第69話「選ばれたなら」
「……。」
「アスク……。」
白い廊下に置かれた青いロビーベンチの上、アスクとリプラは目の前の壁を見つめ続けていた。
「……ガイアさんを信じるよ、信じるしかないでしょ?」
「そう……だね。」
アスクが一瞬だけこちらへ目をやったかと思えば、無視するかのようにそっぽを向いて廊下の奥の扉を凝視し始める。
「魂はどう……消えてない?」
「……消えてないけど、いつも見てた一葉さんのソレよりずっと小さい。」
扉の奥で誰かの話す声と、鎧と機械のぶつかる音が響いた。
「大きくなる事もないし……消えもしない……維持されてるだけ。」
「……。」
リプラはアスクの肩に手を回してただ黙って抱き寄せている。
アスクに何が見えているのかを、死の天使ではないリプラは言葉の上でしか理解できない。
ただその景色を想像して分かったつもりになって、月に居た頃と変わらないまま彼の支えでいられたら、と願うしかなかった。
「……アスク……君?」
廊下の曲がり角から背の高い女が現れる。
煤けた衣服の八美が目を見開いて双子を見下ろした。
「八美……!?」
「……!(妖人の円卓主の娘……なんでこんなにボロボロなの?)」
「その子はもしかして……親友って言ってた子かな?」
狼狽えるアスクとリプラの隣へ腰をおろした八美が、憔悴した様子で2人の顔を覗きこむ。
「……そう、そうだよ……リプラ・リュミエール……ねぇ八美――」
「明星 木槿、今どこ?」
自分には見えない互いの何かを見つめあう八美とアスク、その間でリプラはその異常な空気を吸い込む事しかできなかった。
「分からない、会議が終わったらすぐどっかに行った……会議室で一葉がね……アイツらに襲われたって分かって……今急いで僕らの仲間が助けようとしてる。」
「一葉さんまで……?」
「……ねぇアスク!さっきアッチにさ、アイスの自販機あったでしょ?私バーグちゃんからお小遣いもらってるから選びにいこうよ。」
リプラ・リュミエールに魂は感知できない。
だがその魂から出力される感情とオーラはリプラに今すぐこの場を離れたいと、アスクと共に離れてしまいたいと思わせるには十分な程の恐怖を抱かせた。
「ごめん……八美と話したい。アイスも今は食べたくないよ。」
「……そっか。」
「ごめんね2人とも、こっちも色々あってさ……もっとゆっくりしていたかったよね。」
アスク・スーリエルは魂を見る。
八美がまとう明らかに危険な雰囲気と、哀しみと憎悪が入り混じった感情を辿った先で彼女の魂は壊れかけている。
離れたくない、この状態の彼女から離れてはいけない。
引き止めなくては、でもどうやって。
「……八美、誰か死んだの?誰か……傷つけたの?」
「「!!」」
分からない時は信用できる人間へ聞かねばならない、その対処法を、解決方法を。
アスク・スーリエルはそうやって生きてきた。
自身よりも他人を信じたくなるような人間として生まれたから。
八美もその信用できる人間の1人のはずだった、だから聞いた。
その魂に濁りが生まれていた理由を。
「っ……。」
「……ねぇアスク、行こう?そっとしておこうよ……。」
歯を食い縛る音が聞こえた直後、リプラがアスクの手を強く引いてベンチから降りた。
「(八美さん、ごめんね……きっととても酷い事が……辛い事が起きたんだと思うけど……どうしようもできない。今の私達に誰かを助けられる余裕なんて無いの……。)」
「リプラ……?そんな――」
走り去る2人を八美はただただ黙って見つめている。
追いかけようとは思えなかったのだろう。
木槿の位置も知らない、罪に汚れた自分に慰めの言葉もかけてくれない友達の背中など追いかける意味が無くなったのだろう。
「……誰?そこにいるのは……誰なの?」
あぁ……可哀想だ。
およそ50億年ぶりに、誰かへ酷く同情したよ。
