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プロローグ「地下室の契約」

地下は、思ったよりも静かだった。

音がないわけじゃない。どこかで水が落ちる音、石の隙間を風が抜ける音、足元の床が微かに軋む音。でもそれらは全部、静寂の一部みたいにそこにあった。地上の喧騒——村人の声とか、風で揺れる木の葉とか、遠くの鶏の鳴き声とか——そういうものが一切ここには届かなくて、まるでこの場所だけ、世界から一段だけ切り離されているみたいだった。

ユウは石壁に手をつきながら、自分が今どれだけまずい状況にいるかを、じっくりと噛みしめていた。


「最悪だ……」


声が反響する。我ながら情けない声だと思った。

原因は単純だ。白い猫。教会で時々見かける、どこの飼い猫でもないあの猫が、よりによってここに入り込んだ。扉には大きな文字で『立ち入り禁止!!』と書いてある。神父様には「絶対に入ってはいけません」と、数えるのをやめるくらい言われていた場所だ。なのに扉の隙間から滑り込んだ猫を目で追っていたら、気づいたら自分も中にいた。

人生というのは、一瞬の油断で終わる。

「なんで入るかなぁ、あの猫ぉ……」

暗い通路の奥を見る。白い毛並みはとっくに闇に溶けていた。ユウはため息をついた。猫はいない。でも来てしまった。後戻りするにも、何もしないで出て行くのは気持ちが悪い。そういうわけで、ユウは奥へ進んだ。

懐から出した蜘蛛の巣取り用の棒——普段は物置の掃除に使うやつで、先端には既にネットリとした汚れがついている——を前に構えながら、一歩一歩確かめるように歩いていると。


『――おい』

「ひぃっ!!」


変な声が出た。反射的に棒を投げてしまって、それが石床を滑っていく乾いた音を聞きながら、ユウは壁に背中をぶつけて固まった。

低い声だった。重たい声。地下の奥、どこか遠くから響いてくるような。でも——なぜか、どこか必死そうだった。


「し、喋ったぁ!!出た、低級ゴースト!低級アンデッド!!」

『……それは傷つくぞ』


傷ついた。そのことに、ユウは少し面食らった。幽霊が傷つく。地縛霊の類にも自尊心があるらしい。


『貴様、我の声を聞いて第一声がそれか』

「え、じゃあ何て言えば良かったの」

『"な、なんという禍々しい気配……"とかだろう!』


声が、妙に女性を真似た変声になった。すごく生々しかった。地縛霊にしては芸が細かい。


「自分で言うんだ……」

『演出は大事だ!!』


ぼゥッ、と音がした。思わず目を閉じて、恐る恐る開けると——壁に並んだ蝋燭が一斉に燃え上がっていた。赤い炎が石の部屋を照らし出す。床の奥、影が長く伸びている。人の姿はない。声だけがある。

なるほど、とユウは思った。魔法の使える幽霊か何かか。古い封印庫だし、そういう類のものが住み着いていても不思議じゃない。神父様が「入るな」と言っていた理由が、ようやく腑に落ちた気がした。

そして。


『フハハハハ!!』 ゴホッ!ゴホッ!

「……大丈夫?」

『埃っぽいんだここ』

「地下だし」


沈黙があった。なんとなく、湿っぽい風がピューッと吹いたような気がした。気のせいかもしれない。


『よいか小僧!』声が仕切り直した。

『我は恐怖そのものである!世界を滅ぼしかけた存在だ!そう、我こそが――魔王だ!!』

「へぇ〜」

『……なんか反応薄くないか?』


薄い自覚はある。でも「魔王」と言われても、正直ピンとこなかった。おかしな幽霊か地縛霊か、あるいは長い年月をここで過ごしすぎて少しおかしくなった魔法使いの残留思念か。そういったものが「魔王」と名乗っているのだろう、というのがユウの見立てだった。まあ、怒らせるのも悪いし、話は合わせておこう。


