第78話「英雄の帰還」
月の都市、その防壁の上で月人達は外を見下ろしていた。
「……この透明でサラサラなヘドロみたいなのが水?」
「透明っていうか、ちょっと灰色に濁ってるでしょ。」
「ホープ様が言ってたじゃないか、海だよ海……いや、海だったものって言ってたっけ?」
月面に張った薄い水面は死月へ広がった海の慣れの果て。
巻き込んだ瓦礫も死体もどこかへ置いてきたソレは、月面を鏡のようにしている。
「……まさか僕がすんなり受け入れられるとはね?もっと堕天使として憎まれたり、殺されそうになったりするものかと。」
水を見つめ続ける月人達を、石でできたビルの上からホープは見つめていた。
その隣で座り込むレイズの横で、ロイヤーは腕を組みながら立っている。
「月獣の暴走の原因が堕天使でなかった事は既にレイズ様が皆へ知らせましたし……ましてや、その正体がかつて闇の巨人を打ち倒した天使達の成れの果てだと言うのだから、受け入れるしかないですね。」
「なんか嫌な言い方だな……僕を醜女って呼んだ事、忘れてないからね?」
2人の間でそれぞれの顔を交互に観察していたレイズは、ホープの発言を聞くやいなやロイヤーへ鋭い視線を向けた。
「えっ……なっ!?それは貴様が気分を逆撫でするような事を何度も言うから――」
「ロイヤー、クリキンディー達を呼んできてくれる?」
溜め息をついてそう言い放った彼女の背後で、ロイヤーは狼狽えながらもビルから飛び降りる。
「り、了解しました!!(クソ……!)」
「……ねぇミカ?別に僕はロイヤーに怒ってたりしてるわけじゃ――」
髪を撫でるホープの背中へレイズは手をまわし、彼女の肩へ頭を預けた。
「私が怒ってるのよ。」
「……えっと、ロイヤーに?」
背中を強くつねられ、ホープの表情は固くなる。
「あなたにも。」
防壁から下を見つめていた月人達が水の観察に飽きて、都市の中へ消えていった頃にレイズはその手から力を抜いた。
「あんな言い方していたけれど今はロイヤーも都市の皆も、貴女を信じてる。」
「……ま、少なくともクリキンディーよりは信じられてるかもね。」
頭を上げ、腕を組んだ膨れっ面のレイズに睨まれて、ホープは更に動きを固くする。
「あー……ごめん、冗談だよ。」
「……ふふっ。」
突然、今はもう無い太陽のように微笑んだレイズを目にして、ホープは硬直した上であっけにとられた。
「分かってるわよ、私はあなたを誰よりも信じてるのよ?……シュシュ。」
「ミカ……!僕も――」
「……ズ様……!!」
ホープの口を抑えながらレイズが耳をすませると、ピリナスから彼女を呼ぶために叫ぶロイヤーの声が耳に入ってきた。
「……どうしたのかしら?」
防壁を見張り続けるため動くわけにはいかない彼女が、ピリナスに張られている結界に向かって石を投げ輝かせる事で応答する。
「届いた……!クリキンディーが!!居ません!!!!消えました!!!!」
「なんですって……!?」
ホープの耳には微かにしか聞こえない声を聞き取り、レイズは歯を食い縛る。
「(シュシュが言った事、あながち間違ってはいなかったのよね……!)」
揺れ動く彼女の魂を見つめていたホープへ、不安定な殺意が襲いかかり、痺れさせた。
「……来た……アダム!!!!」
「嫌な展開ね……シュシュ!クリキンディーが居なくなったわ!私達だけで皆……を……!?」
彼が放つ殺意を感じ取り、レイズよりも先にアダムの襲来を察知したホープの目が地平線に向けられた瞬間、ソレは震え始める。
レイズもまた、都市へ迫り来る強大な気配が1つだけでない事に気づき、月鉱を握りしめたその手を震わせる。
「何千もの気配……その中に、天使に並ぶ気配が……10も……?」
