6.雪女、夏の憂鬱《百合。恋人同士》
「マスター、どうしたら人間は自分が脆いってことを自覚するの?」
彼女が、ストローを噛み噛みそう問うた。親の仇を前にしたかの如き刺々しさを持って。
ストローは噛んでいるだけで、未だ飲み物は吸われていない。
せっかくのフローズンダイキリは、まったく減っていない。
「溶けちゃいますよ」
駄目元で言ってみるも、
「あたしの傍に居て、氷が溶ける? 冗談でしょ」
一蹴された。ですよね、と肩を竦める。
フローズンダイキリは溶けるどころか、グラスの曇り具合を見るに、お出ししたときよりも更に冷えているように見えた。
冷え切ったグラスに彼女の指がかかる。しかし、その指は冷たさに驚くこともなく、また凍える様子もない。寧ろ心地好さそうだ。
それもそのはず。この常連さんは、雪女さんなのだ。
透き通るように白い肌は、まさしく雪のよう。触れたら冷たそうな雰囲気がある。そして、実際その通りなのだと、今見ている光景で理解する。
一般的に雪女・雪男の一族は、もっと山の高いところに住んでいるものだが、彼女は数年前から下界に下りて、人間の恋人と暮らしている。
恋人さんの方も、よく店へ顔を出してくれる常連さんだ。
「話を戻して。……ねえ、どうして人間って自分が弱いって自覚してくれないの?」
彼女が、ようやくストローから口を外した。
「……あいつったら、また熱中症になって倒れたのよ」
「それは」
私が息を飲むと「すぐに応急処置したから大丈夫」と彼女は言う。
大丈夫、という言葉の割に、その顔は暗い。
「あたしには、あれだけ口酸っぱく『涼しいところに居ろ』『身体を冷やせ』『日中、外に出ちゃ駄目』って言うのに」
「あなたは暑さに弱いどころじゃないですからね」
聞いた話では、雪女は暑すぎると溶けるという。それは口酸っぱくもなろうというもの。
「そうだけど! でも、人間も負けず劣らず暑さに弱いじゃないの! ……あたしに偉そうに注意しておきながら、一人で庭仕事をして倒れるなんて!」
あたしも手伝うって言ったのに。
ぽつりと、彼女が言葉を零す。
「明け方に、一緒にやればいいじゃないの。あたしが居れば、より涼しく出来るのに。本当に、馬鹿じゃないの?」
ぽたり、ぽた
カウンターに、水滴が落ちた。フローズンダイキリのものではない。
私はハンカチを取り出し、そっとカウンターの上に置いた。
絶対に彼女を危険に晒したくないと願った恋人さんの気持ちも。
恋人さんを喪うのではないかと恐ろしくなった彼女の気持ちも。
どちらも痛いほどに、わかるから。
何も言えず、彼女が落ち着きお酒を楽しめるようになるまで、ただ待つことしか出来なかった。
※※※
「また倒れるなんて。学ばないの?」
「面目ない……」
ソファーに横たわる私を見下ろして、彼女が冷ややかな……雪女に相応しい絶対零度の眼差しを向けて来る。
これは相当怒っているなあ、と熱い頭の片隅で苦笑した。
「人間は脆いんだから。ちゃんと自分の体温くらいわかっときなさいよね!」
「はははー……気を付けます。っと、触っちゃ駄目だよ」
私に手を伸ばした彼女を、慌てて制止した。脇を冷やしていた氷嚢が、床へ落ちる。彼女は、とりあえず私ではなく、氷嚢の方へ手を伸ばし直した。ほっと息を吐く。
「……なんでよ」
そんな私に彼女は眉を顰めたが、そしてその顔はひどく美しくも空恐ろしかったが、ここで引いてはいけない。拾ってもらった氷嚢を、決して彼女に触れないようにして受け取った。
「まだ体温高いから。火傷させちゃう」
真面目な顔で、だから駄目だと訴える。
「………」
眉を顰めたまま、彼女は踵を返して何処かへ行った。
わかってくれたようだ。再び、安堵の息。しかしその判断は甘かった。
「………」
戻って来た彼女が、また私の方へ手を伸ばすではないか。
「ちょっ! 触っちゃ駄目だって!! まだ私、熱いよ!?」
身をよじって逃げようとする私を押さえ付け、彼女が私の目元に手を当てた。
……って、あれ?
手なのに、手ではない感触。
「手袋越しだから火傷なんてしないわよ。どう? 冷たい?」
よく見れば、彼女は綿の手袋をしていた。あのタクシードライバーさんがしているようなもの。
そんなの、持ってたんだ。
「そりゃいい感じに冷たいけど……」
「雪女で良かったわ」
彼女が片頬を上げ、得意げに言う。
……まったく。無茶をする。
「もー……熱中症の人間に触るなんて危険すぎるよ……」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。熱中症で目を回すまで庭仕事なんて、危険すぎる」
「……ごめんね」
「人間なんて、あたしたちよりよっぽど弱いんだから。気にしすぎるくらい気にするのが、ちょうどいいのよ」
強い語気で言っているのに、どんどん声に湿り気が帯びていく。
見なくても分かる。きっと彼女は。
「わかった。わかったから泣かんで……」
「うるっさい! 繰り返してんなら、それはわかってないの!」
完璧に涙声になった叫びが、私を詰る。
これはいよいよちゃんと反省しなければならないと、やっと自らの過ちを私は認めたのだった。




