7.座敷童はお屋敷よりも最愛に憑く《百合? ロマンシス?》
黄昏時。
「そろそろ帰るよ」
テーブル席に居たお客さんの一人が、そう言って立ち上がった。
「えー、もう?」
「晩ご飯も食べてこうよ。ここの焼きそば、美味しいよ?」
ご友人らしい、他の二人のお客さんが引き留める。話が盛り上がっているところだったし、名残惜しいのだろう。しかし、彼女は爽やかに微笑んで首を振る。
「うーん、気になるけど、残念。僕には、待ってる子が居るからね」
『僕』の一人称が似合う女性だ。
「マスター、お会計を分けることは出来ますか?」
「もちろん」
またねー、と口々に言うご友人に手を振りつつ、彼女がレジに来た。僕は伝票を見て、彼女一人分のケーキセットをレジへ打ち込む。
「……《噂》で聞いたんですけど」
彼女がお財布からお金を出しつつ、小声で言った。
「ここは『妖精』や『妖』も来ることが出来るって」
「!」
本当ですか? とお金をコイントレイに並べて彼女が問う。
「……皆さま、『良き時』を見計らっておいでになります」
少し迷って、僕は応えた。
彼女は、じっと僕を見、それから、
「わかりました」
とにっこり微笑み言った。
「『同居人』と、また『良き時』に来ます」
「お待ちしています」
同居人とは、『誰』なのだろう。
僕は、ドキドキしながら彼女の背中を見送った。
※※※
実家の座敷童が、一人暮らしを始めた僕についてきた。
何を言ってるのかと思われそうだけど、事実なんだから仕方ない。
「ただいまー」
『!』
廊下にキッチン、反対側にそれぞれトイレ・洗面浴室へと続くドアがあって、奥に寝室・リビング・ダイニングを兼ねた一部屋がある。そんな狭いワンルームマンションに、座敷童はついてきたのだ。
料亭の広い奥座敷よりも、かなり狭いこの部屋に。
僕が帰ると、嬉しそうに奥の部屋からぴょこぴょこと出迎えにやって来る。
おかっぱ頭に、白い着物。小鳥みたいに真っ黒な眼(いつもにこにこ目を細めているので、普段はあまりそう見えない)。
背丈は、たぶん小学一年生の時の僕くらい。小さな、小さな女の子。
たったひとりの、僕の幼馴染。
「ごめん、今日は遅くなっちゃった。退屈だった?」
ううん、と彼女は首を振る。
そして、手にした色鉛筆を掲げた。
「絵、描いてたんだ」
『!』
彼女が、首を大きく縦に振る。手洗いうがいを済まして部屋へ入ると、
「……なるほど」
確かに、うん。楽しんだのがわかる。
画用紙に描かれたたくさんの絵が、そこいら中に散らばっていた。
「いっぱい描いたねぇ」
どうだ、と言わんばかりに彼女が胸を張る。可愛い。その頭を思い切り撫でた。
どの絵も故郷の風景ばかりで……何となく、申し訳ない気持ちになる。
僕が自分で連れて来たわけじゃないけれど。友だちの僕がここへ来たから、一緒に来たのかも知れなくて。
「ごめんね。なかなか帰れなくて」
『?』
彼女は小首を傾げたあと、ううんと首を横へと振った。別に帰りたいわけじゃないよ、と言いたげに。
その証拠だ、と言う勢いで、一枚の絵をこちらへ差し出す。
「これ、この間行ったお花見の?」
『!』
そう! と彼女が大きく頷いた。満面の笑みに、彼女もここを楽しんでいるのがわかってホッとする。
「……ここも好きなら、いいんだ」
『♪』
にこにこと彼女が笑っている。彼女は、いつもご機嫌だ。
「さ。ご飯にしようか。今日はね、特別なデザートがあるよ」
『!』
「なんか、有名なお店のマカロンだって。じゃんけんで勝ち抜いて、貰えたんだよ」
『~♪』
座敷童の彼女が居る所為か否か。僕にはこういう小さなラッキーがたくさん起こる。
「じゃあ僕は着替えてご飯作るから、片付けてくれる? どっちが早く出来るか競争しよう」
『!』
だから彼女と居るのが心地好い……というわけではなかった。
ただ単純に昔から、僕と居て心から楽しそうにしてくれるから。
家族にも級友にも馴染めなかった、こんな僕相手に。
それが嬉しくて、こうしてまだ彼女と一緒に過ごしている。
