第1章 魔王、帰り道で世界征服を語る
帰り道は、いつもより長く感じた。
別に、距離が変わったわけじゃない。教会の裏口を出て、畑沿いの細い道を歩いて、石垣の角を曲がれば家が見える。毎日歩いている道だ。
変わったのは、ひとつだけ。
頭の中に、魔王(仮)がいることだ。
「…………」
ユウは無言で歩いた。夕暮れが村を橙色に染めている。遠くの畑で鍬を片付けている老人が見えた。井戸の横で洗濯物を畳んでいる女の人がいた。どこかの家の煙突から煙が細く立ち上っていた。
全部、いつも通りの景色だった。
なのに頭の中だけが、いつも通りじゃなかった。
『小僧、歩みが遅いぞ!』
「……誰のせいだと思ってるの」
ユウはぼそりと言った。
独り言をつぶやく変な人に見えないように、できるだけ小さく、口をほとんど動かさないようにした。
『我のせいではない。貴様の足が遅いだけだ』
「さっきまで封印庫にいたんだよ。心臓がまだバクバクしてる」
『それは恐怖からくる生体反応だ。我の威厳の証明である』
生体のない存在に、生体反応の話をされてしまった。
「……ゼノンって、生体あるの?」
『……今は声だけだが、それが何か問題でも?』
「いや、別に」
問題はあると思う。
でも、深掘りすると面倒なことになりそうなのでやめておいた。
夕暮れの風が畑を渡っていく。麦の穂がさわさわと揺れた。ユウは石が多い道を踏みながら、ずっと気になった事を聞いてみた。
「ねえ、契約って、どういう内容だったの?」
『気になるか? だが教えん! 説明なら、後で、たぶんする。気が向いたらな。』
「後で、ってどのくらい後で」
『気が向いたらだ!』
あぶない契約だったらどうしようか、不安だ。今から取り消しとかできるだろうか?
「……一応確認なんだけど、魂は取られてないよね?」
『まだだ』
「まだ?!」
『軽い冗談だ』
「笑えないよ!」
道の端で草むしりをしていたおばあさんが、不思議そうにこちらを見た。ユウは慌てて口を押えて会釈した。おばあさんは首をかしげ、草むしりに戻った。
あぶない。早速変な人扱いされるところだ。
『よし、気を取り直した』
少し歩いたところで、凄い偉そうな声が言う。
『小僧、まずは貴様の居城を確認するぞ!』
「居城?」
突然なんだろう?
『当然だろう』
声に、わずかに重みが乗った。威厳、というやつだ。
『支配の拠点を把握せずして征服は始まらん。兵力、食糧庫、財宝の在処、地下牢の位置、玉座の間の方角。全て確認する必要がある!』
「……玉座の間?」 なにそれ?
『当然だろう。支配者とはそういうものだ』
「僕の住んでるところ、ただの家だよ」
『家とは何だ。城の小さい呼び方か?』
「人が住む場所のことだよ」
『では地下牢は?』
「ないよ」
『財宝庫は?』
「ないよ」
『兵は?』
「妹ならいる」
『………』 間があった。
『戦えるのか?』
「かくれんぼなら強い」
『………………』 少し長い沈黙だった。
『……なんとも頼もしい軍勢だな』
「世界征服、そのかくれんぼの妹だけでやるつもりだったの?」
『貴様もいるだろう』
「僕、弱いよ。畑仕事と雑用ならできるけど」
『……つまり、兵糧の調達担当か』
「そういう解釈にするんだ……調達できるのは芋だけど。」
このままでは、かくれんぼと畑仕事で世界を取ることになりそうだ。
畑道を歩きながら、ゼノンが宣言した。
『まずはこの村を支配する!』
「しないよ」
『なぜだ?』
「村長さんが困るから」
『ならば村長を倒せばよい』
「もっと困るよ」
『では村長を我が配下にする。それで丸く収まるだろう』
「収まらないよ。村長さん、腰悪いんだよ。配下として動けないと思う」
