第70話「進むしかない」
「……。」
「最終的な判断は死の天使として才能のあるお前に任せろと……後ろの愚か者が抜かしおったんだ。」
第1ブライツ病院、消毒液や薬品の臭いが混ざり合って充満する病室の中。
ホープとリプラが見つめる先でアスクはガイアと共に目の前の一葉を見ていた。
傷は完全に治っている。
だが、彼女の目は開かない。
ベッドに横たわる一葉は人工呼吸器をつけたまま、静かに眠り続ける。
「魂はしっかりと体の中にある……でも、体と全く繋がってないよ?治しきれてないんじゃないの?」
「……だから反対したのだ、お前のような未熟な天使にこんな光景を見せる事になる。」
自身の肩に置かれたガイアの手は大きく、熱かった。
アスクの目の前で眠る一葉は死んではいない。
死んでいないだけ。
もう、目覚める事はないのだろう。
死の天使の本能がその残酷な事実をアスクに悟らせる。
「きっと本来の限界を大きく超えて力を使ったんだろう……そうまでして何をしたかったのかは、もう分からないけれどね。」
病室の壁へ寄りかかったホープは、眉をしかめたまま目を伏せる。
暗闇に包まれた視界にもまだ映る、もう回復する事のない魂の揺らめきを見て彼女は更に苦い顔をした。
「……アスク……。」
リプラは今日だけでも、もう何度目かも分からない程に彼の名を呼んだ。
知らぬ間に多くの人々と出会い交流し、死の天使として成長してきたアスクの姿を見てどうしようもなく心配になったのだ。
「進もう……。」
アスクは決意を込めてその一言を呟いた。
周囲にはその声に感情が籠っていないように聞こえたようだが、そんな事は、周囲からの印象はこの時だけはアスクにとってどうでもいい物になっていた。
――――――――
「グゥゥゥゥッ!!グッグッグッグゥッ……!!!!」
火竜が巨大な前足を振り回し、太く鋭い爪で白蛇宮跡の石畳を破壊する。
必要最小限の動きで爪と石を躱した木槿が即座に藤結を振り抜いた。
「オォォォォ……ッ!!!!」
火竜がえづく。
その喉が赤く光り始め、木槿の目を眩ませた。
「……ガーベラ!!!!」
「はいヨ!!」
森の中から飛び出したガーベラの体を瞬時に黒い装甲が包みこんでいく。
「Blaaaaaaaack!! Rideeeer!!!!What is your favorite……!?ready……say!!it!!!!」
「アホ・ブランコ!!!!」
叫びと同時に彼女が火竜の顔へ飛び蹴りを叩きこみ、木槿が直後に放たれた火炎を転がって躱す。
「|Oooookaaaay!!!!Now!Time to become true the hope!!!!」
「レジスタンサー3!ブラックライダー起動……だヨ!!」
「助かった。」
少しだけよろめいてから再び前を向いた火竜の前で、木槿とガーベラがそれぞれ能刀と黒い拳を構えた。
「……ガーベラ……終わらせるぞ。」
「はいヨ。」
「……グゥゥゥゥッ!!!!」
ブラックライダーの内部から放出された煙が景色を歪ませ、火竜の周囲に何人もの木槿の幻影を見せる。
「(ガーベラ・バスクエダの幻覚ガスの力……かつての戦争では多くの一般人を助けた『光の魔女』と呼ばれたとか……。)」
「Συγγνώμη……私には君を助けられないし、君が生きてきて守ってきた物を預かる事もできないけれど……!」
煙の中から飛び出してきたブラックライダーと火竜の頭突きが衝突し、その衝撃で周囲の草木を激しく揺らした。
「グゥ……ォ……!!!!」
「彼なら……『明星 木槿なラ……きっと君も鬼百合家も……皆みんな助けてくれる』からネ!!!!」
ぶつかりあう黒い装甲と赤い鱗を見つめながら木槿が火竜の下へ滑りこみ、その勢いを殺さぬままに火竜の上へ駆け上がった。
「!?」
火竜がブラックライダーを弾き飛ばし、自身の背中に居る木槿を見つけた瞬間。
