第85話「1つの壊れたグランギニョール」
光が差し込む地下空間の中、アダムの袖が塵で汚れる。
「イヴ?なぁ、俺は……まだ生きてるぞ……??」
混乱から漏れ出た彼の笑い声が響き、その様子を見つめるレイズの体を震わせた。
鏖殺された月の獣や崩れた天井の破片を沈めていく湖の上には、2人だけが立っている。
「ははっ……ひゃ……キヒャハハハハハハハハ……っ……なんで、なんで俺だけ……??」
「アダム……?大丈夫なの?」
数秒前まで眼前にあったはずの救いに溢れていた死は失われ、過去に消えた者達が遺していった楽しげな声だけがアダムの中でこだまする。
頭痛を感じ、よろけて尻餅をついた彼を更に多くの塵が包んだ。
「(皆、俺を信じていた……俺を先頭にして、俺が皆を地上へ辿り着かせた……俺を信じていた皆を、俺がこの結末へ辿り着かせたんだ。俺が、皆を、イヴを……俺が――)」
「……ごめんなさい、私達以外の皆……死んでしまったわ……私がもっと早くこの姿になれていたら――」
「レイズ様!」
湖の底から浮かび上がり、元気よく声を上げた月人の顔を2人が凝視した。
「「……レイズ様?」」
「ん?はい!レイズ様です!!背の高い貴女こそが月人を導いてくれるリーダーだと、今さっき聞こえた声がそう言っておりました。」
新たな月人達が次々に浮かび上がり、レイズを取り囲んでいく様子がアダムの目を釘付けにする。
「「「「レイズ様!レイズ様!レイズ様!レイズ様!」」」」
「……。」
アダムはこの光景を仕方のないものとして受け入れようとしていた。
彼は眼前に待ち受ける物が何かを考えぬまま仲間を導き続け、ついには死なせてしまった自分自身がまだ誰かの上に立ち続けていいはずがないのだとその粉々に砕けた心で考えていた。
心の隙間を不意によぎったその言葉に耳を傾けるまでは。
何故レイズだけがあの姿になれた?
何故レイズだけが強くなれた?
何故レイズはこのタイミングであの姿になった?
何故レイズはイヴや皆を助けなかった?
言葉が響くまでただ沈んでいるだけだったアダムの心に、歪が生まれる。
『レイズは、お前からリーダーの座を奪うために今まであの力を隠していたのではないか?』
「……!!!!」
歪んだその目で見つめる光景が醜悪で許しがたい物に変わっていく。
「そんなに強いなら……最初から俺を殺せばよかったじゃないか。」
『自らの手を汚す事を嫌ったんだ、あの臆病者は。』
拳は握りしめられ、アダムは高く飛び上がる。
「……レイズ!!!!」
「えっ――」
小さな彼が放つ全力の一撃をいとも容易く弾いたレイズの表情は動揺に満ちていた。
息を切らしながらも再び襲いかかるアダムの前へ、多くの月人達が立ちふさがる。
「なんだお前!レイズ様に何をする!!」
「おかしいのか!?」
「レイズ様に近づくな!!!!」
「うるせぇ!!そんなカスのこと様つけて呼んでんじゃねぇよ!!!!」
殺意と声にのまれた彼の拳や爪が、月人達にも向けられようとした時。
一瞬の内に接近して身をかがめたレイズのアッパーがアダムを穴の外まで吹き飛ばす。
同情と混乱から咄嗟に繰り出された彼女の一撃には全く力などこもっておらず、だがそれでもアダムは地下空間から遠く離れた月面へ落ちていった。
アッパーの当たった彼の顔面からグリッチノイズが広がっていく。
「(……ふざけるな。)」
冷たく、酷く寝心地の悪い灰色の砂漠の上で彼は拳を握りしめる。
その拳までもをグリッチノイズが包もうとした瞬間に、何かがアダムの顔を踏んだ。
『グゥ……ル……アぁ……可哀想に……。』
元より自我など無い月狼の体を操り、アダムのグリッチノイズをこの身体に移して消していった。
そして目を見開き、歯を食い縛り続ける彼の前へ手を差し伸べる。
「喋れたのか……お前らは……。」
『いいや、この体を借りて君に話しかけているだけさ……僕の名はメアー……夢のようなこの世界の支配者……おいでアダム……君に力をあげよう。』
月狼の体が崩れ、その中から伸びた手をアダムは全力で握りしめた。
