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第4.1章 世界征服は村の水から

 翌朝、目を覚ますと、頭の中はすでに騒がしかった。

『起きたか、小僧。では早速、計画を話す』

「……おはよう」

 僕はまだ少し眠かった。

『おはようではない。征服の話だ。一晩考えたのだが――』

「朝ごはんまだだよ? 後でもいい?」

『征服に朝ごはんは関係ない』

「人間には関係あるよ。お腹が減ったら動けなくなるし」

 ふああ、と欠伸が漏れた。

 台所からミラの声がした。

「ユウ、起きた? 芋のスープよ」

『また芋か』

「聞こえてないのに、そこだけ反応しないで」

 僕は布団から這い出た。

 窓の外はまだ白い。鶏が一声鳴き、どこかで扉が開く音がした。

 いつもの朝だった。

 ただ、頭の中に自称魔王がいる、という点を除けば。

『おい、聞いているか小僧』

「聞いてるよ」

 そう言いつつ、僕は服を着替えた。



 頭の中でぎゃあぎゃあと続く魔王の声を聞き流しながら、食卓に座る。

 芋のスープから、白い湯気が上がっていた。

『まず村の水源を我の魔力で支配するのだ!』

 スープを一口飲もうとして、僕は手を止めた。

「……水源を?」

『そうだ。水を押さえれば村は落ちる』

「落とさないで。村だよ」

『村だから落とすのだ』

「落とさないで」

『水を飲む者、畑を耕す者、飯を炊く者。すべては水に繋がっておる。つまり、水を支配すれば、村を支配できる』

「理屈は分かるけど、やらないで」

『なぜだ』

「村人が困るから。友達もいるし、神父様もいるし、村長さんもいるし」

『では村長を先に――』

「村長さんも困る」

『ならば領主を――』

「もっと困る」

 しばらく沈黙があった。

 芋のスープから湯気が上がっている。

 台所では、ミラが何かを刻む音がした。

『むむむ……仕方ない。では、水源の支配は穏便に行う』

「穏便な水源支配って何?」

『我の魔力を少しだけ流し、水の性質を変える』

「それ、汚染じゃないの?」

『汚染ではない! 制御だ!』

「言い方を変えても怖いよ」

『魔力の濃さ次第で、水の性質は変わる。毒にもなるし、薬にもなる』

「今、毒になるって言った!?」

『今回は薬の方だ』

「なんで世界征服で薬を作るの?」

『愚か者。苦しめて従わせるだけが支配ではない。潤して、恩を着せて、逆らえなくする。それも支配だ』

「言い方が悪すぎるよ」

 僕はスープを飲んだ。

 今日も芋の味がした。

「薬の方って、具体的には?」

『それは試してみなければ分からん!』

 自信に満ちた声だった。

「分からないのに自信だけあるの、すごく不安なんだけど」

『大丈夫だ。すぐ終わる』

「何を?」

『水源の実地確認だ』

「確認だけだよね?」

『確認だ』

「何もしないよね?」

『限りなく、何もしない』

「今の言い方、すごく嫌なんだけど」

『細かいことを言うな、小僧』

 何を言っても、止める気はなさそうだった。



 朝食を終えて畑に出ると、空はすっかり青くなっていた。

 村の外れ、小高い丘の向こうに水源がある。

 村人が毎日水を汲みに行く場所だ。

 石造りの井戸と、その奥に続く小川。

 村にとっては、命綱みたいなものだった。



「ここだけど」

 仕方なくやって来た水源の手前で、僕は足を止めた。

『ほう』

 ものすごく嫌な種類の「ほう」だった。

「ほう、じゃなくて。汚染とかしないでよ。絶対だめだよ」

『汚染とは言っておらん。ちょっとだけ、魔力を注ぐだけだ』

「同じでしょ?」

『違うぞ。力を制御するのだから大丈夫だ!』

 断言された。

 断言されたことが、一番不安だった。


 僕は井戸を見た。

 石の縁が苔むして、水面が朝の光を反射している。

 村人が二人、水を汲んで帰るところだった。

 僕に気づいて「おはよう」と言う。

 僕も「おはようございます」と返した。


 その瞬間、頭の中で魔王が言った。


『今だ』

