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第4.4章 世界征服は村の水から

『小僧』


(何)


『堂々としておれ』


(ええっ!?)


『こういう時、支配者は慌てぬ』


(君、さっきまで撤退って言ってたよね。真逆だよ!)


『違う! あれは戦略だ。今こそ威厳が必要なのだ!』


(都合よく切り替えるね)


 さすがは魔王、言い訳だけは王様級だった。


『全ては予定通りだ! 今こそ下々に知らしめる千載一遇の好機である!』


(何を?)


『我が水源を支配した、と』


(何言ってるの!? 絶対だめ!!)


『なぜだ。我の征服計画、第一手だぞ』


(だからだよ)


 頭の中で魔王を止めているうちに、僕は無言でこめかみを押さえていたらしい。

 隣で、バイルがくすりと笑った。


「さて、どうする?」


「……ちょっと考えてます」


「賢明だね」


 バイルは広場を見ながら、小声で続けた。


「一つ提案があるんだけど、聞く?」


「……聞くだけなら」


 藁にもすがりたい気持ちだった。

 ただし、目の前の藁は、金の匂いがする藁だった。

 バイルはにこにこしたまま言った。


「この水、管理すれば村の名物になる」


「名物?」


「そう。体に良い水としてね。いきなり売り出すのは危ない。けど、飲む量を決めて、効き目を確かめて、村長さんの許可を取れば形にはなる」


「今、危ないって言いましたよね」


「言ったよ。だから管理するんだ」


「便利な言葉ですね、管理」


「商売では大事な言葉だよ」


 バイルは小瓶を指先で軽く叩いた。


「疲れが抜ける。体が軽くなる。膝や腰が楽になる。しかも喉越しがいい。効能もある、味もいい、話題性もある。これは売れるよ」


「また喉越し……」


「大事だよ。旅人は効能より先に喉で納得することもある」


「水の商売、思ったより喉に寄ってる」


「それで、副作用は……気分が良くなりすぎる場合がある、くらいにしておこう。嘘ではないからね」


「言い方でだいぶ薄めましたね」


「濃すぎる説明は、人を不安にさせるから」


「今の説明で、僕はだいぶ不安です」


 バイルは広場をちらりと見た。

 側転している男が、まだ足をうずうずさせていた。


「側転が止まらなくなることは?」


「個人差がある」


「訴えられませんか?」


「だから村長さんを通すんだよ」


「通せばいい話なんですか?」


「通さないよりは、ずっといい。それに、村長さんが認めた形にしておかないと、何か起きた時に話がこじれる」


「今、かなり怖いこと言いましたよね」


「大人の話だよ」


「大人って怖いですね」


 全然安心できない答えだった。

 バイルはさらに声を低くした。


「でも、うまくいけば村にはお金が入る。旅人が来る。商人も来る。宿や食べ物も売れる。もちろん、ユウ君にもお礼は弾むよ」


「お礼……」


 その言葉に、僕の頭の中でいくつかのものが浮かんだ。

 銅貨三枚。

 芋。

 雑草汁。

 芋。

 たまに入る、ちょっとだけ野菜。

 それから、さっき魔王のせいで二つ減った干し果物。


『小僧』


(何)


『目が輝いておるぞ』


(輝いてないよ)


『欲望で、まるで小さな悪魔のようだ』


(魔王に言われたくない)


 念のため、口元を拭った。

 よだれは出ていなかった。

 たぶん。


「……村長さんと神父様への説明はどうするんですか」


「村長さんには、村が潤う話をする」


「神父様には?」


 広場の端では、神父様がまだ水の桶から逃げていた。

 バイルはそちらをちらりと見て、すぐに視線を戻した。


「教会は後回しでいい。少なくとも、あの桶が片付いてからだね」


「悪い相談に聞こえるんですけど」


「優先順位の話だよ」


「便利な言葉が多いですね」


「商売では大事なんだ」


 遠くで神父様が、「水をこちらに向けないでください!」と叫んでいた。

 十分元気な神父様が、全力で逃げている。

 もう神父様のことは、いったん見なかったことにした。


「まあ、教会には『不思議な水が出た』くらいにしておこう。原因までは言わない方がいい」


 僕はバイルを見た。

 この人は、分かっている。

 僕が何かを隠していることを。

 でも、それを今ここで暴こうとはしていない。

 その方が、自分にとって得だと思っているからだろう。


『小僧』


(何)


『あの商人、なかなか使えるぞ』


(使えるって?)


