第75話「最期へ」
「パンドラの箱、その鍵をよこせ。」
「断る……!」
死体と塵が散らばる暗闇の中、マリーゴールドとジャン・バルジャンは睨みあう。
「今に分かる……正しい道は僕にも……君にも……歩めない。」
「明星木槿なら歩めるとでも?彼も所詮はメアーの手の上でしか動けない。メアーはこの世界の創造主であり、この世界はあの方の思い通りにしか動かないよ。」
溜め息をつき、蒼い光を構える彼女をジャンは嘲笑した。
「はっ……分かってるじゃないか。」
その言葉を耳にしてマリーゴールドが硬直しているうち、空間は崩壊を始める。
暗闇が剥がれ落ち、更に暗い無へ還る様子はジャン・バルジャンの絶命を意味していた。
「……メアー?」
事切れたジャンの体は無に巻き込まれ、消えていく。
彼の懐から弾かれ、飛び出した鍵がマリーゴールドの手へ納められた。
空間の崩壊は広がっていき、やがて中心にいる彼女のもとへ近づく。
『選べ、ここで消えるか……箱を開け、全ての力を得るか。』
息を荒くすることも、体を震わせることも、目を泳がせることもなく、マリーゴールドは鍵を握りしめる。
「それがあなたの望みであるならば……あたしはただ、その通りにしか。」
差し出した箱へ、彼女は冷静に鍵を差し込んだ。
空間の崩壊が圧倒的な悪意ある闇によって埋められていく。
『これから君は、破滅という存在そのものになる……僕と同じ、支配者になる。』
「……その先に、あたしの望む物はありますか?」
壊れた暗闇も、無も埋め尽くしたその全てがマリーゴールドの魂へ吸収され始める。
彼女の態度からは一切の動揺も感じられない、本当に僕の意志のままに動こうとしているようだ。
『どうだろうね、あってもなくても……君はもうとっくにこの道を選んだ。あとは進む事しかできないよ、戻れない……絶対に戻らない。』
空になった箱を投げ捨て、マリーゴールドは体内を駆け巡る全てを蒼く輝かせ始める。
――――――――
「……マリーゴールド……か。」
空は青空のソレのような清々しい色ではなく、恐ろしく濃い絶望の蒼に輝いていく。
力無き、夢無き生命体達がその光を浴びて力無く倒れ始めた。
「(この空、地球だけじゃない……月まで……いや、世界全体を覆うように広がってる。)」
空の蒼さは増すばかりか、暗い宇宙すらも塗り潰していく。
自身と周囲を震わせるソレを感じて、アスクは中指にはめていた死月鉱の指輪を握りしめる。
「(空間そのものが震えてる……世界そのものが壊れ始めて、変わろうとしてるんだ。)」
龍妖彩のある方角より現れ、上昇していく蒼い光から声が響く。
「……動くなよ?」
その殺意に名が浮かぶ事も、与えられる事もないままに放たれた蒼い光線をアスクが弾いた瞬間、光は膨張し、やがて蒼い太陽のようになった。
「……なんか貴女、人形みたいになっちゃったね。」
「望んだ結果だ、後悔はない……君こそ、あたしと比べてもずいぶん変わったじゃないか……親友によく似て――」
アスクが指を曲げた瞬間に死月鉱のつららが地面から飛び出し、稲光よりも速く蒼い太陽へ向かっていった。
マリーゴールドは太陽の中心でソレを掴み取りながら、魂の調整を続けている。
「……これは終わりの始まりだ……何が終わり、ここから何が始まるかは……まだ誰にも、君にも、あたしにも分からない。」
「……僕には1つだけ……分かる事がある。」
まっすぐとマリーゴールドを指差し、アスク・スーリエルは指輪を煌めかせた。
「今の君が何をどうやったって、そこから新しい物は生まれやしないよ。」
「そうだと言うなら……あたしの元まで来て、証明してくれよ。」
――――――――