「今だ、って何が?」

『集中しろ、小僧。我が何かをするとしたら――感じるか?』

「“何かをするとしたら”って何!? その言い方やめて!」

 返事の代わりに、何かが変わった。


 うまく説明できない。

 頭の中が、少しだけ温かくなる。

 体の奥を、細い熱のようなものが通り抜けた。

 電気とも、火とも違う感覚だった。

 一瞬だけ、手のひらがじんわりとした。

 それだけで終わった。


「……ねえ、もしかして今、何かした?」

 嫌な汗が額を流れた。

『少しだけ魔力を流した。お前の体を経由して、地下水脈にな』

「僕を経由した!? っていうか、だめって言ったよね!?」

『契約とはそういうものだぞ』

「聞いてないよ、そんな説明!」

『そうだ。説明しておらんからな!』

「そこ、自信満々に言うところじゃないよ!」

 ちっとも罪悪感のない声だった。

 さすが、自称魔王だ。

「言ってよ! ああ、どうしよう……」

 困って、思考が空回りする。

 そのとき、水面が少しだけ揺れた。

 風もないのに。

「……揺れた」

『見たか』

「見たけど、見たくなかった」


 その後は、特に何も変わらなかった。

 透明で、匂いもない。

 普通の水だ。

 僕は恐る恐る、少しすくって飲んでみた。

 やっぱり、いつもの水の味だった。

「何も変わってないじゃないか」

『すぐには変わらん。地下水脈に広がるのに時間がかかるのだ』

「広がるって言った?」

『言った』

「すごく嫌な言葉なんだけど」

『待て』


 待った。

 水面は揺れない。


 さらに待った。

 小川は普通に流れている。


 もう少し待った。

 近くの鳥が、こちらを見て首をかしげた。

「……何も起きないね」

『今、起きるところだ』

「鳥にも見られてるよ」

『鳥は関係ない!』


 さらに待った。

 鳥が飛んでいった。

「鳥、帰ったよ」

『小僧、黙って待て!』


 そして――

 水面が、ほんの少しだけ光った気がした。

 透明なのは変わらない。ただ、朝の光を受けているだけにしては、内側から薄く輝いているようにも見える。

「……変わった?」

『飲め』

「嫌だよ」

『飲め』

「絶対怖いやつだよ」

『毒ではない』

「毒って言葉が出た時点で怖いんだけど」

『いいから飲め、小僧』

 こういうときの魔王は、なぜか妙に譲らない。

 僕は井戸から少しだけ水をすくった。

 匂いはない。見た目も普通だ。

 でも、なんとなく清々しいような、不思議な感じがした。

「本当に大丈夫?」

『我が大丈夫と言っておる』

「その根拠が一番不安なんだけど」

 覚悟を決めて、飲んだ。

「……あ」

 普通の水ではなかった。

 水が体に入った瞬間、さっきのじんわりした感覚がもう一度来た。

 今度は、全身に広がっていく。

 朝から残っていた眠気が薄くなる。

 肩の重さが軽くなる。

 昨日から体に残っていた疲れが、すっとほどける。

 ただの水を飲んだだけなのに、体の奥から整えられていくような、不思議な感覚だった。

 それに、さらりとしている。

 妙に喉越しがいい。

「……なんで喉越しまで良くなってるの」

『知らん。副産物だ』

「副産物で喉越しが良くなるんだ!?」

 魔王の魔力は、よく分からないところまで気が利いていた。

「……これ、何?」

『魔力が混じった水だ。人間には回復効果がある』

「回復って、怪我とか?」

『疲労、軽度の傷、体の小さな不調。内側から整える。効き目は十分だ』

「……待って」

『何だ』

「疲れが抜けて、傷が少し治って、体調も整うの?」

『そう言っておる』

「それ、普通にすごいやつじゃない?」

『当然だ。我の魔力だからな』

「すごいけど、安心はできないよ」

『なぜだ』

「作ったのが魔王だから」

『そこを理由にするな!』

 僕はもう一度、水面を見た。

 きらきらと、妙にありがたい感じに光っている。

 井戸の水なのに、なぜか教会の奥に置いてありそうな光り方だった。

