第四話:埋もれていた一枚
ギルドに戻った。
昼過ぎの時間帯。
冒険者の出入りが少し落ち着いていた。
書類の分類の続きをやることにした。
まだ手をつけていない山が残っていた。
一枚一枚、確認しながら分類していく。
しばらくして、山の底の方から一枚の依頼書が出てきた。
農村からの緊急依頼書だった。
魔獣が畑を荒らしている、早急に対応してほしいという内容だった。
日付を見た。
二週間前だ。
手が止まった。
二週間、この依頼書は書類の山の底に埋もれていた。
誰も気づかなかった。
二週間、放置されていた。
すぐにガドに持っていった。
「この依頼書、二週間前のものです」
ガドが受け取って、日付を見た。
黙った。
表情が変わった。
その時、ギルドの扉が勢いよく開いた。
若い男が飛び込んできた。
泥だらけだった。服が破れていた。腕に傷がある。
息が上がっていた。
目が赤かった。
「頼みましたよね!」
大きな声だった。
ギルドの中が静まり返った。
「二週間前に頼みましたよね! 畑が荒らされてるって! なんで誰も来ないんですか!」
若い男の声が震えていた。
怒りと、泣きそうな顔が混じっていた。
「うちの村、もう半分の畑がやられました! 冬を越せるかどうかわからないんです! なんで! なんで来てくれなかったんですか!」
ギルドの中が静かだった。
私は何も言えなかった。
二週間埋もれていた一枚の紙。
その紙が今、目の前の若い男の傷になっていた。
書類が埋もれていた。それだけのことが、人を傷つけた。
私が動こうとした時だった。
椅子が引かれる音がした。
ギルドの中にいた冒険者が、数人、無言で立ち上がった。
革鎧のベルトを締め直す音。
剣帯を引き上げる音。
机の横に立てかけてあった槍が持ち上がる。
誰も大声を出さなかった。
でも全員、依頼を受ける目をしていた。
ガドが若い男を一度見た。
それから冒険者たちを見た。
「行くぞ」
「ああ」
短いやり取りだった。
それだけで動き始めた。
重たい扉が次々と開いて、閉まる。
外へ駆け出していく足音が遠ざかっていった。
残ったのは、若い男と、マーサと、ティナと、ベックと、私だった。
ベックが何か言いかけて、口を閉じた。
こういう時どうすればいいか、わからない顔だった。
結局、その場に立ったまま動けなかった。
若い男がへたり込んだ。
膝に力が入らなかったのかもしれない。
ずっと走ってきたんだろう。
マーサが水を持ってきた。
「水だよ、飲むかい」
若い男が受け取った。
震える手だった。
「……ラルです」
ティナが若い男の隣にしゃがんだ。
「ラルさん、来てくれて、よかった」
小さな声だった。
「どうにもできなくて」
若い男が少し顔を歪めた。
泣きそうな顔だった。
「……間に合いますか」
「ガドさんが行ったから、大丈夫です」
ティナが静かに言った。
根拠はなかった。でも嘘でもなかった。
私はカウンターの前に立っていた。
何もできなかった。
今すぐ村へ行ける力は、私にはなかった。
これが私の限界だ。
でも——
こういうことが二度と起きないようにするのが、私にできることだ。
書類を整理すること。情報を見える化すること。埋もれた依頼書を見つけること。
地味で、目立たなくて、誰も気づかない仕事だ。
でも今日、それが一人の若者の傷になった。
一枚の紙が、人を傷つけた。
絶対に、二度とこういうことは起こさない。
静かに、そう決めた。
夕方、ガドたちが戻ってきた。
全員無事だった。
若い男が立ち上がって、ガドの前に行った。
「村は…」
ガドが短く言った。
「終わらせた、遅くなってすまなかった」
それだけだった。
若い男が頭を下げた。
泣いていた。
でも今度は、怒りじゃなかった。
◇
その夜、書類の整理を続けた。
マーサさんが隣で手伝ってくれた。
「今日のこと、あんたのせいじゃないよ」
「わかっています」
「でも、気にしてるでしょ」
「しています」
マーサさんが少し間を置いた。
「……昨日来たばかりで、よく気づいたと思うよ」
「遅かったです」
「そうだね」
マーサさんが正直に言った。
慰めなかった。
それがよかった。
「でも今日気づいたから、明日からは違う」
「そうします」
マーサさんが書類を一枚渡してきた。
「これ、どっちに分類する?」
「記録系です」
「そうね」
二人で黙々と作業を続けた。
ランタンの明かりの下で、書類が少しずつ整理されていった。
こういうことが、私にできることだ。
今日はそれで十分だ、と思った。