「あー、そうなんだ。魔王ね。へぇー、すごいね」

『……なんかその"すごいね"が棒読みに聞こえるんだが』

「気のせいだよ。それより、封印庫ってお宝とかある?」

『は?』

「なんか凄い物とか。金貨とか、銀貨でもいいんだけど」

『待て待て待て』

「貧乏なんだよ!!」


叫び声が地下に木霊した。壁の向こうで、ぽちゃん、と水滴が落ちた。なんとなく、慰められた気がした。


『……小僧』

「なに。もしかしてあるの、財宝」

『欲深いぞお前』

「毎日畑仕事して銅貨三枚なんだよ!昨日の夕飯、芋一個だよ!一個!二日前は雑草だよ!!」


しばらく、沈黙があった。

影がゆっくりと揺れた。赤い炎が、風もないのに小さく揺れた。


『……マジで』

「マジで」


また沈黙。今度は少し長かった。炎の爆ぜる音だけが、静かな地下に響いた。

この幽霊——もとい自称魔王は、人の話を聞くやつだ、とユウは思った。言葉を受け取るやつだ。それだけで、さっきまでの恐怖が少しだけ形を変えた。まだ怖いのは怖い。でも、普通に話せる気がした。


『よし、理解した!ならば世界を征服するのだ!』

「急だなぁ!?」

『金が必要なのだろう!征服すれば財宝は全部我のものだ!少し分けてやる!!』

「少し、って言ったね。莫大な方はくれない確定じゃないか。ちなみに成功率は」

『かなり低い!!』


冷たい風が、地下をピューーーーッと吹き抜けた。


「帰って良い?」


影がプルプルと震えた。怒っているのか、笑っているのか、ユウには判断がつかなかった。


『……我は魔王だ。魔王ゼノン。世界を恐怖に――』

「それさっきも聞いたよ。そろそろ戻らないと。良かったら明日また来るよ。芋の皮ならご馳走できるけど」


返事を待っていたが、影は黙った。

そして少しの間があって、低い声がぽつりと言った。


『……なぜ話を続ける』

「え?」

『普通は逃げる。叫んで、泡を吹いて、転げ回って、逃げる。それが正しい反応だ』


ユウは少し考えた。確かに逃げなかった。理由は特にない。最初は怖かったけど、話してみたら普通に会話が成立したから、それだけだ。


「面白かったから、かな。変な人だなとは思ってるけど」


自称魔王、とは言わなかった。言わない程度の気遣いはある。


『我は人ではないぞ』

「変な……魔王でもいいよ」


また沈黙。今度はもっと長かった。炎が一度、大きく揺れた。


『ならば――最後まで付き合ってもらおうか』


その言葉と同時に、部屋の炎が全部消えた。真っ暗になった。でも声だけは、ユウの頭の中に静かに残った。


『契約成立だ』


———契約。

その言葉の意味を考える余裕もなく、気づいたらユウは外に出ていた。

夕暮れが村を橙色に染めていた。遠くで夕食の煙が上がっている。誰かが笑う声がした。全部、いつも通りの景色だった。ユウはしばらくその場に立って、頭の中が静かなことを確認した。声は消えていた。

よかった、夢じゃないにしても、終わったか——と思ったところで。


『で、我の城はどこだ』

「いたぁ!!」


頭の中から、声がした。

白猫がそこにいた。封印庫の扉の前、石段の上で丸くなって、ユウが出てくるのを待っていたみたいに、ゆっくりと顔を上げた。


「……お前、最初からここに来るつもりだったのか?」


猫は答えない。ただ、しっぽをゆっくり一度だけ振った。

金色の、静かな目だった。何かを知っているような、ただの猫のような。どちらとも取れる目だった。

頭の中で自称魔王が何か言っている。城がどうとか、征服がどうとか。ユウはそれを半分聞き流しながら、白猫を見ていた。


「……まあ、いいか」


どうせ幽霊の類なら、そのうち消えるだろう。そう思いながら、ユウは歩き出した。白猫は少しの間その場にいて、それからするりと影の中に消えた。

最近、仕事で疲れたので、息抜き程度で作品を作ってみました。

いつも、途中で投げ出すので、今回は最新のAIなどを使いつつ、AIと一緒に楽して書いています。


そして、作者が評価や読者数など気にせずに『自分が面白い』『最後に読み返してみて、面白かった』と思える作品を目指していますので、本当、毎回読んでくださる方がいたらゴメンナサイ。作者の好き嫌いの影響が凄い作品になると思います。

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