『……腰?』
「持病。重いもの持てないし、長く立ってるのもきつそうだし」
『では薬でも与えて回復させ——』
「腰痛の薬持ってるの?」
『……持っていない』
「じゃあ無理だね」
『……』
ゼノンはしばらく黙った。
世界征服の計画は、村長の腰が障害になってしまった。
『……では他の者を配下にする』
おおっとこの魔王、まだまだ諦めないつもりだ。
「まだ諦めないの? それで誰を?」
『村で一番力のある者だ』
「…力仕事ならバルトさんかな。鍛冶屋のおじさん」
『そいつを呼び出すんだ!』
「昨日から背中が痛いって休んでたよ」
『…………』
今度は少し長い沈黙だった。魔王の計画は、背中の痛みで破綻したようだ。
『……この村には、病人しかいないのか?』
「みんな体使って働いてるから、ガタがくるんだよ」
『なんとも頼もしい村だな』
「ちょっと、言い方に棘があるよ」
ゼノンは何も言わなかった。代わりに、どこか疲れたような気配が頭の中に漂った。
これで諦めてくれれば良いのだけれど、少し気の毒になったので付け加えた。
「ちなみにトマスさん——畑の人——は元気だよ」
『おお! ではそのトマスとやらを——』
「腰痛持ちだけど」
『……おい、この村に腰痛でない者はいないのか?』
「子どもたちなら」
『子どもは使わん!』
「僕の妹を使おうとしたじゃないか。残ってるの・・・僕くらい?」
『……結局は貴様しかいないのか? 使えそうな者は1人だけか?』
「たぶん」
『………………………』
ゼノンの沈黙が、今日一番長かった。
さすがに一人と一体?での世界征服は厳しそうだ。
けれど、次に響いた声は、思ったよりも低かった。
『だが、貴様の村は弱いな』
「いきなり悪口?」
『食糧の蓄えが薄い。働き手も傷んでいる。水場も一つに頼りすぎている。外敵が来れば、半日で崩れるぞ』
ユウは言い返そうとして、少し黙った。言い方は最悪だが、たぶん間違ってはいない。それが一番困る。
しばらくして、
『話を整理するぞ』
魔王が仕切り直した。その声が必死そうだったのは気のせいじゃないだろう。
『兵を集ねばならん。数が必要だ!』
「兵って、ご飯食べるよね?」
『当然だ。兵糧は必要だ』
「じゃあ無理だよ」
『なぜだ』
「うち、昨日の夕飯もぎりぎりだったから」
『………』
沈黙があった。魔王の計画が芋で破綻した。
「芋一個だったから」
『……芋とはあれか? 畑にある、あの茶色いやつか?』
「そうだよ。」
『あれは家畜の餌ではないのか!?』
「人間も食べるよ!! 安いし、美味しいし!」
『何だと…知らなかった』
道の向こうで、さっきのおばあさんが<じっ>とこちらを見ていた。その表情が怪しむ顔である。
ユウが急いで口を押さえたが、おばあさんは何かを諦めた顔で、はっきり首をかしげてから小屋の中に消えた。
なんか、完全に変人認定された気がする。
「……ゼノン、外で話しかけるのやめてくれる? 声に出さないといけないから、一人で叫んでる変な人に見えるんだけど」
『そんなことは知らん。我は問題ない』
「僕には問題おおありだよ! 変な人だと思われるのは嫌だよ!」
『声を出さなければいいだろう。我と同じように頭の中だけで話せばいい。』
「それ早く言ってよ。ってかこの声、僕だけに聞こえてるの!!」
それでは、本当に独り言の変態だ。
「それで、どうやって会話するの?」
『頭の中で、強く「これを言いたい」と思えばいいのだ。』
ユウは集中して考えた。強く、強く………(…芋)
『なぜ、芋なのだ?』
(普通に話せるじゃないか!)
『ならば問題なかろう。で、何で芋なのだ?』
(ずっと芋しか食べてないんだよ!)
