第23話 神速の銀狼、ついに『オス』の部分を露呈する
その夜。
イリスが自室で夕食の準備をしていると、隣の部屋からドタバタと慌ただしい足音が近づいてきて、勢いよくドアが開け放たれた。
「イリスぅぅぅ! 誤解なんだぁぁぁっ!!」
「わっ!? ちょっと、レイ!?」
転がり込むように部屋に入ってきたレイは、そのままの勢いでイリスにガバッと抱きついた。
長身の体を丸めるようにしてイリスの肩口に顔を埋め、大きな犬がクゥンと鳴くように擦り寄ってくる。
「ど、どうしたのよ急に。重いってば」
「ちがうんだよ! 昼間、中庭でイリスが見たやつ! 俺、全然そういうのじゃないから!」
泣きそうな声で必死に弁解するレイの背中を、イリスは「はいはい」と宥めるようにポンポンと叩いた。
「今日、女の人に呼び出されて告白されたんだけど……いきなり胸に飛び込んできて、俺、避けられなくって抱きつかれちゃったんだよぉ……!」
「……は?」
イリスの手が、ピタッと止まった。
「え? あんた、もしかして……いつもは女の子が抱きついてきても、避けてるの?」
「うん。いつもはサッと躱すんだけど、今日は油断してて……」
「……」
(この男、どんだけ乙女に優しくないのよ……!)
イリスはヘイズと同じく決死の覚悟で抱きついた令嬢たちを闘牛士のごとく躱す顔面国宝の姿を想像し、盛大に呆れ返った。
「あのねぇ、レイ。いくら興味がないからって、避けるまでしなくてもいいじゃない。せめて優しく受け止めるとか、何かあるでしょう?」
「えー……」
レイはイリスの首筋に顔を埋めたまま、むすっと唇を尖らせた。
「だって、イリス以外の人に触るの、ちょっと……なんか嫌だし」
「あんたねぇ。そんなこと言ってたら、いつまで経っても彼女なんかできないじゃないの」
イリスがやれやれとため息をつくと、レイは体を離し、少しだけムキになったように真っ直ぐな蒼い瞳でイリスを見つめた。
「別にいいもん! 俺、彼女なんていらない。イリスと結婚したいから、他の女の人なんてどうでもいいの!」
「……出たわね、その極論」
イリスは頭を抱えた。
先日も「結婚しよう」と言い出し、自分に却下されたばかりだというのに、このワンコは全く懲りていないらしい。
いい加減、この『大きな勘違い』を正してやらなければならない。イリスは腕を組み、かつて泣き虫だった幼馴染を叱る時のように、わざと厳しい声を出した。
「あのねぇ、レイ。あんた、ずっと一緒にいてご飯を作ってほしいから『結婚したい』って言ってるんでしょうけど……結婚っていうのは、そういうお世話係の契約じゃないのよ?」
「……」
「結婚するっていうのはね、お互いのことを『男』と『女』として好きになって、夫婦になるってことなの。ただご飯を食べたり、こうして匂いを嗅いで甘えたりするだけじゃなくて……もっと、その……」
イリスは少しだけ言い淀み、頬を掻いた。十七歳の純粋無垢(だと思っている)な幼馴染に、どこまで直接的に言っていいものか迷ったのだ。
「……口づけをしたりとか。もっと深い、大人の……恋人同士がするような、あれやこれやをする仲になるってことなの! あんた、そういうの全然わかってないでしょ!」
どうだ、とばかりに胸を張るイリス。
これできっと、純粋なレイは「えっ、そうなの!?」と顔を赤くして驚くか、「そんなことしないもん!」と反論してくるはずだ。
――しかし。
レイは驚くどころか、少しだけ不満げに眉を寄せ、拗ねたような低い声で言った。
「……そんなの、知ってるよ」
「え?」
イリスは間の抜けた声を漏らした。
「知ってるよ。男と女が結婚したら、口づけして、抱き合って、そういう大人の……いやらしいことするんでしょ? そんなの、とっくにわかってるもん」
「…………は?」
イリスの脳内が、完全にフリーズした。
今、この子はなんと言った?
わかっている? そういう大人のことを、全部?
「し、知ってて……言ってるの?」
恐る恐る尋ねるイリスに、レイは当たり前だと言わんばかりにコクリと頷いた。
「そうだよ。全部わかってて、俺はイリスと結婚したいって言ってるの」
スッと目を細め、イリスを見つめ下ろすレイの蒼い瞳。
そこにあるのは、いつもの「ご飯をねだる甘えん坊の犬」の目ではない。獲物を逃がさないと決めた獣のような、そして、一人の女性を明確に求める『十七歳の男』の強烈な熱を帯びた瞳だった。
「だ、だから……っ」
イリスは後ずさりしようとしたが、レイの大きな手が彼女の腰をスルリと引き寄せ、逃げ道を塞いだ。
ドクン、と。
イリスの心臓が、昼間とは違う理由で、けたたましい音を立てて跳ね上がった。