自身に駆け巡る憎悪を体外へ発散する彼の周囲で、紫色の雷が駆け回り始める。
『紫雷を使いこなせば月人を含めた全ての敵を殺せるだろう……そしてそれは天使以外の生物の魂に作用し、好意や悪意などの感情を増幅させる事ができる……つまりは、操る事ができる。』
「へぇ……。」
アダムは感情の増幅という言葉と、仲間達との日常に抱いていたソレを重ね合わせる。
『あの青い星が見えるだろう、あそこにはこの月よりも更に多くの生命体がいる……レイズ・ミカエルや月人達はそう簡単には倒せる相手ではないからね、あそこへ向かって――』
「なんでも利用してやる……必ずアイツを殺してやる!!!!」
彼の体は紫雷と、その皮膚を突き破り溢れる黒い液体に包まれていく。
アダムはこの時から自身の魂に強く紫雷をかけ続けていたのだ。
この憎悪を、苦痛を忘れる事がないように。
そして比較的大きな体へと変化した直後、彼は地球へ飛び立つ。
その後はやはり魔紳士Aとして産声を上げた彼が、そこに暮らす人々の平和を荒らしまわった。
地球人を知り、感情を操り、人の愛を踏みにじり、時に利用し不安要素を焼き払い、そして用済みになれば最期まで搾取を続けた彼をリーダーと呼ぶ者などもうどこにも居なかった。
魔紳士A……不老であり世界を喰い荒らす最悪の罪人として名を馳せながら、アダムは力をつけようとした。
あの日聞こえた声を疑う事もなく、ただレイズを絶望のどん底へ叩き落とすため、イヴや同胞の無念を晴らそうとしてきた。
今まで騙し、愛を強要し、踏み台にしたその中にも救いはあったはずだが、彼の中に渦巻く憎悪を増やす紫雷と声が気づかせなかった。
そして今、彼はグラン・ギニョールとして、レイズと仲間達の前で1人孤独に頭を抑える。
――――――――
「もうやめなさいアダム……貴方に勝ち目は無いのよ……。」
「……分かってんだよぉぉぉぉ!!!!」
アダムが撒き散らした紫雷が建造物へ刺さり、弾けては月の都市へ砕いた建造物の瓦礫を降らしていく。
「俺が研ぎ澄ましてきた刃のどれもお前の絶望に届かなかった!!ここから逃げたとて逃げる先もねぇなら……俺がなってやる!!!!お前を絶望に叩き落とす悪魔の爪にな!!!!」
頭を抑えていた手から自身の体へアダムは紫雷を流し込み、悶絶する。
だがそれと同時に彼の体は変化し始めていた。
狼の後脚のように歪で巨大な下半身、肥大化した両腕、腕に付随して厚くなった胸板はアダムのあどけなさが残る顔には不似合いであった。
「うォあァぁぁぁァァぁぁァ!!!!」
「自分の体に紫雷を流すなんて自殺行為だ……いや……まさか……!?」
紫雷に荒らされた体内から溢れ出たグリッチノイズは、即座に紫雷によって抑えつけられ、アダムの体中へひびのような模様となって散らばっていく。
散らばり、そして抑えられたソレはアダムに酷い苦痛を与えながらも、それ以上の拡散を止められていた。
「アイツの体……グリッチノイズが止まった!?!?」
「紫雷を常に流さナきゃ死ぬよウになるンでよ、マジでマジデマジで……最終手段だ……俺の体を、殺戮に適した形へ変エたンだ!!!!」
「……あの日皆を殺した月獣みたいじゃない……貴方はそれでいいの!?」
グリッチノイズと共に溢れ出す体内の闇を纏い変霊か闇の獣のようにも見えるアダムの背後で、紫雷は文字を象る。
「これシかね んダよ!!!!お前ノせいで!!!!こ 姿に名前をつケルなら……そう……お前ら天使も、堕天使モ全員殺す……【グラシャ=ラボラス】!!!!」
「……私のせいで……。」
アダムが手足に鋭く巨大な紫の爪を生やすその前方で、レイズはエクスカリバーを握りしめる。
そしてその手と目を震わせていた。
振り払えずにいた、かつてのリーダーとしてのアダムの姿を。
「(生まれたばかりの頃、服に模様があって名前も妙に長かった私を避ける月人も少なくなかった……気づいてなかったかもしれないけれど……アダムとイヴ……貴方達だけがいつでも私には皆と同じ対応をしてくれたのよ?)」
