第20話 神速の銀狼と、騎士団公認の『飼い主』
レイ・アルジュが騎士団の門を叩いたのは、今から二年前――彼が十五歳の時のことだ。
『あんた騎士目指してたんでしょ!その無駄にすごい剣の才能、さっさと世のために役立てて自立しなさい!』と、半ば首根っこを掴むようにして入団試験の会場へ引きずってきたのである。
試験でのレイは、圧倒的だった。
試験官を務めた現役のベテラン騎士たちを、涼しい顔で一瞬にして薙ぎ払い、その人間離れした武力を見せつけた。当然、上層部は即座に彼を、最も武力が求められる魔物討伐専門の部隊『緋翼騎士団』へ配属することを決定した。
しかし、ここで騎士団の歴史に残る前代未聞の事件が起きた。
「嫌だ!! イリスが一緒じゃないなら、俺は絶対に入らない!!」
入団式の直前。超絶美貌の天才少年は、盛大な駄々をこね始めたのだ。
『俺帰る! イリスのごはん食べる!』と叫ぶレイを前に、屈強な騎士たちは完全に手持ち無沙汰になった。結局、周囲の大人たちが必死に頭を下げ、イリスが「……はぁ。わかったわよ、私も入るから」と深くため息をついて流されるままに入団手続きを済ませることで、ようやくレイは騎士団で剣を握ることを承諾したのである。
それから、二年。
レイの加入は、騎士団に劇的な変化をもたらした。
圧倒的な殲滅力と神速の動きを持つレイが前線に立つようになってから、討伐任務における死傷者の数は信じられないほど激減した。数日かかっていた大規模な討伐も、今では半日足らずで終わってしまう。
その目覚ましい戦場での働きと剣技の成長から、彼は入団わずか一年で緋翼の『エース』と呼ばれ、いつしか『神速の銀狼』という二つ名まで定着した。
若く、美しく、そして強い。
まるでおとぎ話から抜け出してきたような完璧な騎士の存在に、市民の関心は過去最高潮に達した。「彼みたいになりたい」と憧れて騎士団を志願する若者は後を絶たず、王都における騎士団の求心力とブランド力は跳ね上がった。
今やレイは、騎士団にとって絶対になくてはならない存在、文字通りの『最高戦力』であり『看板』だった。
――しかし。
緋翼騎士団の団長室。窓から眼下の訓練場を見下ろしていたガイル団長は、腕を組みながら「ふむ」と低く唸った。
「今日も凄まじい働きだったな、レイの奴は。また討伐記録を更新したぞ」
「ええ。彼がいてくれるおかげで、我々の被害は常に最小限です。まさに騎士団の至宝ですね」
副団長のヒューゲルが、手元の報告書を見ながら深く頷く。
二人の視線の先、訓練場の隅では、先ほどのオーク討伐から戻ったばかりのレイが、イリスから受け取った水筒を持って美味しそうに水を飲んでいるところだった。
「ぷはぁっ! イリスの水、冷たくておいしい!」
「はいはい、こぼさないの。ほら、口の周り拭きなさい」
「んっ」
イリスが差し出したタオルに、レイは嬉しそうに自分から顔を擦り付けている。遠目から見ても、レイの背後にパタパタと振られる犬の尻尾が見えるようだった。
「……だがな、ヒューゲル。俺は最近、痛感しているんだ」
ガイル団長は、窓の外の平和すぎる光景を見つめたまま、極めて真面目な顔で言った。
「騎士団にとって、レイは確かになくてはならない絶対の戦力だ。だが……騎士団にとって『真に必要不可欠』な存在は、あのイリス・ベルの方なのではないかと」
「……激しく同意します、団長」
ヒューゲルもまた、真顔でメガネの位置を直した。
どんな凶悪な魔物も一刀両断する、理不尽なまでの力を持った天才剣士。しかし、その精神構造は「イリスのそばにいたい」「イリスにご飯を作ってほしい」「イリスの匂いを嗅ぎたい」という、極めて本能的かつ単純な欲求のみで構成されている。
もし仮にイリスが「騎士団を辞める」と言い出せば、あの恐るべき銀狼は国からの恩賞だろうが地位だろうが全て投げ捨てて、一秒の躊躇いもなく彼女の後を追うだろう。レイという戦略兵器を王都に留めておける唯一の鎖が、あの小柄な少女なのだ。
『レイ・アルジュの首輪を握っているのは、イリス・ベルである』
それは今や、ガイル団長をはじめとする騎士団上層部における、暗黙の、しかし絶対的な共通認識となっていた。
世間からは恐れられ、女性たちからは黄色い悲鳴を浴びる『神速の銀狼』であっても。上層部の書類の裏側(脳内)におけるレイの扱いは、完全に「イリスの優秀な飼い犬」として認知されきっているのであった。




