第27話 魔導士イリス、恋愛偏差値底辺につき悶絶する
「……っあぁぁぁもうっ! だめ、考えちゃだめ!!」
午前中の執務室。イリスは昨夜の出来事をぐるぐると思い出し、一人で頭を抱えて悶絶していた。
(大人の意味で、好き……。あれやこれや込みで、結婚したいって……)
耳元で囁かれた低く甘い声と、逃げ場を塞いできた強靭な腕力が脳裏に蘇る。
あんなの、自分の知っている『手のかかる泣き虫の幼馴染』じゃない。まるで、急に全く知らない『大人の男の人』に出会ってしまったような感覚だった。
「……っ、今まで私、どういう顔して匂い嗅がせてたのよ!!」
ボンッ!と顔から火が出そうなほどの羞恥心に襲われ、イリスはバインダーで自分の顔をバシバシと叩いた。
毎日「三分だけよ」とため息をつきながら首筋を差し出し、無邪気に抱きつかれるのを許していた己の無防備さが、今更になって信じられない。相手は健全な十七歳の、しかも国宝級の美貌を持つ『オス』だったのだ。
「これから、どういう顔してあいつに会えばいいのよ……」
イリスは力なく机に突っ伏し、深い、深いため息をついた。
「ただの、手のかかるワンコだと思ってたのに……」
ポツリとこぼした呟きは、誰に聞かれることもなく執務室の空気に溶けていった。
――そして、運命のお昼休み。
「イリィィス!!」
執務室のドアがバーン!と開き、今日の午前中の訓練を終えたレイがピカピカの笑顔で現れた。背後には千切れんばかりに振られる幻の尻尾が見える。
「午前中会えなかったからエネルギー切れ! いつもの匂い補充させて!」
日課のテンションで、無邪気に両手を広げて一直線に向かってくるレイ。
しかし、その完璧な顔面を見た瞬間、イリスの頭に昨夜の『やっとわかってくれた?』という色気たっぷりの顔が重なった。
「ひゃうっ……!」
イリスは顔を限界まで真っ赤にして、ビクッと後ずさった。
「あれ? イリス?」
レイが不思議そうに一歩近づく。
ズザッ、とイリスが後ろに一歩下がる。
「えっ、どうしたの? 怒ってる?」
レイがもう一歩近づく。
ズザザッ、とイリスがさらに後ろへ下がり、ついに背中が棚にぶつかった。
「こ、こっち来ないで……っ!」
ギュッと身をすくめて警戒するイリス。
無理もない。
物心ついた時から手のかかるレイの世話にかかりきりで、自分の恋愛など一切してこなかったイリスである。当然、異性に対する免疫などあるはずもなく――彼女の恋愛偏差値もまた、天才ポンコツ剣士のレイとどっこいどっこいの『底辺』だったのだ。
「ええー? なんで逃げるのさ!」
底辺(モラル崩壊気味の攻め)と、底辺(免疫ゼロの逃げ)。
真っ赤な顔で壁を背にして怯えるイリスと、なぜ避けられているのかわからず不満げに口を尖らせるレイ。
幼馴染という強固な殻が割れた今、二人のもどかしすぎる攻防戦は、こうして新たなフェーズへと突入したのだった。




