第三話:二日目のギルドは、思ったより騒がしかった
翌朝、日が昇る前に目が覚めた。
寝袋の中でしばらくぼんやりしていた。
ほんの少しだけ、目覚めたらいつもの部屋を期待した自分がいた。
ギルドの裏だ。
昨日のことを思い出した。
採用された。テントを張る場所をもらった。魔力がほぼない。でも受付の仕事には支障ない。
……異世界で就職したのか、私は。
そこまで考えて、小さく息を吐いた。
まあ、今のところはなんとかなっている。
起き上がって、テントの外に出た。
空が白み始めていた。
服を確認した。
キャンプ用のシャツとパンツ。機能性重視で選んだやつだ。防臭加工、速乾性あり、ポケットが多い。
でも——
この世界では浮きそうだな。
昨日、街を歩いた時に気づいた。みんな布製の服を着ていた。ズボンじゃなくてスラックスに近い形。シャツは麻っぽい素材。
現代的なアウトドアウェアは明らかに異質だった。
今日、服を買いに行く必要がある。
でもまず、仕事だ。
◇
ギルドの扉を開けた。
まだ開店前の時間だった。
書類の山が昨日のままそこにあった。
どこから手をつけるか。
まず全体を把握することだ。
その前に——
執務室のドアをノックした。
「なんだ」
「書類の整理を始めてもいいですか」
短い沈黙が落ちた。
「やれ」
「わかりました」
それだけだった。
許可を得た。
始められる。
書類を一枚一枚手に取って、内容を確認した。
依頼書、報酬記録、登録情報、苦情記録、期限切れの通知、未処理の申請書。
全部バラバラに積み上がっていた。
まず分類だ。
四つに分けた。
緊急性のあるもの——期限が迫っている依頼、未払いの報酬、未処理の申請書。これは今日中に対応が必要だ。
記録として残すもの——過去の依頼記録、報酬の支払い記録、冒険者の登録情報。整理して保管する。
処理済みのもの——完了した依頼、支払い済みの報酬。日付順に並べて保管する。
不要なもの——期限切れの通知、重複している書類。破棄する。
当たり前のことだ。
でも、書類は分類されずに積み上がっていた。
確認済みのものと未処理のものが混ざっている。
受付印だけ押された紙もある。
忙しくて後回しになったのか。
ルールがないのか。
それとも別の理由か。
まだ、よくわからなかった。
黙々と作業を始めた。
「何してるの」
声がした。
振り返ると、がっしりした体格のおばちゃんが立っていた。
「書類を分類しています」
「昨日の子だよね? ありがたいけど、やり方わかるのかい?」
「まだ全部はわかりません」
「じゃあ大変だよ、それ」
「なので、まず分類から始めています」
おばちゃんが書類の山を見た。
「……終わりそうかい、それ」
「今日中には終わらないと思います」
おばちゃんが少し目を細めた。
「だろうねえ」
それから小さく息を吐いた。
「マーサだよ。落ち着いたら手伝いにくるからね」
それだけ言って、いそいそと自分の持ち場に向かった。
少なくとも、頭ごなしに止める人ではないらしい。
しばらくして、ベックが出勤してきた。
昨日、採用に難色を示していた鑑定係の中年男性だ。
書類が整理され始めているのを見て、眉をひそめた。
「何をしているんですか」
「書類を分類しています」
ベックの目が少し険しくなった。
「……ガドさんに許可は取ったんですか」
昨日あれだけ渋っていたのに、今朝も確認してくる。
徹底している。
「取りました。朝一番に」
ベックが少し止まった。
「……そうですか」
納得したわけではなさそうだった。でも文句も言えない顔だった。
「やり方が違います。うちには独自のルールがあって——」
「教えてもらえますか」
ベックが少し止まった。
「……え」
「知らないので教えてください」
ベックが予想外だったのか、少し間を置いた。
それから渋い顔で近づいてきた。
「……まあ、聞くなら教えますけど」
過去の依頼記録は年別に保管する。報酬記録は冒険者のランク別に分けている。登録情報は名前順に並べている。
「わかりました。そのルールに合わせます」
ベックが少し拍子抜けした顔をした。
「……素直ですね」
「合理的なルールは守ります」
「合理的じゃないルールは?」
「理由を確認します」
ベックがしばらく私を見た。
それから小さくため息をついた。
「……まあ、とりあえずやってみてください」
昨日より一歩だけ、距離が縮まった気がした。
◇
ギルドが開くと、冒険者たちが入ってきた。
「お前、誰だ」
「新しい受付のケンジです」
「マーサさんじゃないのか」
「今日から私も担当しています」
