第25話 神速の銀狼、ついに男として認識される(そしてご飯を食べる)
「やっと、わかってくれた?」
甘くかすれた声が耳元に吹き込まれ、イリスの顔は耳の先から首筋まで、まるで熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。
レイの強靭な腕の中に閉じ込められ、逃げ場もなく、大きな瞳を潤ませてパニックに陥っている。
(あ……れ?)
至近距離でその様子を見つめていたレイは、内心でパチクリと瞬きをした。
(これって、もしかして……俺、ちゃんと『男』として見てもらえてる……!?)
今まで、どれだけ「結婚しよう」「大好き」とアピールしても、「はいはい」と幼児のようにあしらわれてきた。
しかし、今のイリスはどうだ。明らかに自分を異性として意識し、動揺し、かつてないほどに照れているではないか。
(やった……っ! ヘイズの言った通りだ! 俺、いま凄く男らしいんだ!!)
レイの心の中で、ファンファーレが鳴り響いた。背後では見えない巨大な犬の尻尾が、プロペラのように高速回転を始めている。
嬉しさのあまり、さらに顔を近づけて「ねえ、イリス?」と追撃をかけようとした、その時だった。
「ご、ごごご、ご飯!!」
限界を迎えたイリスが、レイの胸板をドンッ!!と渾身の力で押し退けた。
「ひゃうっ!?」
あまりの勢いに、さすがの神速の銀狼も数歩たたらを踏む。
「ご、ご飯冷めるから! さっさと座りなさいよこのバカ犬っ!!」
イリスは真っ赤な顔で捨て台詞を吐くと、逃げるようにキッチンへと引っ込み、ガチャガチャと乱暴な音を立ててお皿の準備を始めた。
「……あいたた。でも……えへへ」
突き飛ばされた胸をさすりながらも、レイの顔にはだらしない笑みが浮かんでいる。今までになかったイリスの反応が、たまらなく嬉しかったのだ。
――数分後。
食卓には、湯気を立てる熱々のシチューと、香ばしく焼かれたパンが並べられていた。
「んまーいっ! やっぱりイリスのご飯が世界で一番美味しい!!」
レイはさっきまでの色気ダダ漏れのオス狼モードから一転、完全にいつもの「腹ペコ大型犬」へと戻り、嬉しそうにシチューを頬張っている。パンをちぎってシチューに浸す手つきも慣れたものだ。
「おかわりもあるからね……」
向かいの席に座るイリスは、そんなレイの様子をチラチラと盗み見ながら、上の空で自分のスプーンを動かしていた。
(何よ……。さっきまであんな……あんな恥ずかしいこと言ってきたくせに、なんで今はあんなに普通にご飯食べてるのよ……っ)
目の前で無邪気に笑う美しい顔を見るたび、イリスの頭の中で、先ほどの生々しい記憶がフラッシュバックする。
腰を抱き寄せられた時の、有無を言わさぬ強靭な腕力。
耳元で囁かれた、鼓膜を震わせる低い声。
そして、自分を完全に「女」として求めていた、あの熱っぽい蒼い瞳と……嗅ぎ慣れたはずなのに、急に別人のように感じられた雄の匂い。
(あれが、あの泣き虫で甘えん坊だったレイなの? 嘘でしょ……っ。私、今あの子の顔、まともに見られないんだけど……!)
カァァァッ、と。
自分の思考のループに耐えきれなくなり、イリスは一人で勝手に顔を真っ赤にして俯いた。スプーンを握る手まで微かに震えている。
「ん? イリス、顔赤いよ? 熱でもあるの?」
「なっ、なんでもないわよ! シチューが熱いだけ! あんたは黙って食べてなさい!」
「えー? 美味しいねって言いながら食べたいのに」
むすっと唇を尖らせるレイを前に、イリスは必死に動悸を抑え込もうと深呼吸を繰り返した。
これまでは「私がしっかりお世話してあげなきゃ」と完全に保護者目線だったというのに。たった一度の「オス」としての強烈なアピールで、二人の間のパワーバランスは完全に崩れ去ってしまったのだ。
「……あ、イリス。俺、ご飯おかわり! お肉多めで!」
「……はいはい。わかったわよ」
空になったお皿を差し出すレイから、逃げるように立ち上がるイリス。
十七年目にして初めて訪れた、強烈に意識し合う(片方はただ照れているだけだが)甘くて気まずい食卓。
神速の銀狼の執念深い包囲網は、確実にイリスの逃げ場を奪いつつあった。




