第8話 神速の銀狼、実はしっかりオスだった
翌日の昼下がり。
緋翼騎士団の休憩所の片隅で、レイはどんよりとしたオーラを放ちながら長机に突っ伏していた。背後には、しょんぼりと垂れ下がった幻の犬の耳と尻尾が見えるようだ。
「……フラれた」
「そりゃそうだろうな」
向かいの席で昼食のパンをかじりながら、ヘイズは深く、深くため息をついた。
「あのな、レイ。お前、結婚ってものを根本的に勘違いしてるぞ。結婚ってのはな、お互いが『好きだ』『この人しかいない』って気持ちになってからするものなんだよ」
「俺はイリスしかいないって思ってるよ?」
「お前のそれは違う! 毎日ご飯作ってほしいだとか、頭撫でてほしいだとか……そんなの、犬が飼い主に甘えてるのと一緒だろ!」
ヘイズの的確すぎるツッコミに、レイはむすっと口を尖らせた。
「犬じゃないもん。俺は本気でイリスと一緒にいたいんだ」
「はいはい。……大体な、恋人とか夫婦ってのは、ただ同居してお世話をしてもらうだけの関係じゃねえんだよ」
ヘイズは少しだけ声を潜め、呆れたように言い放った。
「男と女の、あれやこれや……い、いやらしい事をする仲なんだぞ? お前、そういう大人の事情、全然わかってないだろ」
十七歳にして初恋もまだ(だとヘイズは思っている)の純粋無垢なワンコには、少しばかり刺激が強かっただろうか。
そう思ってヘイズが様子を伺うと――。
「うん。知ってるよ?」
レイは、「今日の天気は晴れだね」くらいのテンションで、さらりとそう答えた。
「…………へ?」
ヘイズは口を開けたまま完全に固まった。手からポロリと食べかけのパンが落ちる。
「え? ……し、知ってる? あれやこれやを?」
「知ってるよ。騎士団の寮にいる先輩たちが、たまにそういう本とか読んでるし。……それがどうかした?」
こてんと小首を傾げるレイの蒼い瞳は、どこまでも澄み切っている。
ヘイズはゴクリと唾を飲み込み、引きつった顔で恐る恐る尋ねた。
「お前……まさか、そういう事込みで……イリスちゃんと一緒にいたいって……思ってんの……?」
「だから結婚したいんだけど?」
「――ッ!!」
ヘイズは椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。
昨日のあの「俺って天才!」という無邪気なテンションの裏で、まさかそこまでしっかりとした(そして生々しい)欲求を抱えた上でプロポーズに踏み切っていたとは。
ただの生活能力ゼロの甘えん坊な大型犬だと思っていたら、その中身はちゃんと、十七歳の健全な『オス』だったのだ。
しかも、自分の欲望に対して一切の照れも迷いもない、ド直球の素直さである。
ヘイズは戦慄した。そして、目の前できょとんとしている親友の美しい顔を、まるで恐ろしい魔物でも見るかのような目で見つめた。
「お前……。それでよく、あんな距離で……毎日毎日、イリスちゃんの匂い嗅げるな……!」
無自覚なふりをして(いや、本人は本気で無自覚かつピュアなのだろうが)、極めて危険な欲求を抱えたまま幼馴染にベタベタと甘えていた神速の銀狼。
その底知れぬ恐ろしさに、ヘイズは一人、ガクガクと震えるしかなかった。




