人類は愚かと人類は語る
「オムニックさん!」
蓮司の叫び声には悲鳴の色が混ざっている。
彼と彼女は初対面であるが、同じ組織の仲間だ。盾として守ってくれる存在を前に、女であった事実に驚きなどない。
それよりも大事なのは彼女の身体だ。上半身の防護服が溶け落ちたことで露出した肌はあまりにも多い。
胸にさらしを巻き、その上に胸だけを隠すスポーツウェアを着ているだけ。それ以外は全て肌色で、彼女の瑞々しい身体が解放状態となっている。
この状況で先程と同じ真似をすれば、次は身体そのものが溶かされる。そうなれば如何に力強い彼女であろうと、待っているのは重傷だ。顔が溶かされれば即死になるだろう。
彼の声にオムニックは顔を横に向ける。
眉を寄せて悲しみを露にする蓮司の表情に、彼女は淡い微笑を送るだけ。そこには任せろという決意があって、故に逃げろと口にすることは許されない。
彩斗は無言だった。無言で、脳を酷使する。
炎の半分はパーカーの性能頼りであるものの、もう半分は本人の能力次第でいくらでも早くなる。
であれば、他者を思いやるよりも収束に集中して先に攻撃をするのだ。流石に自身が蒸発させられているる状況で触手を伸ばす余裕は無いだろう。
「蓮司、火球の形成は一度始まれば機械頼りだ。 なら、お前は見える範囲でオムニックに危機を伝えろ」
「――はい!」
気合を入れても蓮司のFMCは早くはならない。
であれば、収束している間はオムニックのもう一つの目として周囲を見る。先程までより危機的な状況になった以上、僅かでも使える手は何でも使う。
そうしている間に触手が伸びて来る。もう間接的なダメージすら許されず、なるべく無傷で状況を継続しなければ彼女の盾としての仕事は終わりだ。
突破され、二人が死ねばもう世界は終わりである。
既に彼女は粘体が普通ではないことを知っていた。予定外にない行動ばかりするのだから当然だが、相手は間違いなく殺傷を前提としている。
如何にAIが暴走したとしても、澪はそれを止める術を仕込んでいた。全ては彼女の製作物であるのだから、止められる方法が無い筈が無い。
けれど、その停止策は全て失敗に終わったとオムニックは判断していた。疑似脳はこの世に完璧は無いという言葉を引き出し、例え澪であってもその道理からは外れることはないのだなと妙な感慨を得た。
思考加速。並列演算。
これまでもしていた演算処理を更に速め、攻撃後の飛散ルートを予測する。
ハンマーを振るい、触手を弾く。
飛散する液体を身体を小刻みに動かして回避する。当たる面積が少なくなった関係で動作を最小限に抑えることに成功し、そのまま二本目三本目もダメージ零で突破した。
数が増えればその分だけ飛散する量は増す。粘体もそれを熟知していて、数を十にも二十にも増やして襲い掛かる。
敵側も必死だ。自身の身体が最初と比較して制限されている中で、何とかあの男に致命傷を与えようとしている。
既に火球はGシリーズと同等にまで膨れ上がっていた。後少しで充填は完了し、その瞬間に粘体の敗北は決定付けられる。
「数は三十! 右から八、左から十! 残りは正面!」
「総員集結! 集中して数を減らせ!!」
オムニックの声に従い、人形達が彼女よりも前で触手に対抗する。
命令に忠実な彼等は、基本的に拒む真似をしない。それが彩斗を守る行為であるのなら死ぬことだって厭わない。
これは命を懸けた戦いだ。ならば、たかが人形の命などくれてやっても問題はない。
彩斗は否と口にするだろう。それは嬉しいが、生死をかけた戦いで全員が生き延びることは不可能だ。
なら、替えの効く者が死んだ方が良い。その想いと共に、人形達は触手の破壊に精を出す。
パーカーが溶け、下に着ていた物が溶け、ボディの過半が溶けようとも。