冒険者が私を上から下まで見た。
「……魔力ゼロらしいな」
噂でも立っているのか。
「測定できないほど少ないだけです」
「ゼロじゃないのか」
「ゼロではないです」
冒険者が笑った。
「細かいやつだな」
笑いながら依頼書を出してきた。
処理した。
次の冒険者が来た。
「おいおい新人、いきなり受付できんのか」
依頼書を受け取って処理した。
「ん、はええな」
それだけ言って出ていった。
思ったより普通に受け入れられている。
冒険者たちはわかりやすい。強さより、使えるかどうかで判断する。
昼前、書類の分類がひと段落した。
緊急性のある書類が七件あった。
ガドに報告した。
「緊急対応が必要な書類が七件あります」
「……七件?」
「期限切れになる前に処理が必要です」
ガドが少し黙った。
「……処理しろ」
「わかりました」
ガドが執務室に戻った。
整理すれば見える。整理しなければ見えない。それだけのことだ。
昼休み、ティナが近づいてきた。
この子は雑用係の若い女の子だ。
「ケンジさん、昼ごはん食べましたか?」
「まだです」
「一緒に行きませんか? 街を案内しますよ!」
「案内?」
「ケンジさん、昨日来たばかりですよね。必要なお店、まだわからないと思って」
確かに。
服を買いに行く必要があったのを思い出した。
「お願いします」
ティナが嬉しそうな顔をした。
「行きましょう!」
◇
街に出た。
ティナが元気よく案内してくれた。
「まずここが食堂です。ランチが銅貨三枚で食べられます。冒険者の子たちがよく来ますよ」
「安いですね」
「屋台もありますよ。あっちの通りの豆スープが美味しくて、銅貨二枚で食べられます」
昨日食べたやつだ。
「自炊するなら朝市がいいですよ。毎朝ギルドの東側の広場に出てます。野菜とか肉とか新鮮なものが安く買えます」
「朝市ですか」
「早起きしないといけないですけど笑」
ティナが次の通りに向かった。
「ここが薬草師のお店です。怪我した時に来ます。でも高いんですよね」
「他に治療する方法は?」
「神官に祈ってもらうか、薬草を使って回復を早めるか。どっちも庶民には難しくて」
医療が中途半端だな。
でも今は情報収集だけしておこう。
「道具屋もありますよ。アンばあさんっていうおばあさんがやってて、冒険者に人気で。松明とかロープとか保存食とか」
「ギルドの近くですか」
「すぐそこです。いい人ですよ、アンばあさん」
覚えておこう。
「あ、お風呂はこっちの通りに公衆浴場がありますよ。冒険者の子たちもよく使ってます」
「それは助かります」
少し歩いたところで、ティナが立ち止まった。
「あそこが教会です。ルーメン教の」
大きな建物だった。
街で一番目立つ場所に建っていた。白い石造りで、上に光を象ったらしい装飾がある。
「大きいですね」
「街で一番大きい建物ですよ。みんな毎週お祈りに来ます。ケンジさんも来ますか?」
「故郷にそういう習慣がなかったので」
ティナが少し目を丸くした。
「そうなんですか。ここでは当たり前なんですけどねえ」
大きい建物だ。街で一番目立つ場所に建っている。
権威の示し方として、わかりやすい。
深くは考えなかった。でも頭の片隅に残った。
食堂に入った。
ランチを二つ頼んだ。
肉と野菜の煮込みと、厚いパン。
テーブルに並んだのを見て、自然に手を合わせた。
「いただきます」
ティナが首を傾げた。
「……なんですかそれ」
「食事の前に言う言葉です。故郷の習慣で」
「どういう意味ですか」
少し考えた。
「食べ物の命をいただく、という意味です。作ってくれた人への感謝も込めて」
ティナがしばらく考えた。
「……なんかいいですね、それ」
「そうですか」
「私も言っていいですか」
「どうぞ」
ティナが真似して手を合わせた。
「いただきます」
少し照れくさそうだった。
煮込みは濃い味付けだった。パンが硬かった。
でも温かかった。
悪くない。
布屋に寄った。
「ケンジさんの服、すごく変わってますよね」
「故郷のものです。この街では浮いているので買い替えようと思って」
「じゃあこれとこれはどうですか」
ティナが選んでくれた。
麻のシャツと、動きやすいズボン。シンプルだが、街に馴染む格好だ。
「これにします」
「似合いますよきっと!」
支払いを済ませた。
銅貨三十枚。
思ったより安い。
「ありがとうございました」
「どういたしまして! わからないことあったらなんでも聞いてください!」
ティナが笑顔で言った。
素直な子だ。
向いている仕事が他にある気がした。
でも今日は言わないことにした。