「何が起こっている……!?!?」
新たなる秩序の協力者がそこへ身を隠し、来たる決戦への準備を行っていた異空間新月が歪む。
カラスカの前でひび割れ、機能停止する転送装置から謎の光る液体が飛び散って床を輝かせる。
「この音は何だ?いや……声……マリーゴールド様の声?」
「カラスく〜〜〜〜んっ!異空間がぐちゃぐちゃって……色々壊れてるし、色々巻き込まれて死んでってるよぉ!!」
異常事態に似合わない軽快な足取りで、ロベリアはカラスカの肩へ義手を引っかけようと駆けていた。
「見れば分かる!!」
「ぐちゃぐちゃってなってるのがここだけじゃないって事もぉ?存在してる全ての異空間どころかぁ、地球も月も割れて広がってるんだよぉ?」
義手の鋭い爪先を躱し、カラスカは周囲の惨状を見渡した。
「……なんだと?」
「はい分かってなかったぁ〜〜〜〜!……あっ、エバエボ君の製造ラインもめちゃくちゃになっちゃっただろうなぁ……皆大丈夫かなぁ……。」
ロベリアとカラスカは同時に顎へ指をあて、彼が考え込んだ後に口角をゆっくりと上げていく。
「……『彼ら』も馬鹿じゃありません、上半身まで完成した個体なら無事に退避できているはず……それより……これはもしかすると……我々の望んだ世界が産声をあげているのでは?」
「あぁー……でもぉ、その割にはまるで……世界の終わりみたいな絶望感あるけど?」
空間に押され歪む鉄骨が配線を引っ張り、照明は不規則に点滅する。
何度も現れる暗く、黒い景色をロベリアは睨む。
「それでいいんですよ!終わりあってこその始まりですから!!」
「(……木槿は……何を考えてるんだろうなぁ?)」
――――――――
月の大地は大きく揺れている。
何が原因で、どれほど長く震えているのか。
今回ばかりは誰にもはっきりとは分からなかった。
「……プ……?……!!……ープ!!……ホープ!!!!」
長く暗い緑髪の月人が、愛する者の声を聞いて瞼を開く。
黒い瞳は、絹のような白い髪とアメジストのような目をした女性を目にした瞬間に一瞬だけ煌めいた。
「……ミカ!……ここは!?」
「月よ。突然地面が……いえ、空間全体が揺れ始めていた所にあなたが地球から……。」
レイズはホープを見つめたまま、様々な思考を巡らせる。
「なるほどね……ゴメン、ちょっとまずい状況かもしれないんだ……会えて嬉しいけど、すぐ戻らなきゃ――」
「ホープ……アレはいったい……何?」
切れ込みが入った地球は広がり、その隙間から眩い紫の光を溢れさせていく。
巨大な星が裂けていく光景の中で、蒼い太陽が生まれた。
その近くに現れ、隙間から溢れるソレよりも更に強い光を放つ気配。
紫と死を纏う『彼女』を察知して、ホープは口元を微かに震わせた。
「……リプラ?」
「あの子達に何があったの?他の皆は――」
ホープから目をそらし、レイズが地球を見た瞬間。
迫り来る紫雷の塊に大剣を構えた。
「(……アダム!!)」
「リプラから逃げてきたんだな!!」
月と地球、両方から放たれる殺気に紫雷を震わせながら、閃光は軌道をそらす。
「うぁぁぁぁっ!?!?」
地平線の奥へ消えたソレが地面と激突し、散らした光はホープの暗い瞳に睨みつけられる。
「月の都市はどっちにある!?」
「安心して、反対側よ。」
地平線の彼方から広がってきた亀裂が2人の間へはしろうとした瞬間。
レイズはホープの背後へ回り込み、彼女の手を強く引いた。
「……一度ピリナスへ向かいましょう!皆が亀裂に巻き込まれたりしないよう、あなたの力も貸してほしいわ。」
「……わかった。(地球へ向かったとして、多分できる事は無い……せめて、アイツを迎え撃つくらいはしてやる。)」
