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「多分、夜の間には戻って来れないと思うから、気にせず休んでて
あと、これぐらいしかなくてごめんね」
「充分すぎるぐらいです。本当にありがとうございます」
気遣う声に再びシリアが感謝の言葉を重ねれば、クロムは今度こそ人の良さそうな笑みを浮かべた
「よかった。それじゃあシルさん。よい始まりを」
「クロムさんも、よい始まりの時を」
シリアとそんなやり取りを交わして黒髪の青年は部屋を後にする
それはエルフェンリート王国内では定番の夜の挨拶
彼らの住まうこの大陸において、夜とはすなわち始まりの時であるとされている
というのも、原初、あらゆるものが生み出されるよりも以前の、本当に何もない真の空白こそがすべての始まりであるのだと彼らが考えていることに起因する
形も、音も、においも、色もーー何もかもを持たない存在がそれらを持つものとして生じた時、それまでエネルギーすら持っていなかったそれらがすぐに何か行動を起こすことは出来ない
新しいカンテラには油を注がなければ火は灯せないのだ
同様に、生物は生きるために睡眠や食事など、休息をして初めて生きていけるようになると大陸に住まう人々は考えた
だからこそ、そんな休息こそが『始まり』であり、動植物が眠りに就く時間こそが彼らにとっては『始まりの時』
対して日が暮れかかり、その日に為すべき仕事を終わらせた後の時間のことは「次の始まりに備える、切り替わりのための時間」として『渡りの時』などと呼ばれている
そうして繰り返す営みの中で様々なものが生まれ、また朽ちていく
その中で人々が紡いできたものこそが歴史であり、国や文化あるいは知識であり、それらを支える人々の誇りでもあるのだとシリアには思えた
ーーでも、だからこそ。さっきの王弟陛下みたいなことは……
暖炉の火は暖かく、またぱちぱちと音をたてながら揺らめく炎はシリアのこころを落ち着かせる
すっかりと重たくなってしまった息を吐き出すと、彼女は先程黒髪の青年から手渡された毛布を広げ、その身体を包み込んだ
ーーさっきの子、大丈夫かな……?
ふと浮かんだ疑問にシリアは顔に心配の色を滲ませる
誰か頼れそうな相手はいるだろうか
シリアが逃げる途中で見かけた城の者たちは皆一様に自分は関係ないとばかりに目を伏せてしまっていた
怖い目に遭ったにも拘わらずこのままただ泣き寝入りするだけになってしまうことも想像に難くない
自分だってあの黒髪の青年に匿ってもらえなければ本当に無事に逃げ切れていたのかも定かではないが、とそこまで考えてからシリアは小さく息を吐き出した
ーーやめよう。考えても暗くなるだけ
頭を振り、思考を追い出す
ひとり慣れない場所で過ごす夜は、とても暖かくて
けれどもやけに静かで、長く感じられた




