第2話 神速の銀狼は餌付けされている
王都の居住区にある、こぢんまりとしたアパート。レイとイリスは、その隣同士の部屋を借りて暮らしている。
いや、厳密に言えば「暮らしている」というより、レイがイリスの部屋に入り浸っていると言った方が正しいかもしれない。
「イリス、おかわり!」
空になった木製のボウルを両手で恭しく差し出し、レイは期待に満ちた蒼い目をキラキラと輝かせた。その背後には、またしても見えない犬の尻尾が千切れんばかりに振られているのが見えるようだ。
「はいはい。よく食べるわねぇ、本当に」
イリスは呆れたように息を吐きながらも、湯気を立てるシチューをたっぷりとよそってやる。
二人の実家は隣同士で、生まれた時からずっと一緒だった。レイが騎士団に入るため王都で一人暮らしを始めると決まった際、彼の両親は泣きつきながらイリスの手を握ったのだ。
『お願いイリスちゃん! あの子、剣の才能以外はからっきしで、生活能力皆無なの! どうか面倒を見てやってちょうだい!』
そうして隣室に住み着いたイリスは、毎晩こうしてレイに夕食を振る舞っている。
「だって、イリスのごはんが世界で一番美味しいから」
「おだててもデザートは増えないわよ」
熱々のシチューを幸せそうに頬張るレイの姿は、とてもではないが昼間に訓練所で無双していた『神速の銀狼』と同一人物には見えない。ただの腹ペコな大型犬である。
「……そういえばさ」
向かいの席でハーブティーを飲みながら、イリスはふと思い出したように口を開いた。
「今日、訓練所の裏でまた女の子に呼び出されてたわね。受付の子だったかしら?」
「っ、げほっ、ごほっ!」
突然の指摘に、レイは勢いよくシチューを咽せた。
「なっ、なんで知ってるの!?」
「備品の買い出しの帰りに偶然見かけたのよ。真っ赤な顔した女の子の前に、氷みたいに冷たい顔で立つ銀髪のイケメンをね」
イリスはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、頬杖をついた。
「昔はちょっと転んだだけで『イリスぅ〜』って大泣きしてた泣き虫のレイが、今じゃ女の子を泣かせる方になるなんてねぇ。感慨深いわ」
「な、泣かせてない! ……ただ、お付き合いはできませんって、丁重にお断りしただけだ」
「今年に入ってからもう十回以上はお断りしてるじゃない。選び放題なんだから、いい加減誰かと付き合えばいいのに」
からかうようなイリスの言葉に、レイの幻の犬耳が、シュンと下を向いた。
木のスプーンを置き、レイは少しだけ唇を尖らせる。
「……いらない。俺は、誰とも付き合う気はない」
「どうしてよ。モテるんだから青春しなさいな」
「だって……俺には、イリスがいるし。イリスと一緒にいる時が一番落ち着くから、他の子なんてどうでもいい」
真っ直ぐな蒼い瞳で見つめられ、熱烈な言葉をぶつけられる。
はたから見れば完全に愛の告白だが、イリスの心拍数は一切上がらなかった。
「はいはい。私が結婚して家を出て行ったら、ご飯を作ってくれる人がいなくなるから困るもんね。せいぜい私が独身の今のうちに、甘えまくっておきなさい」
「ちがっ……! 僕はそういう意味で言ったんじゃ……!」
つい昔の癖で「僕」と言いかけて慌てて口をつぐむレイだったが、イリスはすでに空になった大皿を片付け始めていた。
無意識のうちにイリスを『番』として求めているレイの切実な執着も、世話焼き幼馴染の耳には「ご飯係がいなくなるのが嫌なワンコのわがまま」としか変換されないのである。
「ほら、食べ終わったら自分のお皿は自分で洗う! 生活能力つけるための練習!」
「……うん」
なんだか納得のいかないモヤモヤを抱えながらも、レイは大人しく袖をまくり、流し台の前に立つのであった。