「……これ、もしかして聖――」

『違う』

「まだ最後まで言ってない」

『違う! 効果はそれっぽいが、これは我の魔力を帯びた水だ! 全くの別物だ! 聖なる要素など一滴もない!』

「一滴もないって言われると、水だけにちょっと上手いね」

『上手くない!!』

「でも、魔王が作った回復する水って……」

『言うな』

「魔王産の聖水……」

『言うなと言っておるだろう!! そんな紛い物みたいな呼び方をするな!!』

「いや、聖水の方が本家っぽいけど」

『黙れ小僧!!』


 魔王が作った聖水。

 考えれば考えるほど、魔王にも教会にも怒られそうな呼び名だった。

「……これ、本当に飲んで大丈夫なやつ? 僕、死なないよね」

『我が大丈夫だと言っているのだから、大丈夫だ』

「その根拠が一番不安なんだけど……」


そこへ。

「おやおや」

 声がした。

 魔王とのやり取りに気を取られていて、人が近づいていたことにまったく気づかなかった。


 振り返ると、井戸の少し手前に男が立っていた。

 歳は三十前後だろうか。茶色の旅外套を羽織り、荷物をたくさん積んだ荷馬車を引いている。

 細い目と、やたら人懐っこい笑顔。

 ただ、笑顔なのに、目だけは笑っていなかった。

「お兄さん、さっきから何をしてるんだい?」

「べ、別に……何も」

 魔王がした悪事――いや、悪事なのかどうかもまだ分からないけれど、とにかく知られたくはない。

 僕は咄嗟にごまかした。

「そうかい?」

 男は不思議そうに顎をさすりながら、井戸に近づいてきた。

「でも、水が光って見えたんだけどな。私には」

 心臓が、どきりと跳ねた。

「……気のせいじゃないですか。朝日とか」

「朝日は向こうだよ」

「……じゃあ、目の錯覚とか」

「私の目は、商売柄けっこういいんだ」

 男は水面を覗き込んだ。

 細い目が、さらに細くなる。

「ほう。これは面白い」

「面白くないですよ。普通の水です」

「普通の水を見て、面白いとは言わないよ」

 男は顔を上げて、にこりと笑った。

「私はバイル。行商人だよ。この辺に来るのは久しぶりでね」

「僕は、ユウです」

「ユウ君か。いい名前だね」

『小僧』

(何?)

『あの男、笑っているが、目は値をつけているぞ』

(値?)

『獲物か商品か、どちらかを見る目だ』

(どっちも嫌なんだけど)

 バイルは荷馬車の方へ歩いていき、小さな瓶を取り出した。

「少しだけ、この水をもらってもいいかな?」

「えっと……村の水源なので、僕が決めていいことじゃないと思います」

「正しい答えだね」

 そう言いながら、バイルはもう水を瓶に入れていた。

「入れてるじゃないですか」

「確認だけだよ」

「その言葉、今日すごく信用できないんですけど」

 バイルは瓶を軽く振り、匂いを嗅いだ。

 それから、ほんの少しだけ口に含んだ。


 数秒、黙る。

「……へえ」

 笑顔が深くなった。

 やっぱり目は笑っていない。

「これ、喉越しがいいね」

「また喉越し……」

「また?」

「いえ、こっちの話です」

「体も軽くなる。気分も少し上がる。嫌な後味もない」

「分析が早いですね」

「商売人だからね」

 バイルは小瓶を朝日にかざした。

「ユウ君」

「はい」

「この水、どうやったのか教えてもらえたりしないかな? いや、ただの好奇心なんだけどね」

 にこにこしている。

 でも、目は笑っていない。

 この人は絶対に、好奇心だけではない。

「何のことか分からないです。僕は何もしてません」

「そうかい」

 バイルはあっさり頷いた。

「じゃあ、今はそういうことにしておこう」

「今は?」

「うん。今は」

 ものすごく嫌な言い方だった。

『小僧、こいつは気づいているぞ』

(何に?)

『お前が何かを隠していることにだ』

(魔王のことは?)

『そこまでは分かっておらん。だが、水とお前を結びつけた』

(最悪じゃない?)

『まだ最悪ではない。商人は、分からぬものをすぐ敵に回さん。まず価値を測る』

(それ、安心していいの?)

