第4.3章 世界征服は村の水から
振り向くと、バイルだった。
いつの間にか背後に立っていた。
にこにこしている。
でも、やっぱり目は笑っていない。
「ずーっと見てたよ。朝から」
「……な、何を……?」
変な汗が背中を流れた。
「色々とね」
バイルは広場を見た。
「面白いことになってるね。あの水、やっぱり君が関係してるんだろう?」
「い、いや、してないですよ。はは……」
「そうかい」
バイルは、全く信じていない顔でうなずいた。
「じゃあ、今はそういうことにしておこう」
「その言い方、すごく不安になるんですけど」
バイルは荷馬車の方へ視線をやった。
そこには朝、井戸で汲んでいた小瓶が置かれている。
「さっき少し飲んでみたんだけどね。これ、また飲みたくなる味がするんだよ」
「また飲みたくなる……」
「喉越しが最高で、体が軽くなって、気分が上がって……」
「また喉越し……」
「喉越しは大事だよ。売れる水にはね」
「売る前提で話してる」
「話しているだけだよ。まだね」
「“まだ”? まだって何ですか!?」
バイルは答えず、広場の方を見た。
「もう一杯! もう一杯!」
「水だ! 水を持ってこい!」
「順番だ!」
「先に膝だ!」
膝はもう治ったはずなのに、膝の人はまだ膝の権利を主張していた。
村人たちの一部が、踊りながら井戸の方へ向かおうとしていた。
踊りながら移動する意味は分からない。
たぶん本人たちにも分かっていない。
「……ああ。やっぱり」
「やっぱり?」
「また飲みたくなるんだ。この水」
「それ、かなりまずいやつじゃないですか」
「そう。まずいよね」
バイルも、にこにこしながらうなずいた。
「でも、体には良いんだよね。そこが一番厄介でさ」
『何が厄介なのだ。体に良いのだから問題ないだろう!』
また頭の中で声がした。
(いや、問題しかないよ)
『体が治って、気分が良くなって、どこが悪いのだ』
(あの側転してる人を見て)
『元気なことは良いことだ』
(もう止まらなくなってるんだけど)
側転の人は、広場を何周もしていた。
止まれなくなっているのか、止まりたくないのか、判断がつかなかった。
「ユウ君」
バイルが静かに言った。
「村長さん、来るよ。そろそろ」
僕は振り返った。
広場の向こうから、村長のグレオさんが早足でやってきていた。
六十代の大柄な人で、普段は温厚だが、困ったことが起きるとすぐ顔が赤くなる。
そして今、その顔は湯気が出そうなくらい真っ赤だった。
「誰だ! 誰が井戸に何をした!」
村長の怒声が広場に響いた。
さっきまで騒いでいた村人たちも、さすがに少し我に返ったらしい。
踊っていた人たちの足が止まり、水の桶を持っていた人たちが気まずそうに目をそらす。
ただ、側転の人だけは止まらなかった。
村長の前を、くるん、と横切る。
「まず側転を止めろ!」
村長の怒りは、最初にそこへ向かった。
近くにいた男たちが慌てて側転の人を押さえた。
本人は地面に座らされながらも、まだ足をうずうずさせている。
「一回だけ……あと一回だけ……」
「だめだ。今は座ってろ」
「でも腰が軽いんだ……」
「軽くても座ってろ」
村長は額に手を当てた。
湯気が出そうな顔だった。
「で、誰だ! 誰が井戸に何をした!」
広場がしんとした。
シモンさんも、ようやく踊るのをやめた。
ただし上半身裸のままだった。
誰か、服を着せてあげてほしい。
僕は、じっとその場に立っていた。
名乗り出るべきか。
でも、名乗り出たら何と説明するのか。
頭の中に住んでいる自称魔王が、僕の体を経由して水源に魔力を流しました。
無理だ。
言えるわけがない。
説明の最初から最後まで、全部だめだ。




