が来なかった。
「ギルド長とはうまくやれていますか」
「はい」
イレーナが少し間を置いた。
「そうですか」
それだけだった。
◇
一時間後、別室にガドとケンジが呼ばれた。
レオンが書類を広げた。
「監査結果をお伝えします」
淡々とした声だった。
「良い点から。依頼管理、新人育成、ベルの制度。いずれも他のギルドに共有すべき仕組みが完成しています。王都として正式に評価します」
ガドが短く頷いた。
「悪い点が一つあります」
レオンがこちらを見た。
「受付のケンジさん、身元の確認書類が不備です」
少し間があった。
「王都の監査としては、この件について王都への出向という形で——」
「すまない」
ガドが口を開いた。
「この書類を保管し忘れていた」
懐から紙を取り出した。レオンに渡した。
レオンが受け取って、目を通した。
少し止まった。
「……町長レイモンド殿との養子縁組書類ですね」
「そうだ」
レオンがもう一度確認した。それから折りたたんだ。
「わかりました。問題ありません」
イレーナが窓の外を見ていた。
何も言わなかった。
◇
監査が終わった頃、レオンが口を開いた。
「街の税収増加の要因についても確認したいので、役場に向かいましょう。ケンジさん、ご一緒願えますか」
「わかりました」
◇
役場に通された。
全員が着席した。
レイモンドが帳面を開いた。
「街の税収ですが、この半年で大きく改善しています。アンピーク組合の設立とベルの制度が主な要因です。冒険者の稼働率が上がり、街の商人や職人の収益も安定してきました」
レオンが書き込んだ。
「素晴らしい取り組みですね」
「皆さんのおかげです」
その時、オルフェンが身を乗り出した。
「君たちは運が良かった」
「運ですか」
「そうだ。たまたま有能な人材が揃っただけだ」
オルフェンが肩をすくめた。
「だが人は死ぬし街も衰退する」
「だから大きな組織が必要なんだ」
少し笑った。
「個人に頼る仕組みは長続きしない」
「単刀直入に話そう。アンピーク組合、王都商人組合に入れてやる。売上の二割をいただく形になるが、いい話だろう」
少し間があった。
「いえ、結構です」
オルフェンが少し目を細めた。
「商売がやりやすくなるぞ。大きな後ろ盾もつく」
「必要ないです」
「ほう」
オルフェンが背もたれに寄りかかった。
「ではベルとかいう制度。あれは大変だろう。こちらで回してやる。王都なら十倍の規模で回せる」
「やれています」
少し止まった。
「逆にできるんですか」
部屋が静かになった。
レイモンドが一瞬だけこちらを見た。
目が笑っていなかった。
オルフェンの顔色が変わった。
「商売というものがわかっていないな。そっちがその気ならいくらだってやりようはあるんだぞ」
レイモンドが静かに前に出た。
ペコペコが止まった。
「副議長、加入と売上の徴収は王都商人組合の規定の何条に基づいていますか。条文をお聞かせいただけますか。記録に残しておきたいので」
オルフェンが止まった。
「それと、この件は議長の承認を得ていますか」
長い沈黙が落ちた。
部屋が少し重かった気がした。
イレーナが口を開いた。
「得ていません」
静かな声だった。
「……オルフェン、落ち着きなさい」
オルフェンがイレーナを見た。
イレーナはケンジを見た。
「もったいないですね」
「何がですか」
「あなたです」
「こんな優秀な人材を辺境に置いておくのは惜しい」
「イレーナ」
レイモンドが口を開きかけた。
「王都で働いてもらいたいんです」
その時扉が開いた。
アンばあさんだった。
盆に小さな包みをいくつか載せていた。にこにこしていた。
「あらまあ、皆さんお疲れでしょう。よければどうぞ」
盆を机に置いた。
旅人の一口だった。
レイモンドがペコペコした。
「アンさんちょうどよかった」
目が笑っていた。
全員が少し止まった。
アンばあさんがイレーナを見た。
「遠いところからよくいらっしゃいましたねえ」
にこにこしたまま言った。
イレーナが少し口を開きかけた。
アンばあさんが旅人の一口を一つ、イレーナの前に置いた。
「昔ねえ、大事な仲間のためにギルドを一つ潰した馬鹿がいてねえ」
にこにこは変わらなかった。
「もちろんそれからはずうっと真面目に大人しく仕事してるんだけどね」
少し間があった。
「またそんなことが起きたら、悲しいねえ」
部屋が静かになった。
イレーナが何も言わなかった。
目が、少し赤かった。
オルフェンが「……何の話だ」と言いかけた。
レイモンドがペコペコした。
「旅人の一口、どうぞ召し上がれ」
◇
三人を見送った後、振り返った。
アンばあさん、ガド、レイモンドがいた。
「あの、いくつか聞いてもいいですか」
アンばあさんが「いいのいいの、なんとかなったんだから」と笑った。
レイモンドがペコペコした。
「危なかったですけどね」
「ガドさん、漏れてましたよ。魔力」
ガドが無言でレイモンドを見た。
レイモンドが目を逸らした。
少し間があった。
レイモンドがこちらを向いた。
「みなさん、どうでしょう。一安心できたところで飲みにでも」
ガドが「いい」と言った。
レイモンドがケンジに目を向けた。
「結構です」
「そうですか」
「レモさん、うちで飲むかい」
「ありがとうございます、アンさん。今日は本当に助かりました」
アンばあさんが「なんのなんの」と笑った。
「あの子のことは私が一番よく知ってるからね」
レイモンドのペコペコが少し弾んだ。
◇
ギルドに戻った。
廊下でガドとすれ違った。
「ガドさん」
「なんだ」
「いつの間にあんな書類を用意していたんですか」
ガドが少し止まった。
「レイモンドだ」
それだけ言って、執務室に入っていった。
少し止まった。
レイモンドのペコペコが頭に浮かんだ。
「……そうですか」
誰にも聞こえない声で言った。
◇
カウンターに戻った。
マーサが隣に来た。
「ケンジさん、あの女の人、ずっとあなたを見てたよ」
「そうですか」
「気づいてなかったの」
「気づいていませんでした」
マーサが少し笑った。
「あんたらしいねえ」
窓の外はもう暗かった。
王都の馬車は、とっくに見えなくなっていた。
それでも。
何かが終わった気はしなかった。