爪を構えるアダムの背後で輝くピリナスの結界が放つ光、ソレがあの日アダム達が砕いて彼らを照らした地上の光と重なって仕方がない。
睨みあい続ける2者を見つめていた黒髪の地球人と堕天使は、互いに一瞬だけ目を合わせる。
「これ……あとレイズの事、あんたに任せたぞ。」
「うん、任せて。」
その手から手へ藤結が渡り、ホープは渡されたソレを握りしめる。
防壁に向かって走っていく木槿の背後で彼女はその足を踏み出した。
「……ホープ……私は……。」
「何も言わなくていいよ、僕は君の気持ちをよく分かってるから。」
まっすぐと自身を見つめ、剣と刀を構える2人をアダムが震える目で睨み続ける。
紫雷の流れを整え、体の扱い方を覚えていく彼を見つめるレイズの目もまた、震えていた。
ここに立つ3人の中で唯一ホープだけが一切の震えも躊躇も持たずにいた。
「(アイツも英雄だったんだろうな。きっと、レイズが憧れるほど……僕が想像もつかないほど素晴らしい事をしたんだろう……でも、その先でどんな間違いがあったんだろうか。)」
「……彼を殺さなければ皆が危ない……理解してるはずなのに……やっぱり私は臆病者よ。」
自分以外のそれぞれの立場を理解しまっすぐと眼前のアダムへ狙いを定めながら、彼女はレイズの肩へ軽く触れる。
「君は優しい人なんだよ……分かるんだろ?アイツもきっと被害者なんだって。」
「……えぇ、分かるわ。」
レイズとホープ、2人が見つめる先でアダムが紫雷を翼のように発散させていく。
体の動かし方を覚え、どれほどの激痛を伴ってでも全力を出そうとする彼の睨む先で彼女達は背中を合わせ、同じ者へ狙いを定めた。
「……仲間なんだよね、アイツも。」
「そうね、仲間だったとかリーダーだったとかじゃなくて……まだアダムは私にとって憧れの人。」
紫雷が迸る音に遮られ、聴覚が機能しなくなりつつあったアダムの目に、一瞬だけだが操作を誤った紫雷が走る。
そのせいでひび割れた彼の目の先、レイズの周囲に多くの月人達が映る。
存命の月人達は巻き添えの危険を察知した木槿と彼に合流したロイヤーによって防壁の裏へと避難させられており、アダムの目が幻視した彼らの中にはチェッカやリメイム、既に命を散らした仲間達が居た。
そしてレイズと背中を合わせ、こちらを見ているホープの姿が歪む。
長髪は白銀に、目は鮮やかな紫色に見え、堕ちる前の天使のようになった彼女を見つめた瞬間にアダムの記憶は輝いた。
「私……イヴっていいます!貴方は?」
「最初?なら私は2番目ですね!……あの、さっきまで聞こえてた声に上の光を目指して進めって言われたんですけど、アダムも言われましたか?」
「どうしましょう……?」
「なるほど……!あの穴に届くまで積み上げれば、穴も広げて地上に出られますね!」
「アダム!」
「新しく生まれた人のようですけど……なんだか私達とは雰囲気が違いますよね。」
「もうすぐ地上に行けますね……!」
「私達、頑張ってきましたもの……きっと想像もつかないほど素晴らしい所だと思いますよ。」
「……イヴ!」
「えっ?……はい!」
「一緒に砕いて地上に出てくれないか?」
「それは……もちろん!喜んで!!」
「……こんな結末になってしまっても、私は貴方みたいな素晴らしい人と一緒に生きられた事が、共に終わる事ができて嬉しいと思います……変でしょうか……?」
「……変じゃないさ、俺もそう思えてきたから。」
一度は殺戮のために整いきったアダムの紫雷が乱れる。
歯を食い縛り、視界を歪ませる透明な闇を振り払った彼の前で、エクスカリバーと藤結は今度こそ全くの震えも迷いもなく、その刃を煌めかせた。
「みンな?…… ……!?アぁ、う……ウォあアああ!!!!」
「ホープ……一緒に……あの人を殺してくれる?」
「もちろん一緒に、最後に最大の仲間殺しを!」
アダムの四肢に生えた合計20本の巨大な爪と、レイズとホープの刀と剣が時間も斬り飛ばすほどの速度で斬り結ぶ。
「【惨々……裂烈……苛烈惨劇斬】!!!!!!!!」