「……まさか……!」
防壁の先、地平線の奥からまず2体の闇の巨人が頭を覗かせた。
その顔の横で、4機の黒い人型ライボットはライフルのセーフティを解除し、バーニアを光らせ空を舞う。
間もなく、巨人達の足元に居たニューヒューマンズの軍勢が一斉に防壁を睨んだ。
軍勢の中に混じる紫雷を纏った大狼に大兎、熊や兵士、鰐や大陸鳥が牙を向くと共に紫雷を弾けさせる。
それらの後方で、灰色の砂漠の中に蠢く何かは不気味な駆動音を響かせ続けていた。
彼らを率いる、傀儡師ロベリア・クレマチスと人革の魔術師カラスカ。
2人の前で、ゆらめく銀髪をかきあげながらアダムは嗤った。
ニューオーダー、その主戦力は月の都市の目前へ集う。
最強の種族と、最凶の組織。
その決戦の火蓋が今、切られる。
「偶然合流できちまってさ……圧巻だろ!?なぁ!俺も帰ってきたんだぜ!?歓迎はないのか!?!?ホープ!!!!」
「(珍しく運が良い……!)」
防壁の上へ降り立ったホープと睨み合う、アダムの両手の中で紫雷は巡る。
「……レイズはどうした?逃げたか!?」
「逃げていてほしいのかな!?」
軍勢の先頭から叫び、ホープと互いを煽っていたアダムの胸中では、今にもはち切れそうなほどに緊張の糸は張り詰めていた。
「(死月が現れてから常に死の気配がそこら中に見えていたが……月の都市、ここはダントツにソレが濃い!レイズのものか?ホープのものも混じっているのか?)」
「(勝てるか?クリキンディー抜きの僕らと月の皆でこの数の悪人や巨人、ライボットや獣達に……ロイヤーと僕で雑魚狩りをして、レイズに主力を叩き潰してもらえばいけるか……?でも、やっぱり戦力差が大きい……。)」
両者の思考という名の歯車が高速回転の末に緊張の糸を巻き込み、引きちぎる。
「(……まぁいい!俺達が止まる理由になんざなりやしない!!)」
「(……やるしかない!皆を、ミカを信じる!!僕もアイツを逃がさない!!)」
「「(今ここで!!決着をつけてやる!!!!)」」
群れは地面を踏み鳴らし、駆け出した。
「進め!!!!」
長髪の堕天使は真っ直ぐと前を見つめたまま、全力で横へ飛び退いた。
「ミカ!!お願い!!!!」
アダムは1つ思い違いをしていた。
レイズは都市を守ろうとしていると。
だが、違う。
彼女が守るのはあくまで月人であり、都市はその手段の内の1つでしかない。
そして月すらも、彼女は斬り捨てる事ができた。
「【巨闇斬り】!!!!」
それは最強の月人が放つ最大の一撃。
死月になる前の月面で放てば都市どころか、月をも両断できた禁断の技。
護りたいものを今度こそ護るため、それ以外を破壊する事を選んだ奥義。
かつて闇の巨人を叩き飛ばし地球の大陸を割ったソレよりも数倍は重く、鋭く、速い斬撃が軍勢へ真正面から襲いかかる。
「都市ごと……!?!?クソっ――」
「さすがレイズ様ぁ!!すっご――」
「全員防御しなさい!避けられな――」
白く輝く斬撃とそれが舞わせた砂煙に軍勢は丸ごと包み込まれ、月面に静寂が訪れる。
レイズに握られていた大剣、月鉱に本来無いはずの耐久限界が訪れ、粉々に崩れ落ちた。
「……まだ全然生きてるわね。」
「でも間違いなく大幅に削った!よくやったよミカ!!」
飛び上がり、落ちてきたホープとハイタッチをかわしながらも、レイズは煙に包まれた軍勢を睨み続ける。
「……これ、使って。」
「いいの?」
差し出された剣の表面で翠色に煌めく死月鉱は、ホープの笑顔をはっきりと映し出していた。
「月鉱を壊した後はしばらく操れなくなるって僕も壊した事あるから知ってるんだ……それにこのエクスカリバーは、アイツと戦う為に必ず必要になると思う。」
