第7話 神速の銀狼、プロポーズはオムライスの後で
その夜。いつものようにイリスの部屋で、特大盛りのオムライスをペロリと平らげたレイは、食後のハーブティーを両手で包み込みながら、満面の笑みで言い放った。
「イリス! 俺たち、結婚しよう!」
カチャン、と。
イリスの手から滑り落ちたスプーンが、お皿に当たって間抜けな音を立てた。
「…………は?」
「だから、結婚! 俺とイリスで!」
テーブルの向こう側で、レイは目をキラキラと輝かせている。背後では見えない大型犬の尻尾が、バッタンバッタンと床を叩く勢いで振られているのが幻視できた。
(……また、何か変なスイッチが入ったのね)
イリスは呆然としながらも、長年の付き合いから瞬時に状況を察した。
今日の昼間、広場で自分が商会の人と話していたのを、レイはひどく気にしていた。どうせこの単純な幼馴染のことだ、そこから何かのきっかけで、また訳のわからない突拍子もない思考回路を辿ったに違いない。
「ね!? 俺たちもう十七歳だし、明日すぐガイル団長に書類出してもらおうよ! 俺、いま凄くいいこと思いついたなって思って……!」
「ちょっと待ちなさい」
ウキウキと立ち上がりかけるレイを、イリスは冷ややかな声で制止した。
そして、深く、それはもう深くため息をついて、レイの蒼い瞳をジッと見据えた。
「あんた……結婚の意味、ちゃんとわかってて言ってるの?」
「え? ずっと一緒にいれるってことでしょ?」
レイは小首をこてんと傾げ、世界で一番当たり前のことを言うように即答した。一点の曇りもない、清々しいほどのドヤ顔である。
(ああ……やっぱり)
イリスは頭を抱えたくなった。
目の前で「俺って天才!」と胸を張っている『神速の銀狼』は、剣の腕前こそ超一流だが、精神年齢は驚くほど幼い。そもそも、特定の女の子に顔を赤らめるような「初恋」すら、この子はまだ経験していないのだ。
「あのね、レイ。結婚っていうのはね、ただ一緒に住んでご飯を食べるだけじゃないのよ。もっとこう……特別な感情を持った二人がするもので……」
「俺、イリスのこと特別だよ!? 誰よりも大事だし、他の男のところに行くなんて絶対に嫌だもん! だから結婚すれば、ずっと俺のイリスでしょ?」
「だーかーらー! そういう問題じゃなくてね!?」
あまりにも真っ直ぐで純粋な独占欲をぶつけられ、イリスは思わず声を荒らげた。
だが、レイは全く悪びれる様子もなく、「なんでダメなの?」と不思議そうに目をパチクリさせている。
(どうしよう。この子、本当に何もわかってない……)
結婚というものが単なる「一生の同居契約」ではなく、恋愛感情や、それに伴うもっと大人な関係性を含んでいるということを、初恋未経験のピュアなワンコに一体どうやって説明すればいいのか。
「……はあぁ。とにかく、そんな思いつきの結婚は却下です。お皿洗ってきなさい」
「ええーっ!? なんで!? ヘイズは名案だって顔してたのに!」
「あいつがそんな顔するわけないでしょ! ほら、早く!」
不満げに頬を膨らませて流し台へ向かうレイの背中を見つめながら、イリスはこの先思いやられる前途多難な日々に、本日何度目かわからない深いため息を落とすのだった。