「【謳華流 千本桜】!!!!」
「【長月】!!!!」
刻まれた模様ごとひび割れた紫の目が、全ての斬撃を容赦なく見切る深緑色の目が、潤みながらも決意に満ちた目が互いを見つめあい、続く斬りあいの終わりを見極める。
そして、ついにその時は訪れた。
アダムの爪がいくつかの建造物や地面ごと、ホープとレイズの右の指や右腕を斬り飛ばしたのだ。
その直後に彼は気づく、2人は事前に武器を左腕へ持ち替えていた。
だがもう遅い、全て手遅れだった。
一瞬漂った勝利の気配がアダムの爪を、乱舞を止めてしまったのだ。
彼を挟み、構えをとったホープとレイズが同時に刃を激しく輝かせる。
「「はぁっ!!!!」」
アダムの巨大な体は前後から斬りつけられ、紫雷と闇をその内から勢いよく噴出させていく。
「……あ……。」
彼が抱いた感情、悔しさや憎悪にも勝った驚愕がアダムの爪を崩壊させる。
致命傷を負い、紫雷を操れなくなっていく体からソレが抜けていく感覚に安らぎを覚えた彼の魂からも、紫雷はほどけて消えていった。
アダムの背後で再び刀を振り上げたホープへ手を差し出し制止したレイズは、膝をついた彼の前に立ち、静かにその姿を見つめている。
走馬灯のように巡ったアダムの記憶の中で、イヴを含めた多くの人間が彼へ笑顔や好意を向けていた。
だが声にのまれ、それら全てを踏みにじってしまった事も同時に思い出しながら、目を閉じる彼の体をグリッチノイズは急速に飲み込んでいく。
紫雷や力が抜けていく、冷たく安らかな死を感じていたアダムの前でレイズはおもむろに身をかがめる。
そしてそこから倒れこむように姿勢を変え、アダムを抱擁した彼女の口からは震えた声が漏れ出ていった。
「……貴方とも、一緒に戦いたかった……。」
「……。」
閉じた目の奥でアダムは、グリッチノイズに飲み込まれ塵となる直前にとある景色を思い出す。
「草原の先……白い巨大な城……バベルの塔の中だ……そこに……メアーが……居る…………。」
「……アダム……!?!?」
地面に散らばったソレを涙で濡らすレイズを、ホープは握っていた藤結を近くの地面へ突き刺した上でそっと抱き寄せた。
「(……一武、君の村の仇だろうけど……今だけはこの光景を受け入れてくれて、ありがとう。)」
「(嫌でも全員の気持ちが分かるんですよ……この死月ができて、大勢死んで……俺も死んだ上で藤結の死月鉱にしがみついてるからかも知らないっすけどね。)」
あの日守れた最後の対等な仲間を、リーダーを殺した事で号泣するレイズの背中を撫でながら、ホープはその魂でかつての弟子と会話を続けた。
「(……時間が無いかもしれない、あと少ししたら進まなきゃだね。)」
「(はい、どこまでだってついていかせてください!。)」
月の都市とその周辺にて起こった戦いは終結を迎え、ニューオーダーの全滅により決着がついた。
多くの命がここでも散り、バベルの塔はほぼ完成した。
だから、楽しみでたまらなくて空間全体へ無邪気な笑い声を響かせる。
「なんだ……この戦いの何が面白いんだ!!誰が笑っている!!!!」
「いったい何ですか!?まだ敵が残ってるんですか……?」
「……メアーだ。」
月人達が震え、ロイヤーが両手に炎を纏う様子に目もくれず、木槿は上空のこちらをまっすぐと見つめていた。
「……行きましょう。」
「あぁ、僕達を待っているんだ……迎えに行こうか!皆を争わせた支配者の首を!!」
そしてほぼ同時に、悲惨なほどに損壊した月の都市を再び剣と刃を握りしめたレイズとホープが後にする。
――――――――
月人達とニューオーダーが衝突を始めた頃、アスク・スーリエルの眼前でクリキンディーは目に巻いていた包帯を投げ捨てながら溜め息をつく。
「この包帯、模様で誤解されないように着けてたんだけど……もう意味なくなっちゃったな。」
「君は……何しに来たの?」
アスク・スーリエルのソレと同じ模様をその目の内で輝かせながら、彼女は黄金に輝く月鉱を握りしめていた。
「私にできる精一杯の事をしにきただけ。」