『我と似た目をしている。金を稼ぐことに躊躇がない目だ』


(それ、褒めてる?)


『最大級の評価だ』


 最大級に、不安な評価だった。


『信用は不要だ。利害が一致していれば、人は動く』


(魔王が言うと、すごく嫌な説得力があるね)


 僕はバイルを見た。

 口元は笑っている。

 けれど、目だけはもう村長の方を見ていた。

 信用していいのかは分からない。

 でも、今はこの人の話に乗るしかなさそうだった。

 村長が人だかりをかき分けて、こちらへ向かってくる。


「ユウ!」


 呼ばれ、心臓が跳ねた。


「お前、今朝井戸の近くにいたな?」


「……いました」


「何か見たか」


 僕は一瞬、頭の中の魔王を意識した。


『小僧、言うなよ』


(言わないよ)


『我の偉業を隠すのは不満だが、今は面倒だ』


(威張りたいのに、責任は取りたくないんだ)


 僕は村長を見た。


「水が、少し変わったようには見えました」


「それで皆、水だ水だと言っておるのか。原因はなんだ?」


「……分かりません」


 半分、本当だった。

 原因は分かっている。

 でも、説明の方法がこの世に存在しなかった。

 様子をうかがっていたバイルが、一歩前に出た。


「ちょっとすみません、村長さん」


「何だ、バイル。お前もいたのか」


「はい。少しお話を。怒る前に聞いていただきたいんですが、これは村が潤うチャンスかもしれません」


 もう怒っているけど。


「潤う?」


 村長の眉が、ぴくりと動いた。

 怒っている。

 完全に怒っている。

 でも、「潤う」という言葉だけは、怒りの隙間をすり抜けたらしい。


『釣れたな』


(釣れたって言わないで)


 バイルは笑顔で続けた。


「もちろん、今すぐ売りましょうなんて言いません。まずは飲みすぎを止める。量を決める。誰にどんな効き目が出たか確かめる」


 バイルは、そこで一度だけ広場を見た。


「それで安全だと分かってから、村の名物にできるか考える。順番さえ間違えなければ、これはただの騒ぎじゃありません。村にとっての商機です」


「勝手に売るなど論外だぞ。……それで、ちゃんと村に利益は入るのだろうな」


 村長の目つきが、ほんの少し変わった。

 怒っているはずなのに、期待のようなものが混じっていた。

 それを、商人であるバイルは見逃さなかった。


「もちろんです。村に損はさせません。だからこそ、村長さんに話しています」


 村長は腕を組んだ。

 難しい顔をしている。

 しているのだが、目だけはちらちらとバイルの小瓶と、膝を叩く村人の方を行き来していた。

 村長さんの中で、怒りと村の財政が戦っている気がした。

 その横で、シモンさんがまだ上半身裸のまま、誇らしげに立っていた。


「シモン、服を着ろ」


「でも村長、膝が」


「膝の前に服だ」


 村長の怒りは忙しかった。

 僕は小さく息を吐いた。

 この状況でまともな説明ができる気はしない。

 でも、少なくとも、魔王の存在はまだばれていない。

 それだけは救いだった。

 バイルがにっこり笑った。


「悪くない流れだね。怒られてはいるけど、話は聞いてもらえている。君がまだ井戸に投げ込まれていないのは、かなり良い材料だよ」


「僕って、井戸に投げ込まれる寸前だったの!?」


「前向きに考えよう」


「前向きって便利な言葉ですね」


 この人を信用していいのかどうか、僕にはまだ分からなかった。

 ただ一つ分かるのは、今日の井戸の水は、もう普通の水ではなくなったということ。

 そして、普通ではない水を前にして、普通ではない大人たちが、妙に頼もしそうな顔で動き始めていた。

 頼もしいのに、不安しかなかった。


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