「勝った方が、デザートの飲み物を決めることにしよう」
『♪』
彼女が、この狭いワンルームに飽きるまで。
少しでも長く、一緒に居られたらいいなと願う。
「……そういえば、最近は白い着物ばっかりだね? 実家に居た頃は、赤だったのに」
『!』
唇に人差し指を添え、にこにこ微笑む彼女を見ながら。
僕もご機嫌に夕飯の支度を始めた。
※※※
己のはじまりを、しっかりと憶えているわけではない。
けれど、あの人間たちの気配が美しかったことは憶えている。
まるで、湧き出る清水のように透き通った気配だった。
彼らが居るこの家は、それがゆえに心地が好かった。
笑みを絶やさず、朗らかにくるくると立ち働く彼らの姿は、見ていて気持ちが良かった。
あるとき、自分が特定の《光の粒》を引き寄せられることに気が付いた。
その《光の粒》を引き寄せると、彼らはとても喜んだ。
正しくは、《光の粒》が彼らの気配に溶け込むと、彼らにとって喜ばしいことが色々起こるのだった。
善いお客がたくさん来たり……彼らの仕事は料理を供する商いだ……、良い食材が安く手に入ったり、あとは、そうだ。《彼女》の病が癒えたこともあった。
自分の姿を視ることが出来、自分に一等優しく、一等清らかだった《彼女》。
自分は、《彼女》がとても好きだった。
そして、《光の粒》が、彼ら彼女らの清しい気配と交じり、更に眩く柔らかに輝く様もまた、自分は……そう、とても好いていた。
けれど、それも今は昔の話。
彼らの気配は、いつの間にか濁っていった。
《光の粒》も、濁りの中ではあまり長く輝かない。
一等愛した《彼女》も去った。
潮時だ。
あとは消えるか、遷るか、どうするか。
己に宛がわれた座敷で、つらつらと、うたた寝がてら考えていたら。
『……君は、誰?』
清水が、湧いた。
《彼女》とよく似た面差しの、しかし何処か少年らしくもある少女。彼女が、この閉ざされがちな座敷の襖を開けたのだ。
濁った気配の中で、彼女だけが清冽に眩しく輝いていた。
彼女と初めて会った日から、自分と彼女はずっと親しく暮らして来た。
彼女には、たくさんの遊びを伝授した。
折り紙、双六、囲碁、将棋。
おはじき、手毬に、万華鏡。
『君は、何でも知ってるね』
彼女はいつも、楽しそうに共に遊んでくれた。
この座敷に供えられ、自分以外の子どもを知らぬ玩具たちが、喜びに震えるのを幾度も感じた。
彼女から教わることも多かった。
クレヨン、絵具に色鉛筆。
たくさんの紙に、色んな絵。
あちらこちら、様々な国の昔の話。
ああでも、やっぱり一番は。
『それでね、土星の輪っかはね……』
夜空の話、星の話だ。
彼女は、夜空の星が好きだった。
星座にまつわる昔話。星そのものの話を、よく語って聞かせてくれた。
図鑑も、いっぱい見せてくれた。
『嬉しいな。誰も、星の話は聞いてくれないから』
彼女は、いつもそう言って寂しそうにする。
──家族とも、クラスのみんなとも、上手く話せない。
そう言っては、眉を下げ「だめだよね」と言うのだ。
そんな彼女に、首を傾げた。
そんなの、当然だよ。
だって、君と彼らは『違う』んだもの。
澄んだ水と、濁った水。
ただそれだけの違いだよ。
けれど、彼女はそんなことをいつまでも哀しんでいて、それが不思議で少し辛かった。
あるとき。
『……僕、家を出るんだ』
彼女が言った。強張った顔は蒼褪めて、それなのに、眼だけがしっかり輝いていた。
『もう会えなくなるかも』
清水の気配が、一層濃くなる。
──いいね。
頷いて、彼女の手を取った。
ちょうどいい。
ふたりで、ここを出よう。
消えるか、遷るか、どうするか。
……決まった。
自分の清水。
自分の居場所。
彼女と共に、遷るとしよう。
「ただいま~」
『!』
今日も、この『座敷』で彼女を待つ。
たった一部屋の、小さくて、けれど心地好いこの『座敷』。
いつのまにか赤に染まった着物は、浮足立つ心と共に、眩しい白に戻っていた。
一等愛する彼女と共に、今度はずっと共に居る。