はぁ…なんか疲れた。最初から教えてくれれば、変態認定されなかったのに。
『そうか、芋とはそんなに美味しいものなのか。』
どうやら、ゼノンに向けて考えた言葉だけが届くらしい。
内心まで全部読まれているわけではなさそうだった。
『その芋ひとつで人間は生きているか?』
「芋だけじゃ生きていけないよ。でも、お金が無いから芋しか買えないんだよ。」
『……』
ユウはちょっとだけ黙り、芋生活がすでに10日目に突入していることまでは言わないでおいた。
『ならばちょうど良い!! 世界を征服すれば解決するではないか!!』
「世界征服? 解決?」
『支配すれば、税が取れる。食糧も集まる。財も集まる。芋生活も吹き飛ぶ!』
「……税」
『食糧も集まる』
「食糧……」
『財も集まる』
「財……」
『全部まるっと解決ではないか!!』
ユウの頭の中で、何かがゆらりと動いた。
毎日の芋、雑草汁、銅貨三枚の仕事、破れかけた服の袖‥‥それらが一瞬、ふわっと遠のいたような気がした。
なんと甘い誘惑だろう。まさしく悪魔の囁きだ。
「……い、いや、だめだ! …たぶん」
『本当にか?』と悪魔もといい魔王が来る。
「だ、だめなはずだ!」
『はず?確信がないではないか。』
「だって……村の人が困るから。みんな農作業で忙しいのに、戦争の話とかされても——」
『待て、これは決して戦争などではないぞ。征服だ!』
「何が違うの」
『征服とは正当な支配だ。戦争は手段に過ぎんぞ』
「言い方の問題じゃないよ」
ユウはため息をついた。未だに税、食糧、財という言葉が頭の中でグルグル回っていたが、見ないようにした。見てしまったら負ける気がした。
道が少し曲がって、井戸の広場に出た。石畳の広場に、古い木の井戸。横に洗濯物を干した縄が張ってあって、白い布が夕風にゆらゆらしていた。広場の端に子どもたちがいて、三人か四人、石で何かの遊びをしている。声を上げながら走り回って、影だけが夕暮れに長く伸びていた。
ゼノンが、周囲を眺めるように静かになった。やっと勧誘を諦めたのだろうか。
『あの畑は兵糧生産地か』
「普通の畑だよ」
『あの井戸は水源支配の要だな』
「普通の井戸だよ」
『あの建物は権力の中枢か』
「村長さんの家だよ」
『そして——』
「普通の家だよ」
『おい…まだ言っていないぞ』
「言おうとしてたでしょ」
『……………そんなことは無い!』
子どもたちが広場を駆け抜けていった。一人が転んで、また立ち上がって、笑い声が夕暮れに広がった。魔王が、その子どもたちを見た。少なくとも、見ている気配がした。
『……にぎやかだな』
「子どもだからね」
ゼノンはそれ以上何も言わなかった。何かを考えている様だった。。
<コケ―、コッコッコッコ> 一羽の鶏が道を横切った。首を高く伸ばし、のっしのっしと堂々とした歩き方で。ユウの足元を横切り、草むらに消えていく。
『……あれは何だ』
「鶏」
『なぜあれほど堂々としている! 凄く偉そうではないか。もしかして強いのか!』
「たぶん強くないよ。鶏はだいたい、ああいう歩き方だよ。」
『強くないのか…しかし戦うことぐらいできるだろう? よし、あの鶏を仲間にするのぞ!』
ユウは鶏が消えた草むらを見たが、特に何もなかった。
「鶏を仲間にしても、卵を産むだけだよ。」
『兵量担当ではないか!?』
「鶏が!?」
声が大きくなった。今のところ、魔王の配下候補は僕と鶏だけだった。
草むらの向こうで鶏が<コッコ>と鳴いていた。
石垣の道を抜けたところで、ゼノンが言った。
『この道は覚えたぞ。撤退路として有効活用できるかもしれん。』
「何から撤退するつもりなの」
『負けるつもりは無いが、引き際も大事なのだ。』
「征服の前に撤退路の心配をするんだね」
『…………………』
沈黙があった。少し長い沈黙だった。
『……我は学んだのだ』 ぽつりと出た語気が、少しだけ変わった。
「もしかして、失敗したことあるの?」
『魔王に失敗などあるはずなかろう!!!』
その言葉が本当なら、とっくに世界は魔王のものだ。
「じゃあ、封印は?」
『…………………………………………………………』
遠くら、日暮れを告げる教会の鐘鐘音がした。
『あれは……戦略的な休眠だ』
「百年くらい?」
『……数えてない。が、凄く凄く長いバカンスだ。』
「一人で? 地下で?」
『小僧も寝るだろう、封印とはその長いバージョンのことだ! …とてもとてもな……』
ユウは少し考えた。
一人で動くこともできずに、あの暗い封印庫の中にいる。ただ石の匂いと水の音だけがあって、話す相手さえいない。
そう考えると、さっきの「土の匂いを久しく感じていなかった」という言葉が、少しだけ違う重さを持った気がした。
「……騒がしいでしょ、この村」
それに魔王は何も答えなかった。
石垣の角を曲がったところで、家が見えた。