――――――――
「月……ホープも来てやがったのか。」
制御しきれなくなった電撃に頭を震わせながら、魔紳士Aは灰色の月面より上体を起こす。
「……ふっ……ひゃはははは……!!!!あの女!!たしかに俺を殺すつもりだったよな!?!?なんで……なんで俺を助けたんだ!?つくづく……力以外は良い所なしの馬鹿だったんだな……意味わかんね……。」
死そのものの気配から自身を逃がした赤黒い竜人の姿が、彼の記憶の中で紫雷と共に情緒をかき乱していく。
広がってくる亀裂の前から姿を消し、魔紳士Aは死月鉱を変形させながら宙を舞う。
「無駄なんだよ……地球にも月にも、世界全体にはしった亀裂の奥底からせり上がってくる死の臭いが!この終わってる光景が!!しつこく語ってきやがる!!!!」
紫に輝くロングコートを形成し、身にまとい、彼は荒らげていた呼吸を瞬時に落ち着かせた。
「……やりてぇ事をやろう。新世界なんざもうどうでもいい……俺はただ絶望させてやるぞ、レイズ・ミカエル……お前をな!」
飛び上がった魔紳士Aは再び月面へ戻る事なく、かつて追放された最初の月人のリーダー『アダム』として彼は亀裂の中へ飛び込んでいく。
彼は気づいていた、亀裂を広げているのはその底から広がりつつある死月鉱の大地であることに。
「全ての空間が死月鉱によって繋げられているのか?『死月』……とでも呼べばいいんだろうか。」
アダムに向かって落ちる、亀裂から剥がれた瓦礫は尽く5列の爪によって切り裂かれていった。
爪の中で、悪意は確実に育っていく。
鋭くなった爪は纏う紫雷の密度を増していき、恐ろしいほどに眩しく輝いた。
眩しい光を目にしていた者達は、一瞬だけだが見慣れない景色を目にする。
広々とした草原の中央に在る、西洋風な白いシンメトリーの巨城。
「……なんだ……今のは?」
死月鉱と共に月面へ上がってきた月人は、鋭い視線を爪から地平線へと移した。
彼の視線の先、灰色の砂場の先にある紫色の更地。
「これで終わりだとでも言いたげだな……俺も、そうなればいいと思ってる。」
目の前で蒼い太陽に向かって伸びる死月鉱の塔を見つめながら、眩しさに目を細めながら明星木槿はリボルバーを回した。
塔に『バベルの塔』と名付けた瞬間、ソレは高く伸びていく。
「これが伸びるその先……その城の中にいらっしゃるのですね、メアー……あたしに、あなたの望みを叶えさせてほしい。」
蒼い太陽の中を突き抜け、更に伸び続けるバベルの塔の側面に破滅の支配者は手を這わせた。
殺意が太陽へ向けられながらも、遠ざかっていく。
今はまだ『ここ』どころか太陽にすら近づけない事を分かっているようだ。
――――――――
アスク・スーリエルは死月鉱の大地を歩き続ける。
周囲に舞う情報へ目をやりながら。
『死月では誰も生き残る事はできない。』
『ただし、最後に残る4人を除いて。』
『命が散り、死月の奥底へ沈むたびにバベルの塔はこちらに向かって伸びる。』
『果てしないほど多く、尊い命を踏み台にした先にのみお前が望むものが――』
「もういい。」
彼の大鎌は存在しているかも怪しい情報を確かに断ち斬ってみせた。
もう見えなくなった情報には目もくれず、アスク・スーリエルが前へ進み続ける。
「……首を洗って、待っていろ。」
『……会えるのを楽しみにしてるよ。僕の救世主♡』
彼の視界の端には僕の笑う姿が映っていた。
強い風にふかれメイド服の短いスカートと、水色のウルフカットの髪はなびく。
無邪気に笑う僕の顔を、アスクは歯を食い縛りながら睨みつける。
彼の目に反射する笑顔は……それはそれは、醜く歪んでいた。




