第4話 神速の銀狼、心の中で見知らぬ男に牙を剥く
雲一つない青空の下、王都の大広場に設けられた特設闘技場は、鼓膜を揺らすほどの黄色い歓声に包まれていた。
「キャアアアアッ! レイ様ぁぁぁっ!」
「こっち向いてえええっ!」
熱狂する女性客たちの視線の先には、手にした木剣を鮮やかに振るい、次々と対戦相手を沈めていく銀髪の美少年の姿がある。
涼やかな蒼い瞳、無駄のない洗練された動き。その凛とした佇まいはまさに『神速の銀狼』の名にふさわしく、観客の目を釘付けにしていた。
しかし、当のレイの心の中は、どんよりとした暗雲に覆われていた。
(……はあ、帰りたい。早く帰りたい……)
気分は最悪だった。なぜなら、彼にとって最大のエネルギー源が今日この場にいないからだ。
『ごめんねレイ。明日は裏方の事務仕事が立て込んじゃって、どうしても応援に行けそうにないの』
昨晩、夕食のシチューを食べながらイリスにそう告げられた瞬間から、レイのテンションは地の底まで落ちていた。
イリスが見ていないなら、誰の前でいい格好をしても意味がない。
どこか遠い世界での出来事のように歓声を聞き流し、レイはひたすらに淡々と作業のように試合をこなした。(ちなみに準決勝で当たったジルは、昨日のレイの脅しが効きすぎて開始数秒で自ら場外へダイブして逃げた)
気分が落ち込んでいるにも関わらず、その実力は群を抜いている。結果的に、レイは一度も剣をかすり傷一つ負うことなく、相変わらずの圧倒的な強さで優勝をさらってしまった。
「レイ・アルジュ、優勝!」
審判の宣言と共に、爆発するような歓声が上がる。
(やっと終わった……)
ほう、と息を吐き、木剣を片付けようとしたレイだったが、本当の試練はここからだった。
「レイ様! これ、手作りのクッキーです! 受け取ってください!」
「レイさんっ、あの、今度お茶に……!」
試合が終わるや否や、あっという間に数十人の女性ファンたちに取り囲まれてしまったのだ。
レイは内心のうんざりした気持ちを完璧なポーカーフェイスで隠し、冷ややかな、しかし丁寧な態度で口を開く。
「申し訳ありません。騎士団の規定により、個人的な贈り物は受け取れないことになっています。お気持ちだけ、ありがたく頂戴します」
いつものように定型文で断りながら、頭の中はすでにイリスのことでいっぱいだった。
(早く抜け出して、イリスのところに行こう。……少しだけ、匂いを嗅がせてもらおう)
そんなことを考えながら、ファンの隙間を縫って歩き出そうとした、その時だった。
ふと、視界の端にあるものが映り込んだ。
観客席から少し離れた、広場の隅にある木陰。そこに、見慣れた茶色の髪と、小柄な後ろ姿があった。
(……イリス?)
間違いない、イリスだ。
仕事で来られないと言っていたのに、どうして?
驚きと同時に、レイの心の中にパッと花が咲いた。見えない犬の耳と尻尾が、ちぎれんばかりに跳ね上がる。忙しい合間を縫って、自分の姿を見に来てくれたのだろうか。
「イリ――」
嬉しさのあまり声をかけようと足を踏み出した瞬間。
レイの体は、床に縫い付けられたようにピタリと止まった。
イリスは、一人ではなかった。
彼女の目の前には、長身の男が立っていた。騎士団の制服ではない、質の良さそうな私服を着た、見知らぬ青年だ。
青年はイリスに向かって何かを話し、身振り手振りを交えている。そして――あろうことか、イリスは口元に手を当て、とても楽しそうにコロコロと笑い声を上げたのだ。
ドクン、と。
レイの心臓が、今まで経験したことのない嫌な音を立てた。
俺以外の男と、あんなに楽しそうに笑っている。
俺には、あんな顔を見せたことがないのに。
「……っ」
途端に、レイの蒼い瞳から光が消えた。周囲の温度が急激に数度下がったかのような錯覚に、群がっていた女性ファンたちが一斉にブルッと身震いをする。
(誰だ、あの男は)
胸の奥底で、ドス黒く冷たい感情が渦を巻く。
神速の銀狼は、周囲の黄色い声援など完全にシャットアウトし、獲物をロックオンした獣のような鋭い視線で、見知らぬ男の背中を静かに睨みつけていた。