おいで、鬼百合 八美。
終わらせよう、悪夢を、こんな酷い悪夢を一刻も早く。
――――――――
「アンタは……円卓主と一緒にいた、白衣の……遺物使いの人か……。」
山と緑に囲まれた街の中、白くて広い道の隅で木槿が店の奥を覗きこむ。
「……すまないね……あの時喰らった怪我がまずかったのかも……ずっと……苦しいんだ、息がしずらい……それに……口の中が、血の味でいっぱい……。」
「そうですか……。」
布団に横たわっていた単眼の妖人、その隣に置いてあるバケツの中で赤く濁った液体が揺れていた。
「白蛇宮が潰れたからだとしても、随分と人気が無くなったように思えますが……菓子屋もしばらく開いてないのですか?」
「……死んだよ、菓子屋の店主も。」
木槿ただ1人だけが白い石の道を踏んでいる、道の横にあった店も今やそのほとんどがシャッターを下ろし続けていた。
「……。」
「旅館のオーナーも……白蛇宮を再建しようとした巫女さん達も……お土産屋も……皆……次々に……アタイも……きっともうすぐ……。」
残り少ない体力のほとんどを呼吸と発言に使いながら、単眼の妖人がゆっくりと店先へ視線を傾ける。
「皆……一緒に暮らしてきて、一緒に戦った仲間だったね……。」
「……。」
向かいに見えるいくつもの閉じたシャッター、もう長い事商品を並べていないような気がする棚。
それらが映る今の景色と思い出を重ねながら、妖人の女が微かに笑って木槿と目を合わせた。
「……寂しいね……あんたは……『成すべき事をしっかり終わらせて……笑ってから死にな』……一緒に戦った仲間が、そんな顔したまま死ぬだなんて……もう見たく……ないからね……。」
木槿の背後から店を覗きこんでいた。
だから、彼の表情は分からなかった。
ただそれを見て女が笑った事しか、分からなかった。
「……突然訪ねてきてしまって、すみませんでした。」
かつて白蛇宮へと続いていた階段に向かって木槿が歩みを進める。
女はただ、その背中を微笑んだまま見送った。
「それで良いんだ……進みな、そのまま……まっすぐとね。」
街を包む空気と風は涼しく、優しい。
泣きたくなるほどに。
ポケットに手を入れたまま歩く木槿すらもこの街はまだ歓迎した。
おもむろに携帯を取り出した彼がソレの電源を入れ、キーパッドを操作する。
「このタイミングでかけてくると思ってました……隊長。」
「煌星学園で発砲騒ぎがあったと聞いた、お前達に被害があったら報告を。」
副隊長の荒い息を耳にしながら、木槿は白い道の上を歩き続ける。
「発砲は私が鬼百合 八美を止めようとした時に撃ったものです……鬼百合 イバラキと鬼百合 七尋が先刻死亡しました、その事について鬼百合 八美があなたを探していますよ……助けられたはずだと言いながら。」
「……そうか。」
たった3文字だけの返事に俯きながら、副隊長は声のトーンを更に落とす。
「……暴走した八美様に……隊員が1人殺されました。」
「アイツだな?あの敬語が使えない若いの……お前が気に入っていた隊員。」
石の階段を登り始めた木槿が、わざとらしく淡々と会話を続ける。
靴が石を叩く音を聞きながら副隊長が溜め息をついた。
「そうです……隊長、1つ聞いてもよろしいでしょうか。」
「許可する。」
階段は長く高く、山頂へ続いていく。
「鬼百合家の崩壊……アイツが殺される事……やはりコレらも必要だったのですか?」
「……必要だった、というよりは避けられない事だったんだ。」
かつてアスクと八美が共に駆け上がった時と比べて数倍の時間をかけながら、木槿がゆっくりと階段を踏みしめていく。
「もしあの時死んでいなくとも……鬼百合家を滅光から救い出そうとも、近いうちに似たような死に方をしたと?」