夕暮れの小さな家は、白い壁が少し汚れていて、屋根の端が一か所だけ少し歪んでいる。軒先には薪が積んであり、庭の端にある小さな畑の近くには、冬野菜が細々と並んでいる。洗濯物が竿に残っていて、夕風にはためいていた。煙突からは細い煙が立っていた。
貧しい家だが、暮らしていくには十分な家だ。
『ようやく着いたか』
ユウも同じ感想であった。いつもより長い道だった。
『小僧、さぁ、我に新たな居城を見せるのだ!』
「だから、ただの家だって」
『謙遜はよい。魔王の器となった者の住まいだ。備えぐらいあるのだろう』
「備えって……薪くらいならあるけど」
『薪? 燃やすのか? 敵を?』
「敵じゃない。風呂を沸かしたり、家を温めたりするんだよ。」
『……風呂だと?』
「寒い日は特に。体が温まって気持ちいいよ。」
『そうか。ふむ、なるほど』
「……「なるほど」ってどういうニュアンス?」
『文明があると思ったのだ』
「文明の基準は風呂なの!?」
ユウは苦笑しながら、家に向かって歩き出した。小道の石が夕暮れの光に照らされて、洗濯物の影が地面に長く伸びていた。
ゼノンは黙っていた。さっきまでの世界征服の話も、兵力の話も、支配の話も、全部どこかへ行った。
でも、魔王はきっと諦めていない。
代わりに、静かな気配があった。ユウはなんとなく聞いた。
「どう思う?」
『……どうとは、何がだ?』
「家。思ってたのと、違う?」
『……………………………………………』
かなり長い間があった。
「正直に言っていいよ。傷つかないから」
『……ま、守りが薄い。まだまだ改善の余地があるぞ。』
ユウは少しだけ笑った。
「そういう言い方を選んでくれたんだね」
『な、何をいっている!? 我は魔王だぞ、下僕に遠慮などせん!!』
「物置みたいだ、って思ってたんじゃないの?」
『……思ってないぞ』
「そう。本当に?」
『しつこいぞ! 思うわけなかろう……だが、思ったより小さいな』
「正直だね」
『魔王とは常に正直な存在だ!』
正直者の魔王がいるのだろうか?
矛盾しているようで、なぜかそんなに嫌じゃなかった。
玄関が近づいてくる。
古い木の扉の少し錆びた取っ手を掴もうと思ったそのとき、戸の向こうから声がした。
「ユウ? 帰ったの?」
ユウの肩が、びくりと跳ねた。
「……っ、母さん」
『おっ、門番か? いるではないか健康そうな人間が。』
(門番じゃなくて、母さんだよ。)
『今のが母親というやつか……気のせいか。なんか妙な圧があるぞ』
(帰ってきたら大体あるよ)
ギィーっと、戸が開いた。
栗色の長めの髪を首の後ろでまとめ、エプロン姿で手に布巾を持った母親のミラが立っていた。
疲れた顔でもなく、怒った顔でもなく、穏やかに微笑むいつもの顔で。
「遅かったわね。薪、持ってきてくれる? 明日の朝には、足りなくなりそうだから。」
「あ、うん……」
「庭の端の小屋に積んであるから。三束でいいわよ。晩ご飯、もうちょっとかかるから。手洗ってきてね」
それだけ言って、ミラは中に戻っていった。扉がまた閉まった。
『……小僧』
(うん)
『今の命令は、貴様に向けたものだな』
(そうだね)
『つまり、我が宿る器に、薪を運ばせるということだな』
(言い方がいちいち大きいよ)
『大きくなどない! 魔王の器だぞ。本来なら玉座に置かれるべき器だ。それを、薪小屋へ向かわせたのだぞ!』
(母さんから見たら、ただの息子だから)
『そこが恐ろしいのだ。見えてもおらぬ。声も聞こえておらぬ。なのに、なぜ我の威厳だけを正確に削ってくる』
(薪三束分くらい?)
ゼノンの沈黙が、一瞬だけ深くなった。
『単位にするな!』
(母さんは、魔王かどうかより、明日の朝に薪が足りるかどうかの方が大事なんだよ)
『現実的すぎるぞ……』
(そういう人なんだよ)
ユウは玄関脇の小屋へ向かいながら、少し笑った。空は夕暮れから夜に、少しずつ変わっていこうとしていた。星が一つだけ、もう出ていた。
『で』とゼノンが言った。どこか落ち着かない声で。
(何?)
『薪はどこにあるのだ』
(なんでそんなこと聞くの?)
『把握しておきたい…』
(居城の備えとして?)
『……そうだ。これは薪運びではない。居城の燃料備蓄の確認だ』
世界を恐怖で支配するはずの魔王が、居城の備蓄担当になった。
たぶん、本人は認めない。
ユウは小屋まで行き、戸を開けた。薪の匂いがした。乾いた木の匂いだった。
頭の中の声は、それ以上何も言わなかった。
二人は――一人と一人の声は――黙って、薪を運んだ。
晩ご飯は、やっぱり芋だった。
すでに十一日目の、長い付き合いだ。
ユウは芋を手に取り、しばらく見つめた。
魔王(仮)とも、長い付き合いになるのだろうか。
豆の汁物と、昨日の残りの雑穀パン。
粗末だったけれど、美味しくて、温かかった。
魔王はずっと、黙っていた。