『まったく安心はできぬ』

(いや、ダメじゃん)


 バイルは瓶に栓をして、荷馬車に戻した。

「村長さんには後で話を通しておくよ」

「あの……勝手に話を大きくしないでくださいね」

「もちろん。話は大きくするんじゃない。広げるんだよ」

「それ、同じじゃないですか」

「商売では違うんだ」

「すごく不安な違いですね」

 そう言ってから、バイルはにこりと笑った。

「ただ、話が早い方が、得になることは多いからね」

「誰の得ですか」

「みんなの得になるようにしたいね」

「今の答え、すごく商人っぽいです」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 バイルは荷馬車を引き、村の方へ歩いていった。

 去り際に、ちらりと井戸を振り返る。

「また話そう、ユウ君」

「……はい」

 荷馬車の車輪が、からからと音を立てて遠ざかっていく。

 僕はその背中を見送りながら、ものすごく嫌な予感がした。


『あの男は使えるぞ』

(信用できるってこと?)

『違う。使えるというだけだ』

(それが一番怖いよ)



 ユウは緊張した気持ちのまま、バイルの背中を見送った。

『……あの男、怪しいな』

 今、ここで一番怪しい存在が呟いた。

「うん。そうだね」

 確かに、あのにこにこした笑顔は怪しかった。

 母さんが市で狙ったものを絶対に逃がさない時の目に、少し似ていた。

『目が、何かを企む時の目だ』

(さっきの魔王も、たぶん同じ目をしてたよ)

『何か言ったか?』

(何も)

 ユウはもう一度、水面を見た。

 まだ、かすかに光っているような気がする。

 でも、そのうち収まるだろう。


 たぶん。


 たぶん、収まるはずだ。


「……ねえ、魔王」

『なんだ?』

「さっき、魔力を流したって言ってたよね」

『そうだ』

「それって……本当に?」

『本当に、とは何だ。まだ我を疑っているのか?』

「だって、声だけだし」

『声だけでも魔王だ!』

「あと、証拠もないし」

『今、飲んだだろう。感じただろう。喉越し最高の謎の水を!』

「自分で謎って言っちゃったよ」

『そこではない!』

 確かに、感じた。

 あの、妙に喉越しが良くて、体の奥からじんわりする感覚。

 普通の水ではない。

 芋のスープでも、もちろんない。

 でも。

「……偶然かもしれないし」

『強情な奴だな!』

 魔王が呆れたような声を出した。

『まあよい。信じるかどうかは貴様が決めることだ。ただ――』

「ただ?」

『我を疑うのであれば、この先もっと分かりやすいものを見せてやる』

 なぜか、すごく自信満々だった。

「今の、すごく嫌な前振りに聞こえたんだけど」

『喜べ。魔王の力を目撃できるのだぞ』

「目撃したくない種類の力もあるよ」

 ユウが水面を見ると、光は少しずつ薄れていた。

 でも、今日ここに水を汲みに来た村人たちは、きっとあのじんわりを感じる。

 疲れが抜けるような、体が軽くなるような、不思議な感覚を。

 それが何なのか、ユウはまだうまく言葉にできなかった。

 ただ、一つだけ分かることがあった。

 この水は、たぶん普通ではない。

 そして、普通ではないものを「そのうち収まるだろう」で済ませた時、人はだいたい後で後悔する。



 仕事もある程度片付いた午後、村に小さな騒ぎが起きた。

 最初に声を上げたのは、農家のシモンさんだった。

 六十を過ぎた人で、膝が悪く、冬になると歩くのもつらそうにしているのを村中が知っている。

 そのシモンさんが、夕方になって村の広場に現れた。


「ワシの……ワシの膝が……膝が治ったーーーー!!」

 上半身裸だった。

 なぜなのかは分からない。

 分からないままでいたかった。

「今日の水じゃ! 今日の水を飲んだら、喉越しがこう、すうっとしてな! 体がぽかぽかしてな! ずっと痛かった膝が!」

「また喉越し……」

 ユウは広場の端で、小さくつぶやいた。

 シモンさんはガッツポーズをしながら、自分の膝を手のひらでぺちぺち叩いていた。

 叩くたびに、

「治っとる! 治っとるぞ!」

 と叫んでいる。

 止めた方がいいのでは、と思った。

 でも、治った膝を見せびらかす老人に近づく勇気は、ユウにはなかった。

 さらに人が集まり始めた。

 そして、次々と声が上がる。


「俺も今日の水を飲んだ! 体が軽いぞ!」

「私もよ! 朝から洗濯したのに、全然疲れてないわ!」

「長年の腰痛が消えた! 消えたぞ!!」

「俺の痔も治ったぞ!!! 快便だーーー!!!」

 最後の一人が何かを叫んだが、聞こえなかったことにした。

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