第9話「襲来」
『月獣の暴走』を迎撃している防壁の反対側、静寂に包まれた防壁の上に長い黒髪の女が降り立った。
「(久しぶりだな。都市に帰ってくるのは……。)」
堕天使の周りに深緑色の光の粒が舞っている。
防壁の上から都市を見渡した後、堕天使は都市の内部へ飛び降りようとした。
「……!」
殺気を感じた堕天使が素早く身を翻して高く跳び上がる。
その瞬間、先程まで堕天使の立っていた部分の防壁が円形に消し飛び、堕天使は驚いた様子で建物の上に降り立った。
「(クリキンディーの意見を聞き入れなかったのか……!?困ったなぁ……。)」
建物の陰からレイズが素早く現れ、堕天使に向かって大剣を振り下ろした。
大剣を振り回した事によって発生した衝撃波は全てを破壊し進み続ける。
その威力、射程に限界は無い。
守護の天使『ミカエル』の持つ代表的な能力は『他天使も圧倒するその圧倒的身体能力』である。
彼女の繰り出す攻撃の全ては、それらの一撃ずつだけで戦況を破壊できてしまうほどの威力と規模を誇る。
武器を介せばその攻撃規模の調整が可能となり、小石を弾くほどの攻撃を繰り出す事も、逆に巨大な大陸を6つに割ってしまうほどの攻撃を繰り出す事も可能になる。
その恐ろしい破壊力と共に『決して倒れず、敗北する事の無い』彼女は『月人最強の存在』と、彼女を知る全ての者からそう呼ばれている。
素早い身のこなしでレイズの攻撃を紙一重で躱し続ける堕天使はどこか嬉しそうだが、苦い表情を浮かべていた。
両者動きを止め、穴だらけになった建物の上に着地する。
「久しぶりだなマリー……あの子、クリキンディー……だったか?何をしたか知らないが、何があっても私達はお前を信用しない。」
レイズの圧のこもったその言葉を聞いた堕天使は少し不服そうな顔をして、剣に蔦を纏わせ始めた。
レイズは顔を上げ、堕天使と対峙する。
その時レイズは初めて彼女の顔を見て、顔色を変えた。
何かの鼻歌を歌いながら、堕天使が剣を指揮棒のように振り始める。
「情報の欺瞞か……ふーん……攻撃される時点でなんか変だと思っていたけど、アッチもまだ完全に信頼してくれちゃいなかったって事か。」
堕天使の背後から幾百の巨大なツタが現れ、それぞれが生きているかのように蠢き、建物に絡みついていく。
レイズは酷く動揺した様子で言葉を震わせた。
「どうして……あなたが……!?!?」
「両方とも騙すなんて酷いと思ったけれど……今の僕が酷いなんて言葉、誰かに向かって言う権利なんて無かったね。……久しぶり、ミカ。」
レイズを慣れたように愛称で呼びながら、堕天使は静かに笑みを浮かべた。
――――――――
『月獣の暴走』と月人達が互いの刃と牙と爪をぶつけ、火花を散らしている。
1人の月人が月兎の噛みつきを躱し、全力で月兎の喉元にハルバードを突き立てた。
もがく月兎を逃がすまいと月人は腰に力をいれ、ハルバードを全身の力で横に振り抜いた。
月兎が喉元から多量の黒いヘドロを撒き散らしながら倒れ、地面に溶けて消えていく。
「やった……!倒した!」
黒いヘドロが地面に消えていく様子を見つめながら、月人は純粋な笑みを浮かべてハルバードを握りしめた。
次の獣を殺すために月人が顔を上げる。
その瞬間に目の前で月狼に2人、同時に殺された。
切り裂かれた彼らは灰か塵のようになって、風に攫われて消えていった。
月人は事態を即座に理解し、歯を食いしばってハルバードを前に向ける。
月人は接曲した軌道を描きながら迫ってくる月狼へハルバードを向け続け、タイミングを見極めてから月狼の喉元へハルバードの先を突き出した。
だが、素早く飛び退いた月狼は前足でハルバードを薙ぎ払い、一瞬で月人を無力化してしまった。
月狼は牙をむき出しにし、ねじ曲がったような唸り声を上げて月人へ飛びかかる。
「グルルルァォア!!!!」
「っ……!!」
死を悟った月人は目を固く閉じようとした。
閉じる瞬間、誰かが目の前に現れたような気がした。
「オラッ!!!!」
鈍い音が響き渡り、目を閉じていた月人の頭に黒いヘドロがかかる。
月人が目を開けると、もはや目の前に月狼の姿はなく、ヘドロにまみれた拳を掲げているインヘリットが立っていた。
「とっとと武器拾え。逃げる戦うどっちにしろ、無ぇと死ぬぞ。それと、戦うんだったらとっとと他の奴らと合流しやがれ。」
ぶっきらぼうな様子でインヘリットは月人にそう言うと、高く跳び上がって他の月人達の元へ向かった。
空から見下ろす戦場では、やはり月狼が暴れに暴れている。
機動力で翻弄し、牙や爪で素早く致命傷を与えてくる。
通常種の月人達にとっては天敵と言える存在だ。
インヘリットは舌打ちをすると、空中に静止しながら拳を構えた。
「ヨダレ垂らして跳ね回ってんじゃねぇぞこのクソ共が……!!」
インヘリットの周辺にいくつもの光の輪が出現し、それぞれが点在して暴れている月狼の方へ穴を向けていく。
インヘリット・ザドゥキエル、義の天使の能力。
『アウレオラ』と呼ばれる輪を出現させ、それを自在に操る力。
『アウレオラ』はその輪の中に通された物や義の天使が放った攻撃が持つ運動エネルギーを吸収、複製して放つことが出来る。
月人の天使種が持つ怪力と『アウレオラ』の組み合わせは、戦略兵器にも近い広範囲の破壊力を生み出す。
「まとめて弾き飛びやがれ!!【アウレ……オラァ】!!!!」
インヘリットが拳を強く前に振り回すと、全ての『アウレオラ』が妖しく光り、輪の中からとてつもない威力の衝撃波が放たれた。
衝撃波が月狼達を正確に貫き、胴体や頭を吹き飛ばされた無数の月狼の体は地面に吸い込まれて消えていった。
「ハッハッハ……!!へでもねぇ!!!!