彼は飛び降り、藤結で描いてきた軌跡の始点と終点を繋いだ。
「……。」
「ギュ……ァ……!!!!」
鞘と柄のぶつかる音が響き、火竜の赤く巨大な体躯は2つに斬り分けられた。
竜の下半身は最期の力を振り絞って立ち上がったかと思えば、バランスを崩し階段を転げ落ちていく。
上半身は力無くその長い首を石畳の上へ落とし、喉から炎よりも紅い血を吐き出した。
「(あぁ……やっぱり……私が死ぬのも……避けられない事だったのか。)」
「木槿……私は証拠隠滅の準備をしてくるネ。」
「あぁ。」
火竜の顔を見つめる木槿の背中を軽く叩きながら、ブラックライダーが幻覚の中へ姿を消す。
静かになった白蛇宮跡の中で、風音とソレが草木を揺らす音、火竜が喉で血を沸騰させる音が木槿の耳に聞こえていた。
彼がおもむろに伸ばした手は火竜の鼻を撫で、その表情を睨んだ火竜は静かに目を閉じる。
「すまない……俺が必ず……皆、助けるから。」
「(……信じますよ。そんな顔をできる人だとは、思っていなかったし……気づけもしなかったです。)」
火竜の喉で血が煮える音は段々と小さくなっていき、やがて風や草木の音も木槿の耳には届かなくなった。
「……またな。」
振り返った木槿が血の川を踏みしめ、滑り落ちないようにゆっくりと階段を降りていく。
降りた先、彼の視界の端で火竜の下半身が幻覚に飲み込まれて見えなくなった。
木槿は歩き続け、街を後にしようとしていた。
「……お邪魔しました。」
ふと店の前で立ち止まった彼の言葉に、誰かが声を返す事はもう無い。
誰かが静かに、布団の中で眠っていた。
「ルート突入に必要なフラグは全て拾った……今度こそ終わりにさせてもらうからな。」
"何でもない事"を呟きながら再び歩き出した木槿の視線の先、白蛇街の入口にて堕天使の少女がヘッドホンをつけながらリズムに乗っていた。
「ふん♪ふん♪ふん♪ふん♪ふ……あ、終わった?バーグ待ち疲れたよ。」
「楽しんで待ってたようにしか見えんが……待たせたな。」
異様に静かで少し竜の血の臭いが漂う街を一望してから、アイスバーグは緑色の裂け目を呼び出す。
「……もうやり残した事は無いんだね?」
「ない。」
木槿の淡々とした口調の裏に隠され続けてきた恐ろしい量のソレに、もう堕天使達は気づいている。
携帯を取り出し、どこかへメールを送りながら裂け目に入った彼に続いてバーグはヘッドホンを耳に押し当てながらソコへ飛び込んでいった。
「(あんなに重いないって言葉、初めて聞くな……2度と聞きたくないけど、きっと……聞けそうもないか。)」
裂け目を超えた先、彼女は前方に佇む水色の髪の少年へ会釈する。
「上手くいったのかい?」
「俺が出来る事は全部やった、後は祈るしかできないな。」
「(シ長……なんか様子変?)」
シ長は木槿の目を見つめ、その奥に続く『おびただしい量の記憶や経験』に眉をひそめた。
数秒考えこんでから、溜め息をつく彼の口角が微かに上がった。
「バーグ、彼に付き合ってくれてありがとう。少し……彼と2人だけで話をさせてくれないか。」
「ん……いーよ。」
ヘッドホンを傾けながら頷いたバーグはたちまち暗闇に包まれ、空間の中へ漏れ出て響いていたEDMも聞こえなくなった。
永い時を生きてきた旧世界最後の生き残りと『数多のイフと運命を握りしめた死神』が静かにすれ違う。
無言で自身の背後へ歩いていき、暗闇へ触れる木槿の背中へシ長が叫んだ。
「君の黒は!無の黒じゃない……無限の時によって塗り潰された先の黒だと、そう気づいてから君への印象が随分と変わったよ。」
「……。」
木槿もシ長も、時折こちらへ視線を向けているように見える。
こちらの存在に気づいていながらも、この会話を続けるつもりのようだ。