「そうだ……この状況じゃ死ぬしかない……避けられやしないから、せめて他の死を避けられる誰かを巻き込んでしまわない内に、本人達がそうしてしまう事に気づかない内に……。」
階段を上がる足音が携帯から微かに響く。
山頂へ差し込む日光が、階段の先から眩しくこちらへ届いていた。
「……もう少しだけ教えてください隊長、あなたには……未来が見えているんですか?この先起こる未来どころか、誰が生きているとどんな事が起こるかまで。」
「見えているわけじゃない。」
階段を登り終えた木槿の視線の先に井戸の残骸が現れた。
その井戸には蓋がされていて、蓋の上に1本の刀と鞘が置かれている。
「では……何故分かるのですか?皆があのような死に方をしなければならず、八美様があのような目に合わなければならず……私が、ここに居る事まで。」
携帯から聞こえていた石を靴で叩く音が止む。
刀へ手をかけた木槿が振り返って、顔に青あざのある副隊長と目を合わせた。
「……覚えているだけだ。」
マスクを乱暴に投げ捨てた副隊長の片手には、今取ったソレとは違う形のマスクが握りしめられている。
そのマスクは元々黒かったが、今や血で真っ赤に染まっていた。
「そうですか……ならきっと、私もようやくここで……。」
「……。」
隊員の遺したマスクを握り潰し、副隊長がその全身を震わせる。
「【火ノ竜……煉獄……顕現】。」
大気を熱し、翼を広げる火竜の前で木槿は静かに目を閉じた。
「……この前はアスクが世話になったな、俺もまた世話になるよ……【藤結】。」
――――――――
「……。」
「八美さん、追いかけてこなかったね。」
ブライツ本部の横にある病院の屋上、アスクとリプラがベンチに座って空と本部のタワーを眺める。
リプラの小遣いで買ったチョコミントアイスから感じるはずの清涼感には微塵も気づけないまま、アスクは眉間にしわを寄せ続けていた。
「……。」
「アスク……もう逃げようよ。」
自身の手に持っていたミントアイスを舐めるアスクの顔を見つめながら、リプラがアスクの手に握られ差し出されているバニラアイスを口にする。
「逃げるって……月に?」
「うん、もう私達だけで昔みたいに幸せに暮らそうよ……新たなる秩序やメアーは確かに悪い奴らだし、きっと倒さなきゃいけないけど……それってまだ天使になりきれてもない私達がやらなきゃいけない事じゃないと思う。」
タワーとこちらから目線を向けてきたアスクに向かってリプラが今できる精一杯の笑顔を見せる。
「そんな事したら地球の皆は――」
「そうかもしんないけど!仕方ないよ……もう逃げよう。木槿さんも八美さんも、ライムも……一葉さんも……皆アスクが信じるには弱すぎるよ、すぐ壊れて狂っちゃうよ。」
アスクの視線が落ちる。
その先でアイスから垂れた碧色と白色の液体がコンクリートに数秒間だけ色を与える。
「……。」
「月の皆なら……天使や堕天使ならきっとそんな事は起きないよ。私達を守ってくれて、新たなる秩序も倒して……私達だけの平和な世界を作ってくれるよ。」
碧色が先に染み込んで消えていき、その後すぐに白色も消えていく。
「……無理だよ。」
「えっ?」
リプラの口元からバニラアイスを離して、彼女の手とミントアイスをそっと押しのけてからアスクは立ちあがった。
「地球を見捨てたら、地球の皆が死んだら次は僕らだ……確かに僕達は地球人より強いかもしれないけれど新たなる秩序は倒せない……全員が、それぞれ力を合わせなきゃアイツらの魂に刃が届かない。」
「っ……!?」
アスクがアイスを差し出してきて、リプラは両手にミントとバニラのアイスを掴んだ。
彼の目を見つめながら、変わりつつあったアスクの魂に気づいた。
「探したよ、2人共こんな所にいたのか。」
「……林藤 一葉の治療が終わった、来い。」
双子は見つめあうのをやめて、屋上に現れたホープとガイアに駆け寄っていく。




