第37話 伝説の顕現、しかし飼い主は動じない
「そういえば私、確かに斬られて……」
イリスは恐る恐る、風の刃を受けたはずの右肩に手を当てた。ローブは無惨に裂け、こびりついた返り血が凄惨な戦いを物語っている。しかし、そこにあるはずの激痛も、深い傷跡も、何一つ残っていなかった。
「なんで……? 傷が、消えてる……」
「俺が治した。……変な感じ、しない? どこか違和感ある?」
レイは心配そうに眉を寄せ、イリスの顔を覗き込む。その仕草に合わせて、頭の上の銀色の耳が不安げにペタンと伏せられた。
「違和感っていうか……全然、大丈夫みたい」
イリスは肩をぐるぐると回して確認し、不思議そうに首を傾げた。「っていうか、あんた魔法なんて使えたの? 攻撃魔法すら苦手だったじゃない」
「……わかんない。イリスが倒れるのを見た瞬間、何かが弾けて……気がついたら使えるようになってたんだ」
「『気がついたら』って……。あんたねぇ、魔法はそんなお手軽に習得できるもんじゃないのよ」
イリスは呆れたように溜息をついたが、すぐに目の前の「最大の問題」に指を突きつけた。
「それより、その耳と尻尾! どうしたのよ、それ! まさか魔法の副作用!?」
「……えっ、あ、これ……?」
レイは自分の腰から生えた巨大な尻尾を抱え込み、困ったように視線を泳がせた。「出そうと思って出したわけじゃないんだけど……なんか、引っ込まないんだ。変、かな?」
「変っていうか……」
イリスは再びその巨大な尻尾に手を伸ばし、ギュムッと力強く握った。
「最高の手触りすぎて、正直ちょっと羨ましいわよ!」
「んあ……っ、イリス、そこはダメだって……っ!」
二人がそんな、戦場とは思えない気の抜けたやり取りを繰り広げていると――。
「「「…………」」」
周囲で戦っていたヘイズや騎士たちが、恐る恐る、しかし抑えきれない好奇心と畏怖を抱えながら二人を取り囲んだ。彼らの目には、レイはもはや単なる「若きエース」ではなく、お伽話に語られる『神獣』か何かのように映っていた。
さらに後方からは、魔獣の進軍が完全に止まったことを確認したガイル団長率いる本隊が到着した。
団長は、一面が氷像の森と化した異常な光景と、その中心で「銀色の耳と尻尾」を生やしたまま幼馴染にモフられているレイの姿を見て、顎が外れんばかりに目を見開いた。
「レ、レイ……。貴公、その姿は……一体何事だ……?」
団長の震える声に、レイはハッとして顔を上げた。
一瞬だけ、魔獣を殲滅した時の冷酷な獣の瞳が宿り、周囲の騎士たちがビクッと肩を震わせる。
しかし、その鋭い視線は、隣で「ねえ、耳の中ってどうなってるの?」と無邪気に耳をめくろうとするイリスの手によって、瞬時にふにゃふにゃの「ワンコ」へと引き戻された。
「……団長。すみません、なんか……生えちゃいました」
「『生えちゃいました』で済むレベルかぁぁぁっ!!!」
ヘイズの魂の叫びが、凍てついた森に木霊した。
王都を救った英雄の誕生。しかしその英雄は、相変わらず一人の少女の手の平の上で、情けなくも幸せそうに尻尾を揺らしているのだった。




