第22話 神速の銀狼、この世の終わりを経験する
バタンッ!!
緋翼騎士団の休憩室のドアが、蝶番が壊れんばかりの勢いで開け放たれた。
そこに立っていたのは、この世の終わりでも見たかのように、顔面を真っ青にしたレイである。フラフラとした足取りで室内に入ってくるその姿には、いつもの『神速の銀狼』の威厳など微塵もない。
「おいおい……」
コーヒーを飲んでいたヘイズが、目を丸くして親友を見た。
「お前、さっきすげえ美人に告白されに行ったんだろ? 全然告白された人間の顔じゃねぇんだけど、何かあったか?」
「ヘイズぅ……っ」
レイは泣きそうな声でヘイズの向かいの席にドサリと座り込み、頭を抱えた。
「イリスが……イリスが通って、見られた……!」
「は? なんだよ、そんなことか。告白されてるところなんて、あの子にいつも見られてるじゃねーか」
ヘイズが呆れて息を吐くと、レイはバッと顔を上げてブンブンと激しく首を横に振った。
「違うんだよ! 今日の人、いきなり俺の胸に飛び込んできて……抱きついてきたんだ! 俺、避けられなくって……っ!」
「…………」
ヘイズは片眉をピクリと持ち上げ、心の中で盛大にツッコミを入れた。
(え? ちょっと待て。避けられなかったってことは……こいつ、普段は女が抱きついてきても容赦なく避けてんの!? 闘牛士みたいに!? ひでーな!!)
顔面国宝の胸に飛び込もうとして、華麗にステップで躱されて地面に突っ込む令嬢たちの姿を想像し、ヘイズは少しだけ遠い目になった。さすがは神速の銀狼、女の熱烈なアプローチに対する回避能力も神速らしい。
「どうしようヘイズ! イリス、俺と目が合ったらすぐにプイって逸らして、小走りでどっか行っちゃったんだよ! もし誤解されてたらどうしよう! 俺が他の女の人と付き合うって思われたら……!」
パニックに陥り、頭を抱えて机に頭をガンガンと打ち付けるレイ。背後では見えない犬の耳が完全にペタンと垂れ下がり、尻尾は股の間に巻き込まれていることだろう。
そんな親友の情けない姿を見て、ヘイズの心にほんの少しばかりの『意地悪な感情』が芽生えた。
モテモテのくせに恋愛偏差値ゼロなこの駄犬を、少しからかってやろうと思ったのだ。
「ま、誤解されたならされたで、いい機会なんじゃないか?」
ヘイズはわざとらしく肩をすくめ、ニヤニヤと笑いながら言った。
「イリスちゃんもさ、お前が他の女と抱き合ってるのを見て、『あらあら、レイにもついに彼女ができたのね』って安心したんじゃない? 今までお前の世話ばっかり焼かされてたんだからさ」
「……え?」
レイの動きがピタリと止まった。
ヘイズはさらに言葉を重ねる。
「『これからは、毎日その彼女さんにご飯を作ってもらいなさいよ』って言って、お世話係から完全に卒業するかもな。いやー、イリスちゃんもやっと自分の時間が持てるようになって良かった良かった……」
「――ッ!!」
その瞬間。
レイの顔から、文字通りすべての血が引き、色が消え失せた。
彼女にご飯を作ってもらいなさい。
お世話係から、卒業。
「あ……ああ……あああっ……!!」
レイの蒼い瞳から光が失われ、口をパクパクと金魚のように動かしたかと思うと、そのまま机の上にぐしゃりと崩れ落ちた。
完全に息の根を止められたような、目に見える『絶望』の姿。その背後には、雨に打たれて捨てられた子犬のような、この世のすべての悲しみを背負った重苦しいオーラが漂い始める。
「ちょ、おいレイ? 冗談だぞ、ちょっとからかっただけだって……」
あまりの落ち込みようにヘイズが慌てて声をかけるが、レイの耳にはもう届いていなかった。
「やだ……俺、イリスのごはんがいい……イリスが離れていくの、やだ……」
うわぁぁぁん、と机に突っ伏したまま本気で泣き始めるレイ。
(いや、どんだけだよ……)
ちょっとしたからかいのつもりが、完全に親友を再起不能の絶望の淵に叩き落としてしまったヘイズは、自分の放った言葉の威力を激しく後悔することになるのだった。