「……ありがとう。死月鉱を纏わせたコレならいくら振っても壊れないし、きっと負けないわ。」
2人が睨む先、切り裂かれた防壁の先。
アダムの魂は正面からの斬撃を受け切り、咆哮をあげるように震えた。
「……装着!!開始!!!!」
空へ飛び上がった彼の纏う紫雷の中に白が混ざり、幾何学模様はその中に四肢を通す。
「白いレジスタンサー……1か!?」
コーラスにも聞こえる駆動音を響かせながら、アダムの服の下に隠されていたプロテクターが広がっていく。
本来マリーゴールドが使うはずだったソレは彼女によって、製作者への敬意もこめた改良が施された物である。
一撃必殺の大弓、白く輝く王冠のような頭部の形状。
それらに装飾を足しつつ、大弓には小さな1対のクロスボウへ変形する仕掛けを追加することでアクロバティックな戦闘を可能にしたレジスタンサー1『ホワイトライダー』は今、死月にて最も支配を望む者に装着され始めた。
「ただふよふよと浮いてるだけに見られたらムカつくんで説明してやろうか……1は後に作られた2、3、4と違って起動するために特定の長い文章を読み上げる必要がある……これを読み上げない限り、ホワイトライダーが動く事もなく俺はここで浮かび続けるのさ。」
「他のレジスタンサーと同じ仕様なら装着が完了するまで本人に攻撃は通らないようになってるし、逆にあっちから攻撃する事もできないはず……つまりアレは絶対防御形態だ……なんだよアダム、レイズの攻撃がそんなに怖かったの?」
取り出した月鉱を延ばし、剣を作り上げたホープをアダムはギラついた目つきで見下す。
「なわけねぇだろクソアマが!!コイツを装着すればテメェらを確実に、今度こそ殺しにかかる……だがせっかくだ、最後に1つ良い提案をしてやろう。」
「「?」」
幾何学模様を振り回し、宙で回転した後、薄ら笑いを浮かべながらアダムは口を開いた。
「レイズ・ミカエル、ホープ・シュリエルド……お前ら俺の番になれ。そうすりゃ、都市の奴らは見逃してやる。」
「何を言うのかと思えば……。」
「答えなんてもう決まってるわ。」
放たれた月鉱の矢が炎を纏いながら、アダムを取り囲む幾何学模様とぶつかる。
歪な音を響かせ落ちていったソレを睨みつけた後、アダムが都市の建物の上に立つ3人の人影を発見した。
「お前のようなカスの質問にレイズ様本人が答える必要などない!!」
「その通り……儂らが答えてやるわい。」
青年がその炎を紅く滾らせ、その横で長い髭の老人は杖を握りしめた。
近くで少年が笛を力強く吹き鳴らし、音色を聞いた者の視界では敵の首元へひし形のマークが張り付く。
3人は同時にアダムを見上げ、鋭く睨みつけた。
「はっ……この腰巾着どもが――」
「バリスタ隊!撃て〜っ!!」
今度は防壁から放たれた巨大な矢が、幾何学模様と衝突して弾き飛ばされる。
「……あ……?」
「皆……来てくれたのね。」
防壁の上から、建物の上や内部から、都市の中に通る道から、幾千の月人がアダムただ1人へ矛先を向けていた。
「(あのビビりのレイズにひっついていくしか能の無いはずの腑抜けたチビ共が……腰巾着の天使共が……今……俺に?誰にその目を向けてやがるんだ……俺の月の上で!?)」
目を見開き硬直する彼の前で、都市に暮らす者達は互いに視線を合わせ、その思考を一致させる。
「貴様のようなリーダーなど、この世のどこにも必要ない!!!!」
「そういう事よ……ここで私達に討たれなさい!アダム!!」
向けられたハルバードや剣やバリスタの鋭利な先端に反発するように、空中へ漏れ出した紫雷がアダムの周囲で悪魔の翼のようにねじ曲がる。
「……殺してやる!!!!」
ホワイトライダーを纏うための詠唱が、始まろうとしていた。




