第16話 神速の銀狼、顎クイで晩ご飯を失う
「よしっ、今度こそ……!」
気合を入れ直したレイは、鼻息を荒くして三度イリスの元へ突撃した。
備品室では、イリスが真剣な顔で棚の在庫を数えている最中だった。
「ええと、回復薬が十五本、魔力ポーションが……」
レイは足音を立てずにイリスの横にスッと立つと、先輩騎士に教えられた通り、彼女の顎に指を添え、勢いよく『クイッ』と持ち上げた。
「ひゃっ!?」
完璧な顎クイ。これで見つめ合えば、さすがのイリスもドキッとするはずだ。
……と、レイは思っていたのだが。
ここで一つ、致命的な物理的欠陥があった。レイは高身長で、イリスは小柄である。至近距離で無理やり上を向かせる形になったため、イリスの首は直角に近い恐ろしい角度に曲がってしまったのだ。
「いっ!? ちょっと、何よこれ! 首痛いんだけど!?」
顔を顰めて盛大に文句を言うイリス。
しかし、レイは引かない。「このまま見つめ合ってロマンチックな言葉を言う」というミッションを遂行するため、イリスの目を至近距離でじーっと見つめ続けた。長いまつ毛に縁取られた蒼い瞳が、熱っぽく彼女を捉える。
だが、相手は生まれた時からこの顔を見続けている幼馴染である。
美の暴力に対する完全な抗体を持っているイリスは、照れるどころかジト目でレイをじーっと見つめ返し、冷ややかな声で言い放った。
「……なによ。何か言いたいことあるの?」
(い、今だっ!)
レイは意を決した。先輩直伝の『野性味と男の器のデカさ』を見せつけるキラーフレーズを、ありったけの甘いイケボに乗せて囁く。
「……今日の晩飯、全部お前にやるよ」
沈黙が落ちた。
イリスは一瞬ポカンと口を開け、数秒かけてレイの言葉の意味を脳内で処理すると……やがて、深く、心底呆れたようなため息をついた。
「ふーん。あんたが自分のご飯いらないなんて、珍しいわね」
「えっ」
「わかったわ。じゃあ今日のシチュー、私の分大盛りにしておくから。ほら、邪魔だからどいて」
ペシッ。
イリスはレイの手を容赦なく払いのけると、何事もなかったかのようにバインダーに目を落とし、在庫確認の仕事に戻ってしまった。
「…………え?」
顎クイの姿勢のまま、空を掴んだ手を下ろすこともできず、レイは完全に石化した。
――数十分後。緋翼騎士団の休憩室。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!! 今日のシチュー、抜きになったぁぁぁぁぁっ!!」
床に突っ伏して、大きな犬が遠吠えをするかのように大号泣する神速の銀狼。
その悲惨すぎる顛末を聞かされた騎士たちは、皆一様に何とも言えない顔で顔を見合わせていた。
「いや……あのさ。俺、適当に言えとは言ったけど、いくらなんでも本当に飯を譲るとは思わなくて……」
適当なアドバイスをした張本人である先輩騎士が、冷や汗を流しながら後ずさる。
「ヒック……っ、男の器見せろって言ったじゃんかぁ! 俺のシチュー! 今日はお肉多めって言ってたのにぃぃっ!」
「お前は結婚がしたいのか、シチューが食いたいのかどっちなんだよ!!」
ヘイズの鋭いツッコミが響き渡るが、レイの耳には届かない。
「カッコいい男」への道はあまりにも険しく、代償として大好物のシチューを失った絶望で、若き天才剣士の心はポッキリと折れてしまうのだった。




