第6話 冷たい婚約・2
これは――流石に聞き流せるような話ではない。
「何を……仰っているのかしら? 私は」
心に入った亀裂がこれ以上大きくならないよう気をつけながら言葉を紡ぎ出す私に、フレンヴェールが続けた。
「色恋沙汰はもう懲り懲りです。私の立場と名誉を救ってくれたマリアライト家に応える為、貴方の忠実な片腕として生きる所存ではありますが……どうか私を愛さず、私からの愛も求めないで頂きたいのです」
その苦しそうな表情と声に、それ以上言葉が紡げない。
(何故……? この方は何故、そんな事を言うのかしら?)
聞けば気分を害してしまいそうな気がして聞けない。
混乱しつつも少し思考を巡らせば、すぐ答えに行き着く。
(ああ、きっと、駆け落ちされたメヌエット嬢をまだ愛していらっしゃるんだわ……)
フレンヴェールが一方的に一目惚れされて、一方的に婚約破棄された――と聞いていたから傷つけられたのは名誉とプライドだけだと思っていたけれど、長い婚約期間の内に愛が芽生えていた可能性はある。
でもそれを言ってしまったら『相手を愛していながら婚約破棄された挙句、駆け落ちされた男』になってしまうから――誰にも言えなかったのね。
きっとこれまで縁談があった令嬢達にも同じように『自分を愛さず、愛も求めないでほしい』と断ったのかもしれない。
婚約破棄されてる男にそんな風に言われれば、上手くいくはずの縁談もまとまらないだろう。
そんな『今なお失恋から立ち直れない、プライドの高い気難しい男』を『長年想い続けていた相手がいる、一途な男』に切り替えるには確かに、幼い頃に接点がありマリアライト領の領主となる私は最適な存在だ。
私と結婚すれば、それだけで『一時は伯爵令嬢の一目惚れに応えて恋を諦めた伯爵令息が、相手の駆け落ちで吹っ切れて以降自身の意志を貫き通し、本来想っていた高嶺の花の侯爵令嬢と結ばれる』という筋書きが出来上がるのだから。
フレンヴェール自身、これ以上家に名を貶めるような事をするなとキツく言われているのかもしれない。
もしこれで私がフレンヴェールを突き放したら、フレンヴェールは――
(……それは、嫌だわ)
全ては打算の上に成り立った婚約だ。私にも打算はある。
一度は諦めた初恋の人と添い遂げる事が出来る事への執着、私を影で馬鹿にしていた学院の令嬢達を見返したいという見栄。
(だけど私は……打算だけじゃない)
フレンヴェールから愛ある関係を拒絶されてしまった事は物凄く寂しいけれど、政略結婚なんてそういうものだ。
好きな人と結婚できるだけでも幸運なのだから、私も贅沢を言ってはいけない。
それに、この誠実で優しい方が相手に対して怒る事無くただ悪評に耐え続けたこの2年間、どれほど辛かったでしょう?
この数年、自分に向けられる心無い噂やレッテルに人知れず傷ついていたのは私だけではなかったのだ――と親近感すら覚える。
(この人をこれ以上、辛い目にあわせたくない……)
感情抜きで考えてみても、ここで婚約を無しにして三伯爵を絶望に叩き落とすと、私の統治に影響を及ぼす可能性が高い。
フレンヴェールに不快な思いをさせられた令嬢達がここぞとばかりにフレンヴェールの悪評を流すのも避けたい。
感情的にも内政的にも、《《この程度の事で》》婚約の話を無しにする事はできない。
「……分かりました。私も元々伴侶はマリアライト家を支えられる人間であればという事を最優先に考え、愛を強く求めていた訳ではありませんでしたので……ただ、わざわざ冷めた関係になる必要もないでしょう? 人としてお慕いする事はお許し頂ける? 愛がないと言っても、いつか私と貴方は子を成す事になるのですから。親としての信頼関係を築いていくべきだと思うのです」
最初から冷めた関係を受け入れたくはない。
時間が経てばフレンヴェールの心の傷が癒えるかもしれない――そうすれば、いつかは私を見てくれるかもしれない。
それに、これからお父様からマリアライト家の長のみが使える呪術や領土についての引き継ぎがなされる。
子を宿した女は子に魔力を引き継がせる関係上、子を産むまで一切他者の魔力の影響を受けず、放出する事も出来ない――つまり魔法が一切使えなくなるから、呪術の引き継ぎを全て終えるまで子を成す行為は避けなければならない。
呪術および侯爵の公務や交友の引き継ぎは2、3年かかるとお父様は言っていた。お父様には時間がないが、私とフレンヴェールには時間がある。
焦っては駄目。押せば押すほど、男は引いていく。それは魔導学院で身をもって学んでいる。
改めて笑顔を作り出し、努めて優しい声を出すように心がけて、
「私は、貴方とかつてのように良好な関係でありたいのです。ああ、そうだ、気が向いた時で良いから、またハープを弾いてくださる? 私、フレンヴェールが奏でるハープの音色が大好きだったの。そのうち時間が合えば合奏もしたいわ」
「……はい。時間が合えば」
フレンヴェールが小さく応える。その優しい瞳は本当に変わらない。
だから――愛を拒絶されても落ち込んでいては駄目よ、ウィスタリア。
私とアザリアがフルートを吹けるようになった時に、ハープと一緒に合奏してくれた、あの幸せな時間を――あの素敵な時間をまた紡げるのなら、それでいいじゃない。
私が男に選ばれない人間なのは、この六年間で痛い程分かっているでしょう?
大丈夫、男女の愛などなくてもこの方が私を支えてくれるのなら、私は、頑張れる。
それに、この方を私以外の誰にも手が出せない場所に置けたのだから、今はそれでいいのではなくて?
今この方に一番近しい場所にいるのは私である事に変わりはないのだから。
これから少しずつ――少しずつ距離を縮めていけばいいのよ。
(……恋は人を狂わせるって、こういう事を言うのね……)
頭の中では「それでいいの?」と弱々しく問いかける声も聞こえるけれど、あらゆる思考が鎖のように私とフレンヴェールを強固に繋ぎ止め。
お父様に相談するという選択肢や、フレンヴェールに怒るという選択肢を奪っていく。
そんなやりとりをした後、執務室に入りフレンヴェールはお父様の前で深く頭を下げる。
彼がお父様の前で愛する愛さないの話を口にする事はなくて。
『この恩は一生ウィスタリア様の片腕として生きる事でお返ししていく所存です』という言葉を述べられた後、淡々と婚約が結ばれた。
嬉しさが悲しさや虚しさを包んで飲み込み、それがそのまま心の中に溶けていくような――そんな不思議な感覚抱えながら、離れ屋に向かうフレンヴェールを見送った。
こうしてフレンヴェールはマリアライト邸の離れ家に住み込み、長年父上の補佐をしているマロウ伯から色々教えられる事になった。
そして私は父上の元、帝王学やマリアライト家に伝わる呪術を教えられながら一節に一度彼らの領地視察の付き添ったり、僅かな休憩や食事の際にフレンヴェールと話せる時間を楽しみにするようになった。
2人の時間を大切にしているうちに再会の違和感は薄れ、彼がやはり優しく穏やかでかつ機転の効く聡明な人だと改めて感じ、初恋にまた新しい想いを降り積もらせていくうちに数節が過ぎた頃。
自分の余命は後3年――そう言ったお父様より先に、隣領のアルマディン侯爵が亡くなった。