「似ているようだね、君と僕は……旧世界に生きていた全ての人から生を願われ、悪夢に対する最後の希望として生き延びてきた僕……そして、きっとそれ以上の願いや運命に雁字搦めにされて、1つの目的のために進むしかない君……もしかしたら最後の生き残りになるんだろう?君も……いや、もう何回かはそうなってしまったんだろ?」
「……あんたの声はどうも好きになれない。問い詰めるような話し方はやめてくれないか……非力な俺は潰されそうだ。」
暗闇を撫で回し、その奥に見えるどこかの景色を木槿が見つめ続けている。
「はははは……なぁ、君と僕が話せるのはもうこれで最後なんだろう?何事にも慣れている振りをしているようだけれど、やっぱり君は……僕の知る人間そのものだから、分かるよ。」
「その言葉、もう6回は聞いた。」
木槿の言葉に目を見開いてからシ長は更に口角を上げた。
「6回?」
「ここまで辿り着くだけでも至難の業だった……だが、まだ絶望は何個も残っ……て……!?」
目を固く閉じ、見ていた景色を遮断し、面倒そうな様子で振り向いた木槿の視線の先。
木槿が『初めて見る表情』でシ長は大きく笑っていた。
「6回か……!なんでかな、君と僕が話すのは……なんとなく、本当にただの直感でしかないけれど、本当に最後になりそうだ。」
「……そうか。」
自身の手とシ長とこちらをそれぞれ順番にゆっくりと見回す彼の前で、緑の裂け目がシ長の笑みと共に大きく現れる。
「そのまま進んでいってくれよ、見えた全てをしっかりと覚えて、乗り越えてきた君の経験と時間は何1つ無駄になっちゃいないから。」
「……ありがとう。」
――――――――
「警報!?」
病室の中、窓の外から聞こえるサイレンに一葉を除いた全員が目を見開く。
「タワーへ向かうぞ……アスク、貴様も来れるか。」
「もちろん行く、僕だってB.Xなんだ。」
「え……ア、アスクがいくなら私も!」
エレベーターがベルを鳴らし、緊急時限定でその扉を勢いよく開く。
「ホープさんにガイアさん、それに君達まで……来てくれて助かりましたよ。」
「換気扇があるとはいえさ……圧迫感あるし今度窓とか作ってよ、私達そっちから入った方が早く来れるから。」
「考えずに物事を言うなホープ……この量の設備とモニターがある中、どこに窓をつける余裕がある?」
ライムの前へ歩いてきた4人の月人へ彼は素早く通信機を差し出した。
「……コスモス大陸の肉塊が突如活発化しました。」
「ふぅん……裂け目が消えてからは大人しくなったって聞いてたのに……。」
モニターの先で蠢く黒い大陸。
その正体が闇の兵士に埋め尽くされていくコスモス大陸であると気づいたアスクとリプラが、歯を強く食い縛る。
「アイツら全部倒さなきゃダメなの!?……オーダー達は?」
「……あ!いるよ!!ほらあそこ!!!!」
巨大な斬撃に吹き飛ばされ、消えゆく兵士達の残骸が霧のように舞う中でオーダーは水色の髪と数多の武器を振り回していた。
彼女の背後で起こった大きな爆発はB.2の起こした物のようで、兵士達を数十体ずつまとめて投げ飛ばしながら銀髪の女が怒号を響かせる。
「キリがねぇぞ!!月人共!!!!早く来い!!!!」
「彼女が言う通り、肉塊は月人化しているようです……B.1とB.2が放ったBREAKすらも無効化していましたから、仕留めるにはあなた達月人の天使種の力が必要なのです。」
「移動手段はどうするのさ?コスモス大陸には支部が無い、だから風の道で運ぶ事もできないだろう?……まさか徒歩とか言わないよね?」
腕を組んだホープがアスク達と目を合わせた直後、ライボットの格納庫から通信機へ通信が届いた。
「B.13、B.7、出撃準備完了!アイギス出せます!!」
「……なるほど。」
「事態は一刻を争います、リプラさんもB.X……いえ、Yとでも言っておきましょうか。新たなブライツの切り札としてB.Xと初代B.1、初代B.2に同行して肉塊の無力化をお願いします。」