赤い液体で身体を染め上げても彼等は止まらない。どだい痛覚など無いのだから、痛みに呻くことも彼等はしなかった。
「――お前達ッ」
逃げろと、彩斗は思わず口にしそうになった。
彼等全員を彩斗は知っている訳ではない。作った者の中には碌に挨拶もしていない者達も居て、本当ならばそんな相手を守る道理は彼等には無かった。
これが人間であったのならば、彼等は彩斗達を無視して己の生だけを求めただろう。
人類の危機とはいえ、人は己の命を最も尊重するのだから。
人形だからこそ、彩斗を愛すると定められているからこそ、初対面であろうとも彼等は彼を守る為に全てを消費する。
こんなことになるのなら、彼等に愛を強制するべきではなかった。
彩斗の胸に湧く巨大な罪悪感。貪り、浸食する暗い感情は彼等が傷付く度に増えていく。
人類に価値はあるのか。
彩斗はそれを尋ねられた時、迷わず否と口にする。人の感情は移ろいやすく、容易く他者を侵害するものだ。
ニュースに流れる有り触れた悪事。社会の中で起こっている普遍化された問題。
屑が多い。利己的な者が多過ぎる。誰も彼も、己が大事だからと価値を貶める真似ばかりする。
彩斗もまたそうだ。己の快楽の為に他者を侵害した。
自分が酷く最低な動機で行動していることなど承知の上で、それでも快を求めて大騒動をあちらこちらで生み出した。
人類は塵だ。存在するだけで罪と言われても仕方がない。
例え子供の頃は善性を持っていても、今の社会の中では容易く悪性に傾く。そして、澪と共存している彩斗であれば社会の流れを平和的に変えることも出来ただろう。
善き者が死に、悪しき者が生きる。
この道理は人の歴史が継続する限り続く。情報処理システムが人類淘汰に乗り出したことは、星を守る上では必然だ。
「守れ。 何を失っても、守れ。 これは命令だ」
オムニックが冷酷に告げる。
何を失っても。それは彩斗の命令を無視する発言であるが、事態を解決するには無視しなければならない命令だ。
それで彼からの不興を買うとしても、それでも彼女は彼を生かす。
それこそ忠義。それこそ恩。――生まれた感謝が彼女にはある。この感情は澪が設定した愛からではなく、デジタルの心が生み出した本心だ。
関りが薄い筈なのに、彩斗は彼女の背に勇者を見た。真の意味での勇気ある者としての佇まいを、彼女は本心だけで確立している。
「オムニック!」
「準備を。 ここは我々が、何を失っても守り通してみせます」
死んでいく、ただただ死んでいく。
蓮司は溶けて海に落ちる肉の塊達に涙を流した。死んでほしくないと願ってもそうなる現実を憎んだ。
だが、彩斗は違う。原因は間違いなく彩斗で、同時に彩斗が居たからこそ澪という存在が敵になることはなかった。
彼が居たからこそ、世界は今も継続している。下らぬ遊びが対抗手段を作り出した。
そして、娘や息子とも呼べる人形達は人間の黒さを知っても変わらなかった。
人類は屑だ。生きるべき価値があるとは思えない。
彩斗は間違いなく人の醜さによって歪んだ側で、人を信じる真似は滅多にしない。心から通じている相手もやはり人間ではなく――――故に、人形を信じることに一切の戸惑いは存在しなかった。
今、オムニック達が守っているのは彩斗と蓮司だ。
子が親を信じ、きっと未来を紡ぐと確信している。その信頼に、彩斗は応えたい。
己は屑だが、何もかもを裏切る男にはなりたくないのだ。
「――収束、完了」
最大級の火球が出来上がる。
圧縮を重ねた火球は維持するだけでも多量のリソースが求められ、風の出力が僅かでも弱まれば球体に覆った風の膜が破れてしまう。
表面温度千度。中心温度三千度。太陽には及ばぬ小太陽。
青き球体に風を送る。掲げた腕を前へと投げるように振り下ろし、それに合わせて小太陽は動き始めた。
「全員退避! 俺より後ろに移動しろ!!」
「ッ、了解! 総員退避ィ!」