もっと歯ごたえのある戦いがしてみてぇもんだな!?代われるんだったらレイズと変わりてぇぜ!!」
インヘリットは不敵な笑みを浮かべながら着地し、近くにいた月兎や月狼を殴り飛ばした。
防壁の上でチェッカは心配そうな様子でため息をついていた。
「楽しそうなのはいいんですが……疲れてしまったりしなければいいんですけど……。」
バリスタを放つ月人達を指揮しながら、リメイムもインヘリットを観察している。
「その辺りの見極めはしっかりできる男じゃ。お主も分かっとるじゃろう?」
「分かってます……分かっていますが……。」
「……ある程度したらこちらで様子を見て、声をかけてやろうかのう。」
――――――――
古いバリスタの上に立つクリキンディーは、厚い包帯に目を塞がれながらも目の前にいるアスクとリプラを視認する。
「【フォーバマイン】。」
「【ミストリテイン】!」
アスクとリプラはそれぞれ鎌とクロスボウを生成し、クリキンディーへその先端を向けた。
「リプラ……この地面の揺れって……!?」
アスクは過呼吸気味になりながらリプラに小さい声で確認した。
「うん……多分この瞬間を狙ってたんだ……コイツら……!」
リプラはクロスボウの引き金に手をかけ、クリキンディーの動きを警戒している。
「……何も出来ないクセに、どうして出てきたの?」
クリキンディーは淡々とした様子で2人へ尋ねた。
「何も出来ないわけない!……君がどこかへ走っているこのタイミングで『月獣の暴走』が来たんだ……堕天使の仲間か手下なんでしょ!?ここで君もなんとかしなきゃ、きっとミカさんが堕天使を倒しても平和な日常は来ない!」
リプラは声を荒らげてミストリテインの光を強めた。
「……何も知らないくせに……。」
「……!?」
突如、アスクの『死の天使の能力』が自分達やクリキンディーにも向けられている強い殺意を察知した。
広場近くの建物の上から、歪めたガラスの割れる音のような音が響き渡ってくる。
3人が建物の上に視線を向けると、空間が裂けるように割れている。
暗い紫色の宇宙が中に広がっている、空間の裂け目。
巨大な狼の前足が中から現れ、裂け目を引き裂いて更に広げた。
裂け目の中から、アスクの感じた殺気の根源が姿を現す。
月狼よりも更に巨大な『大狼』が、建物の上から牙と殺意を剥き出しにして3人を見た。
大狼の周りにはプラズマのような紫色の雷がいくつも走っており、その体は強く震えていた。
「何……あの狼!?」
「でかい……し、あの周りの光って……まさかミカさんが言ってた、チェッカ達の遭遇した『紫の攻撃的な光』!?」
2人は武器を大狼の方へ向けたが、その威圧的なオーラに息がしづらくなっていた。
「先を……越された……!!」
3人の姿を見ていた大狼は、アスクと目を合わせると、天を仰ぎ恐ろしい声で遠吠えを始めた。
「ガァ ォ ォォォォ !!!!」
都市中に響くその咆哮はまるで『壊れている』かのように途切れ途切れで、その裏にはノイズが走っていた。
咆哮を続ける大狼の口元に雷が集結し始めている。
「……!?クリキンディー!!!!」
アスクの目に映っていた『自分達へ向けられている殺意』がクリキンディー1人に向かって集約し始めている事に気づいたアスクは、リプラの手を引いてクリキンディーの元へ走り始める。
大狼が咆哮を止め、広場の中央へ向けて大きく吠える。
口元へ集束されていた雷は塊となって勢いよく飛び出し、雷の球は広場のバリスタに直撃すると勢いよく離散して、広場と周辺の建物を消し飛ばした。
大狼が粉々になった広場の上へ降り立つと、牙を剥き出して大きく唸り声をあげる。
「グル ルルル……ヴゥウ ァ!!!!」




